あまり、「死」を語るのは、嫌われるだろう。しかし、僕に取っては、「死」は、人生の中で、誰でもが、早かれ、遅かれ、通らなければならない、一つの工程に過ぎないと思う。


前回の続きとして、何故、一般の人は、「死」を「命を失う」と言うかを考えて見た。それは、この3次元の世界(現象界、あるいは、物質界とも言う)側から見た判断である。亡くなった人の「命」が現実的に感じなくなって、残されている肉体だけが現象化し続けているからである。


しかし、前回も語ったように、実は、「命」が「体(肉体)」を保つエネルギー力不足状態になって、結局、別れを告げなくてはならなかったのである。つまり、「命」が「体を失った」と言ってもよいのである。それが、「死」である。そして、「命」は、「魂」の形で、現象界と異なった次元の世界に移り、存在し続けるのである。「体」は、元々の物質に分解され、これ等も、又それなりに存在し続けるのである。


僕が、「命」と表現している訳は、この現象界では、「魂」と言っても、普通の人は、それを見た事が無いからである。一方、「命」は、誰でもが、感じることが出来る。只、「命」と「魂」は同じ事を指す。何れにしても、3次元以上のものだから、3次元に制限されている世界では見ることが出来ないだけである。


従って、「死」と言うものは、当たり前のプロセスであり、何も不思議でも、異常のな出来事ではない。