どうも。
バレンタインのメインイベントが、
おっとこまえに天使のような笑顔でお説教されることだった今日この頃、
いかがお過ごしですか。
いやむしろ、私のような人間に(この言い方がまず怒られそうだが)
そうやって対等に向き合って、打ち合ってくださったことがまずありがたい。
「自分はあまり感情表に出すことはないんだけど」と口では言いながら、
その人の背後でルッカがフレア打ってるのが見えたものですから、
今の自分に必要なのはレッドプレートを装備してそれを吸収することであって、
断じて連携でアイスガ打って反作用ボム3にすることではないと(苦笑)
・・・クロノトリガーの話はさておき、本題行きましょうね。
相変わらず無駄に前フリ長いね、私。
それはwyseとWaiveで青春を過ごしてきた人間の弊害だと思ってくれ(もらい事故)
「好かれるより嫌われるより『気に入らない』と思われたら、おしまい」
これが私の人生における最大のトラウマでした。
「言うほど他人はお前のこと見てねえよ」と思われてもしょうがないんですが、
実際それで何度となく命を奪われかけた人間としては、
真っ先にそれを回避する行動を取ってしまうのは、
まあ人間の性質上仕方がないことで。
だから多分、いじめられた経験のある人が「嫌われたくない」と口にするのって、
「気に入らない奴、いじっていい奴認定されたら何されるかわからないし、
その感情って際限とか頂点がないから、
身の危険が半端ないという恐怖のズンドコは二度と味わいたくない」
という意味なんじゃないかなって思ってます。自分もそうでしたので。
・・・唐突に入ってくるマモーミモーはスルーしてくれ。
好きも嫌いもこじらせたら害になることには違いないんですが、
でもまあ、自制はきくのですよね、ある程度。
だけど「気に入らない」って、一番制御不能な感情で。
極論、好きなら距離をつめるし、嫌いなら距離をおく。
だけど「気に入らない」ものに対しては
人間安全圏からばれないように石投げるでしょ?(苦笑)
その距離が近いか遠いか、
相手に向いてるか他の誰かや何かに向いてるかだけの話で。
気の合う仲間との飲み会で盛大に供養する人もいれば、
気に入らない有名人に捨てアカで突撃する人もいて。
それがいいとか悪いとかではなく、
何が好き、何が嫌いより、何を気に入らないと思うか、
それにどう向き合っているのか(むしろここの部分)に、
その人の性格というか本性が出るのは、
ある意味まあしょうがないよなあと。にんげんだもの(みつを)
私がいじめられたのも「気に入らないルーレット」が、
自分のところで唐突に停止したことが要因の一つだと思ってます。
あと、まだ「いじめられるほうにも問題がある」とか、
「男は男らしく、女は女らしく」という空気と、
平成ではあれど昭和の根性論がまだ残っていた時代と地域だったということも、
不運に拍車をかけました。
あと、父も母もどちらもなかなかぶっとんだ人でして、
基本「人の目?知らんがな」なので、
自分の娘が自分たちに対する「気に入らない」まで、
全部食らっていることに気付かない人たちだったというのも、
まあこれもある意味一周回って不運ですよね(苦笑)
もうそうとでも言わないといろいろ自分の中で片づけられない(苦笑)
これを「運が悪かっただけだし、気に入らないを気にすんな」と、
一般論で一刀両断してしまうのは簡単なのですよ。
でも「気に入らないで命取られかけた人間」は、
その一言に過剰に反応、かつ反発してしまうわけですね。
言ってしまえば公式と解釈違いみたいなもやもや感。
世間一般ではそうなんだろうけど、私はそういう軽い意味でこの言葉は使えない、
そう思えるだけの痛みと重みを知ってしまっているから、
同じ意味でとらえることはできないんです、そこは責めないでくださいと。
そして何かを言えば言うほど攻撃される環境にいると、当然何も言えなくなるし、
言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズンの毒素の量が、
致死量に達しかけた経験も何度となくあるわけですよ。
未だに「ごめん、ちょっとまって」という言葉をきくとびくついてしまうのは、
昔その言葉の後ろで口裏合わせという名の緊急首脳会議が行われていたことと、
会議がないならそれはそれで黙殺されているということが、
日常茶飯事だったことにも程があったという、
SADSの曲に出てくる東京より狂った街で暮らしていた時代のなごりでしょうな・・・。
ま、この辺語りだすと長くなるんで、このへんで。
一昨年でしたかね、そういうトラウマ治療のプログラムを受けて、
かなり心が冷静かつ一般的な判断をできるようにはなってきたんです。
でもそれは、心を殺すことで逃げていた「気に入らない」と思われることへの恐怖に、
決着をつけるターンが来たとでも言うんでしょうかね。
