高田保則さんの39回目のバースデーでございます。

ヤス君のことを知ったのは彼が20歳か21歳の時だったと記憶しているので、

そらその時10代だった私も立派に三十路ですが(笑)

 

ヤス君のファンの人ともっと話がしたいけど、

ファンサイトを運営している人がいない。

なら私が作るかという、TOKIOもびっくりの思い付きでファンサイトを立ち上げ、

いろんな人と交流するようになりました。

それは、自分の人間関係に対するリハビリのようなもので、

その頃一杯失敗もしましたし、悲しいこともたくさんあったけれど、

一度たりとて炎上案件を起こさなかったこと、

そして人と接するって、疲れるけど楽しいなあと思えるようになったこと。

人間不信のカタマリだった人間に、

「ほんの少し人を信用してみようかな」という、

0を1にしてくれたのは、間違いなくヤス君なのです。

もうこれに関しては一生かかっても恩を返せないと思っているので、

救ってもらった命を全うすることが、

私がヤス君に救ってもらったことへの礼儀だと思っております。

これは、武瑠さんをはじめとしたSuGの面々、

そして摩天楼オペラやDaizyStripperの皆様に関しても、同じこと思っております。

 

それから19年とかたつんですね。

まあ紆余曲折ありながらも、自分は生きているわけで。

そして自分の人間関係も自分で選べるようになり、

ほんの少しだけ先を見据えて今を生きられるようになりました。

20歳まで生きられない、この子は明日死ぬのではと思われていた人間が、

今になって「人生が一番楽しい」と思えているのも、

自分が頑張ったことももちろんありますが、

やっぱり最初の一歩をくれたヤス君の存在が、自分の中では大きくて。

いつかヤス君に会える機会があったら、言いたいです。

 

あなたが救った命はやっと「今」を生きられるようになり、

それなりに今、楽しく前向きに生きています。

人にも恵まれています。

現在進行形で生きるための最初の道筋をつけてくれたのは、間違いなくあなたです。

ありがとうヤス君。これからも私は、自分の人生をしっかり歩んでいきます。

お誕生日おめでとう。素敵な一日を。

 

あと、ヤス君という人間があまりに「いいひと」と「てんねん」がずば抜けていた人なので、

それでいろいろ自分のストライクゾーンが決まってしまったところは・・・まあその。

 

あ、今年もササキ様イヴは祝い忘れました。いつもどおりです(笑)

しかし、中学生の時のネタを未だにやり続けられるというのも、

ある意味私が懲りないのか、根強いネタなのか、よくわかんないんですけど(苦笑)

 

・・・はい、チェリオ買ってきます。

どうも。

バレンタインのメインイベントが、

おっとこまえに天使のような笑顔でお説教されることだった今日この頃、

いかがお過ごしですか。

いやむしろ、私のような人間に(この言い方がまず怒られそうだが)

そうやって対等に向き合って、打ち合ってくださったことがまずありがたい。

「自分はあまり感情表に出すことはないんだけど」と口では言いながら、

その人の背後でルッカがフレア打ってるのが見えたものですから、

今の自分に必要なのはレッドプレートを装備してそれを吸収することであって、

断じて連携でアイスガ打って反作用ボム3にすることではないと(苦笑)

 

・・・クロノトリガーの話はさておき、本題行きましょうね。

相変わらず無駄に前フリ長いね、私。

それはwyseとWaiveで青春を過ごしてきた人間の弊害だと思ってくれ(もらい事故)

 

「好かれるより嫌われるより『気に入らない』と思われたら、おしまい」

 

これが私の人生における最大のトラウマでした。

 

「言うほど他人はお前のこと見てねえよ」と思われてもしょうがないんですが、

実際それで何度となく命を奪われかけた人間としては、

真っ先にそれを回避する行動を取ってしまうのは、

まあ人間の性質上仕方がないことで。

だから多分、いじめられた経験のある人が「嫌われたくない」と口にするのって、

「気に入らない奴、いじっていい奴認定されたら何されるかわからないし、

 その感情って際限とか頂点がないから、

 身の危険が半端ないという恐怖のズンドコは二度と味わいたくない」

という意味なんじゃないかなって思ってます。自分もそうでしたので。

・・・唐突に入ってくるマモーミモーはスルーしてくれ。

 

好きも嫌いもこじらせたら害になることには違いないんですが、

でもまあ、自制はきくのですよね、ある程度。

だけど「気に入らない」って、一番制御不能な感情で。

極論、好きなら距離をつめるし、嫌いなら距離をおく。

だけど「気に入らない」ものに対しては

人間安全圏からばれないように石投げるでしょ?(苦笑)

