アンティック-珈琲店-の発表、驚いたという言葉では表現できないというか、
まだ心が整理できていないというか。
わりと、アンカフェを知ったことで今の人生があるようなものなので、
それが事実上なくなるということは、
それはもう素直に受け止められなくて当然だと。
しっかり悲しんでから対峙したって罰は当たらぬ。
「アンカフェを知ったことで今の人生がある」というのは、ホントに大げさではなくて。
アンカフェを知った当時、私は演劇の勉強をしていたんだけど、
ああいう世界はなんというか、
そろいもそろってザキ系きかない連中が実権握ってるというか(苦笑)
元々人間関係に「政治」が必要な場所ほど苦手なところはないのですが、
子供の頃からの夢のためだと、我慢していたんですね。
で、だんだん心がマヒして壊れる寸前だったところに、
すっと入ってきたのがアンカフェの音楽だったわけで。
実は私が「演劇」という形でステージに立つことをやめたのは、
ほぼほぼみくさんのせい・・・いやおかげという話がありまして(笑)
みくさんが、というより「スノーシーン」のMVのみくさんの姿を見て、かな。
こういう言い方すると「なんつーことを」と言われそうですが、
結果的にそれが私の命を救ったんで、少し意地悪言わせておくれ(笑)
てか「言い方!!!(机ドン)」案件に関してはみくさんが最大手だから、
それを11年近くで見てきたらそうなるとだけ言っておきます(笑)
ちなみに最大手がみくさんなら、
総本山は夕霧さんだと思うぞ!(否定できないことを言うな・笑)
・・・話戻しまして。
「スノーシーン」公式でMV上がってないので、
検索しておくんなましとしか言えないんだけど、
演奏シーンの合間にはさまれるみくさんのカットが、とにかく美しくて。
愁いを帯びた表情もそうだけれど、
曲が進むにしたがってみくさんの表情に暗い影がどんどんちらついていく不穏な感覚。
バスタブに沈みかけたみくさんがラストで目を覚ましたとき、
みくさんのまわりを囲むメンバー。
とにかくすべてに度肝を抜かれたというか、
バンドマンのMVの演技はたどたどしいのが普通だと思っていた私には、
とにかく衝撃でしかなかったんですね。
で、思ったんです。
「私も含めて、私の周りにこの人以上の『表現』ができる人がいるのだろうか」と。
指導してくれる人も、指導を受けている人も。
政治やってる人も、やってない人も。
裏と表で顔が違う人も、違わない人も。
影響力がある人も、ない人も。
ザキ系通じる人も通じない人も(そこをひっぱるな・笑)
結論「いませんでしたーっ!」(ゴチになります風かなイエモンのJAMかな!)
というか「マグニャカルタ」のインストでアンカフェが横浜に来たとき、
握手会でみくさんに直接MVのお話をさせていただいたのですよ。
「えーーーーっ!?
(演技がうまいなんて)そんなの言われたことない!
あの時だってメチャクチャ緊張したのにっ!
でもそういってもらえてうれしいよ、ありがとう(スマイル一番いいみくちゃん)」
今なら後半になるにしたがって鬼気迫っていくみくさんの表情が、
これ以上NG出せねえぞな顔であることもなんとなく察しがつくんですけれど(笑)
そのあと、運よく参戦した野音(坊くんラスト)で、
みくさんの「歌」と「ステージ」に対するストイックさをこれでもかと見せつけられ。
みくさんに限らず、輝喜さんもカノンさんも、
後から加入したたくにゃんもゆうきっきも、
「来たお客さんを楽しませること」に命かけてる人ではないですか。
少なくともステージ裏の政治がメインな人たちではない。
そして、自分の周りに当時いた人たちは、
そのステージ裏の政治にばかり熱中している人が多くてですね。
野音の帰り道、ひたすらずっとこの先どうしようか考えていたのを覚えています。
こんな環境にいては夢以前の問題で人としてだめになると、
あのステージを見たら気づかずにはいられなかったし、
人としてどうするべきかと思わずにはいられなかったので。
とはいえ子供のころからの夢でしたから、
「辞める」と決断するのに1年近くかかったけれど、
あの時心を殺してステージで過ごすより、
人として客席で生きる道を選んだことが、人生最大の分岐点かもなあって思います。
あの時決断の決め手になったのは、
ステージが好きだからこそ、
ステージの上で展開されるあれこれを、
純粋に楽しめなくなったら嫌だなあということだったのですね。
このままでは、ライブだけではなく、
サッカーや野球も楽しめなくなってしまうんじゃないかとまで思い詰めてましたので。
なによりアンカフェのライブを楽しめなくなるのが絶対に嫌だった。