おかげさまでラスボスここに極まれりみたいな感情と、
死闘を繰り広げておりました。
それはもう、くたびれはててスタジアムに行けなくなるぐらいの状況で。
去年はホームゲーム悪天候が多かったというのもありますが、
それ以前に体が身動き取れなくて、
試合の時間は外に出れない、みたいなこと多かったので。
(ライブは夜なので出歩けたともいえる)
そんなとき、ある人にぽろっとその話をこぼしてしまったのです。
「好かれると嫌われるはまだ耐えられるけど、
気に入らないと思われたら命を取られるような気がする」と。
はい、私はバレンタインに出先で血塗られた過去の話をぽろっと人に話す
死ぬほど情緒のない有害メンヘラドールです!(苦笑)
まあ、そうしたらその人それとなく話を聞いてくれたうえで、こう言ってくださったのですね。
「気にしないほうがいいよ」と。
多分他の人に言われたならば、
「お前は何もわかってなーい!」と、
平成メンヘラセオリーをシャウトしていたでしょう。
ただ、その人は私のこの面倒にもほどがある感情を踏まえたうえで、
「(人間っていうのはそういうものだからこそ)気にするな」と言ってくれたんですね。
そして自分の経験を話してくれたうえで、
いろいろ余白にいらん感情ぶっこみがちな私の性質をふまえて、
「自分はこうしたけど、じゃあ君ならどうするかい?」という道筋をつけてくださり、
いろいろ余白を挟み込む余地をなくした状態でこちらに話を投げてくださるという、
今の私が一番求めていたことをその人がしてくださったわけですね。
もう、感謝しかない。
基本的に救いの手ってこちらが手をきちんと伸ばせる状況であるとか、
相手の手をつかめる状況であるとか、
相手が信用できる人間で、なおかつそれをちゃんと信用できる精神状態であるとか、
すべてがそろわないと「救い」にはならないのです。
これがあのタイミングで合致したのは、奇跡でしかない。
なんというか、いじめられていたとき、
隣のクラスの先生が話を聞いてくれたうえで、
「うちのクラスへ来ない?」と声をかけてくれて「行きたいです」と答えてから、
先生と二人三脚で学校と戦ったときも、そんなだったなって。
そんなこともちらっと思い出しました。
あのバレンタインのお説教(ゆーても愛あるアドバイスなんだけどね)
しっかり受け止めました。
これに報いるには、自分自身が自分に最低限の自信を持てる人間になって、
外見の美ももちろん大事だけど内面の美をきちんと持てる人間にならねばならないと、
決意するには十分な一日でした。
そうしたら武瑠さんの再始動の詳細が出まして、
そのMVと歌詞に込められたメッセージに、ああやはりぶれないなと思い。
そして、久しぶりに私の中のリトルだいたひかるが動きました。
「どーでもいいですよ」
恐れ知らずの射手座B型が人の目を気にしてどないすんじゃいという、
久々にドスファンゴモードを発動させた私は、
次の日からわかりやすく目の色が変わったようで。
周りの人にも「あれ、どーした」と言われるぐらいに。
不思議ですね、人間変われる時はこんな簡単に変われるものなのだなあと。
今まで一年近くなんだったんだろうと思うけど、
ここに来るまでの長い潜伏期間か何かだったのかもしれませんね、知らんけど(おい)
普段はバンギャルはなはだしいレポと、
サポーターでしかないスタジアムの話が多いブログですが、
多分いじめ後遺症とか、
そういうキーワードでこのブログに来てくださってる方もいると思うんですね。
そういう人に訴えたいのは「タイミング」だと。
生きていれば必ず何かが合致する瞬間が来ますので。
その時を逃すなとは言いません、やっぱり流れとか事情とかいろいろあるので。
でも「変わりたい」「幸せになりたい」「もっといい人間になりたい」と思わなければ、
救いの手がそこにあることにすら、気付けないこともあるかもしれませんよと。
幸せの青い鳥がすぐ近くにいたように、
意外と魑魅魍魎の集うTwitterにもなんかいるかもしれませんしな、青い鳥だし(笑)
結論として人間、
幸せを求めるより、適度に不幸でいるほうが、楽に生きれるのかもしれません。
でも、昨日より今日を、今日より明日をいい日にするために、
今日を頑張ることを、恥ずかしいともカッコ悪いとも思わないですし、
そういうことを「意識高い系」と揶揄してくる輩もいるでしょう。
そういうときは、私が言います「きにすんな」と。
まずはその「気にすんな」を「お前が言うな」で返されない人間になるのが、
当面の目標でございます。はい。
先日このRoyzというバンドさん、
DIAURAさんとのツーマンで見たのですが、この曲が刺さりまして。
最近、家を出るときにこの曲かけて「いくぞおらー!」とやってます。
しかし今の若いバンドマンさん、みんなおっとこまえ・・・(崩れ落ちる)