その距離が近いか遠いか、

相手に向いてるか他の誰かや何かに向いてるかだけの話で。

気の合う仲間との飲み会で盛大に供養する人もいれば、

気に入らない有名人に捨てアカで突撃する人もいて。

それがいいとか悪いとかではなく、

何が好き、何が嫌いより、何を気に入らないと思うか、

それにどう向き合っているのか(むしろここの部分)に、

その人の性格というか本性が出るのは、

ある意味まあしょうがないよなあと。にんげんだもの(みつを)

 

私がいじめられたのも「気に入らないルーレット」が、

自分のところで唐突に停止したことが要因の一つだと思ってます。

あと、まだ「いじめられるほうにも問題がある」とか、

「男は男らしく、女は女らしく」という空気と、

平成ではあれど昭和の根性論がまだ残っていた時代と地域だったということも、

不運に拍車をかけました。

あと、父も母もどちらもなかなかぶっとんだ人でして、

基本「人の目?知らんがな」なので、

自分の娘が自分たちに対する「気に入らない」まで、

全部食らっていることに気付かない人たちだったというのも、

まあこれもある意味一周回って不運ですよね(苦笑)

もうそうとでも言わないといろいろ自分の中で片づけられない(苦笑)

 

これを「運が悪かっただけだし、気に入らないを気にすんな」と、

一般論で一刀両断してしまうのは簡単なのですよ。

でも「気に入らないで命取られかけた人間」は、

その一言に過剰に反応、かつ反発してしまうわけですね。

言ってしまえば公式と解釈違いみたいなもやもや感。

世間一般ではそうなんだろうけど、私はそういう軽い意味でこの言葉は使えない、

そう思えるだけの痛みと重みを知ってしまっているから、

同じ意味でとらえることはできないんです、そこは責めないでくださいと。

そして何かを言えば言うほど攻撃される環境にいると、当然何も言えなくなるし、

言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズンの毒素の量が、

致死量に達しかけた経験も何度となくあるわけですよ。

未だに「ごめん、ちょっとまって」という言葉をきくとびくついてしまうのは、

昔その言葉の後ろで口裏合わせという名の緊急首脳会議が行われていたことと、

会議がないならそれはそれで黙殺されているということが、

日常茶飯事だったことにも程があったという、

SADSの曲に出てくる東京より狂った街で暮らしていた時代のなごりでしょうな・・・。

ま、この辺語りだすと長くなるんで、このへんで。

 

一昨年でしたかね、そういうトラウマ治療のプログラムを受けて、

かなり心が冷静かつ一般的な判断をできるようにはなってきたんです。

でもそれは、心を殺すことで逃げていた「気に入らない」と思われることへの恐怖に、

決着をつけるターンが来たとでも言うんでしょうかね。

おかげさまでラスボスここに極まれりみたいな感情と、

死闘を繰り広げておりました。

それはもう、くたびれはててスタジアムに行けなくなるぐらいの状況で。

去年はホームゲーム悪天候が多かったというのもありますが、

それ以前に体が身動き取れなくて、

試合の時間は外に出れない、みたいなこと多かったので。

(ライブは夜なので出歩けたともいえる)

 

そんなとき、ある人にぽろっとその話をこぼしてしまったのです。

「好かれると嫌われるはまだ耐えられるけど、

気に入らないと思われたら命を取られるような気がする」と。

はい、私はバレンタインに出先で血塗られた過去の話をぽろっと人に話す

死ぬほど情緒のない有害メンヘラドールです!(苦笑)

 

まあ、そうしたらその人それとなく話を聞いてくれたうえで、こう言ってくださったのですね。

 

「気にしないほうがいいよ」と。

 

多分他の人に言われたならば、

「お前は何もわかってなーい!」と、

平成メンヘラセオリーをシャウトしていたでしょう。

ただ、その人は私のこの面倒にもほどがある感情を踏まえたうえで、

「(人間っていうのはそういうものだからこそ)気にするな」と言ってくれたんですね。

そして自分の経験を話してくれたうえで、

いろいろ余白にいらん感情ぶっこみがちな私の性質をふまえて、

「自分はこうしたけど、じゃあ君ならどうするかい?」という道筋をつけてくださり、

いろいろ余白を挟み込む余地をなくした状態でこちらに話を投げてくださるという、

今の私が一番求めていたことをその人がしてくださったわけですね。

もう、感謝しかない。

基本的に救いの手ってこちらが手をきちんと伸ばせる状況であるとか、

相手の手をつかめる状況であるとか、

相手が信用できる人間で、なおかつそれをちゃんと信用できる精神状態であるとか、

すべてがそろわないと「救い」にはならないのです。

これがあのタイミングで合致したのは、奇跡でしかない。

なんというか、いじめられていたとき、

隣のクラスの先生が話を聞いてくれたうえで、

「うちのクラスへ来ない?」と声をかけてくれて「行きたいです」と答えてから、

先生と二人三脚で学校と戦ったときも、そんなだったなって。

そんなこともちらっと思い出しました。

 