当然、10年の間には過度に自分を責めていましたターンもありました。
「綺麗なこと言ってるけど実際逃げる口実探していただけだろう」
「臆病な自分を綺麗な言葉で覆い隠しているだけだろう」と。
でも追いかけてくる犬から逃げ切った人間がプロ野球選手になった今の時代、
人には必ず「ヤミ」があることが前提であるということが浸透してきた今の時代、
理不尽な要求にノーを突き付ける自由が保障される今の時代、
(ただし権利は保障されていない模様・・・そこだけが悔しいですなあ)
命の危険をきちんと回避した自分を、自分が褒めてあげずに誰が褒める、と。
「ありのままの自分を愛さなきゃ他人(ひと)を愛することさえできるわけがない」
これが一番のみくさんの、アンカフェの教えかもしれないですね。
自分を大切にできない人間に「誰か」「何か」を大切にすることはできないと。
そして、私が衝撃を受けた「スノーシーン」には続きの物語があって、
それが「ラフ・ソング」に収録されている「Spring snow」なのですね。
この物語の中で、主人公はその大切な思いと葛藤を抱えたうえで、
「明日」へ踏み出しているわけですよ。
踏み出すのにリアルで10年過ぎてまっせ、という野暮な話ではなく、
本当に心をえぐられるような経験をしたら、
明日を踏み出すのに必要な期間が10年じゃ足らないということを、
悲しいかな私は知っているので、
余計にみくさんがこの曲の続編を「10年たって」
「明日」に向かう主人公を描いてくれたことで、
なんだかいろいろ救われたというか、
報われた何かがあるような気がするんですね・・・。
とにかく、書ききれないたくさんの気持ちや想いや歴史があるし、
感謝とかありがとうとかコノヤロウとかなんでやねんとか、
伝えるのは今じゃないと思っているのでね。
あと、母いわく「スノーシーンの話は初耳だ」と。
そっか「あのMVのみくさんの表情が素敵だった」という話はしていたけれど、
あれきっかけで「ステージに立つこととは何ぞや」と哲学したことに関しては、
ほぼほぼ誰にも話していなかったなあって。
なのでこれを機会にきちんと向き合ってみようかなと。
自分でいうのもなんだけれど、
事実を並べるだけで胸焼けしそうな人生経験ばかりの自分にだ。
エトセトラのコーナーについていくために時事ネタを常にキャッチしておけと訓練され、
赤レンガのサマダイゲリラ豪雨で、
「ヤワな雨具なんぞ豪雨の中では役にたたない」と悟らせ、
復活の代々木第二で、
「活動休止をしたおかげで三十歳の誕生日を無職で迎える羽目になった」と、
盛大に自虐を飛ばされ、
いつぞやのみくバのハートコレオを「なんで日の丸なの?」とボケられてもめげず、
「今日はお前らとの結婚式だー!」と煽られても
「できればみくさんではなく輝喜さんの嫁にしてくれ」と野暮なツッコミはせず、
某祭りで「キッズのころに見ていた月森さんはこんなに黒くなかった。黒のカリスマ」
「俺も一応『カフェ』やってるんで月森さんのカフェを参考にしたい」と、
正面切って月森さんの月森さんたる所以を盛大に切り込んでステージを混乱させ、
「リアル瀬田宗次郎ですかあの子」とみくさんを知らない友人にツッコまれても、
「わたしをすくってくれたしらないおにいさんやよ」を貫いたり、
変な時間にカノンさんが「酢豚にパイナップル」の歌詞をツイートしても、
「はいはいマメシバ一郎ですね!」と笑いながらスルーし、
野音で感動的なバラードを演奏している最中に、
エンドレスで機材から鐘の音が鳴り始めて笑ってはいけない日比谷野音が発動する、
そんな笑ってばっかりの人生経験くれたのはあんたらだよ!
だから私しんどかった11年前も、
それなりに地に足つけられた今日もちゃんと生きてるんだよ!
・・ぜーはー(深呼吸)
ちなみに「野音鐘かーん事件」は一番記憶に新しいのですが、
そのときの輝喜さんとカノンさんの、
「笑って許してくれるってとってもありがたいこと」という話が、
すごく心に残っているんですよね。
無理に笑うこともせず、無理に許すこともなく「笑って許してくれる」って最高の関係だなと。
できれば、最後(あんまりこの言葉使いたくないけど)までその関係性を貫いていきたいし、
それを貫いた先に、ほんのちょっと奇跡的な未来があると信じてみるのも、
悪くはないかなって思うんです。
生きていれば、そんな「何か」を目にする機会もあるかもしれないなって、
そんなことを少しだけ、信じてもいいかなと思える今日この頃。
キレイゴトを信じてみたいと思えるようになったのも、
もしかしたらアンカフェのおかげなんだろうか・・・・。