あのバレンタインのお説教(ゆーても愛あるアドバイスなんだけどね)

しっかり受け止めました。

これに報いるには、自分自身が自分に最低限の自信を持てる人間になって、

外見の美ももちろん大事だけど内面の美をきちんと持てる人間にならねばならないと、

決意するには十分な一日でした。

そうしたら武瑠さんの再始動の詳細が出まして、

そのMVと歌詞に込められたメッセージに、ああやはりぶれないなと思い。

そして、久しぶりに私の中のリトルだいたひかるが動きました。

 

「どーでもいいですよ」

 

恐れ知らずの射手座B型が人の目を気にしてどないすんじゃいという、

久々にドスファンゴモードを発動させた私は、

次の日からわかりやすく目の色が変わったようで。

周りの人にも「あれ、どーした」と言われるぐらいに。

不思議ですね、人間変われる時はこんな簡単に変われるものなのだなあと。

今まで一年近くなんだったんだろうと思うけど、

ここに来るまでの長い潜伏期間か何かだったのかもしれませんね、知らんけど(おい)

 

普段はバンギャルはなはだしいレポと、

サポーターでしかないスタジアムの話が多いブログですが、

多分いじめ後遺症とか、

そういうキーワードでこのブログに来てくださってる方もいると思うんですね。

そういう人に訴えたいのは「タイミング」だと。

生きていれば必ず何かが合致する瞬間が来ますので。

その時を逃すなとは言いません、やっぱり流れとか事情とかいろいろあるので。

でも「変わりたい」「幸せになりたい」「もっといい人間になりたい」と思わなければ、

救いの手がそこにあることにすら、気付けないこともあるかもしれませんよと。

幸せの青い鳥がすぐ近くにいたように、

意外と魑魅魍魎の集うTwitterにもなんかいるかもしれませんしな、青い鳥だし(笑)

 

結論として人間、

幸せを求めるより、適度に不幸でいるほうが、楽に生きれるのかもしれません。

でも、昨日より今日を、今日より明日をいい日にするために、

今日を頑張ることを、恥ずかしいともカッコ悪いとも思わないですし、

そういうことを「意識高い系」と揶揄してくる輩もいるでしょう。

そういうときは、私が言います「きにすんな」と。

まずはその「気にすんな」「お前が言うな」で返されない人間になるのが、

当面の目標でございます。はい。

 

先日このRoyzというバンドさん、

DIAURAさんとのツーマンで見たのですが、この曲が刺さりまして。

最近、家を出るときにこの曲かけて「いくぞおらー!」とやってます。

しかし今の若いバンドマンさん、みんなおっとこまえ・・・(崩れ落ちる)

ここ1年のメンタルからくる体調不良がほぼ完治いたしました。

いやー、ワンダーランドと開幕までに治ってよかった。

去年はとにかく人間が怖くてスタジアムにすら行けなかったり、

ライブにも行けないこともあったり、

お前リアル有害メンヘラドールやないかい状態でしたが、

なんかもう、いろいろどうでもよくなりましたなど。

 

なんというか、

人の無邪気すぎる残酷さで何度となく命を奪われそうになったからこそ、

気付けることもあるし、響く言葉もあるのだなと。

だからもう、とにかく今はホッとしているとかいうレベルではなくふにゃふにゃに(苦笑)

 

「死ぬ気で生きる準備はあるか」

「俺はやる。さあ君ならばどうする?」

 

よろしい、やってやろうではないですか。

「今」を生きられる権利を手にした自分に、もう怖いものはありません。

だから、終わらない歌を。

 

明けない夜はない。

そして、開かないフタもない。

そんな年女のええじゃないかを、開始します。

・・・いやしかし自分でジャムの瓶のフタ開けられないとかどれだけ握力ゲフゲフ。

 

とにかく、カラ元気から普通の元気には戻りましたので、

まだぼちぼち何か書いていきます。

どうせまた不定期更新にもほどがあると思いますが、期待しないでお待ちください(笑)