孫ランク | 子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

人生何が起きるかわからない、身内に翻弄されて子連れホームレスになった薄給リーマン一家の自力再生と今。

 

母は兄弟も多かったので、私にはいとこが多い、

 

そんないとこも親子以上に年が離れていたりするのだけど、

みんな兄弟間で色々あってもいとこ同士は不思議と仲がいい。

 

そんなワケで全員とはいかないけれど、いとこのLINEグループもある、

 

その中のひとりAが、グループLINEでもうすぐ祖母の命日だと思い出話を始めたのだけど、

 

今の私は、精神的にそれを読むこともきつくて

既読スルーさえも出来ず読まずに消した。

 

Aにとっては、祖母はとてもやさしい人で、

毎年お年玉も貰っていて、修学旅行があると

わざわざ他県まで顔を見るついでにお小遣いを持ってきてくれたこともあったと言う。

 

私には、祖母は田舎の土地から離れたこともない人だと思っていたし、

私自身は修学旅行のお小遣いどころか、たったの一度もお年玉やお小遣いも貰ったことがない。

 

小さい頃から田舎に行けば、台所仕事の手伝いをさせられて、

同い年でお手伝いもしないで叱られない子と、しないとご飯も食べさせてもらえない私と、

どこが違うのかと、その不公平感にいつも泣いていた。

 

泣くと祖母にまた怒られる。

小さい頃、私は生きていてはいけないのか?と何度思ったことか。

 

母と同じく、母方の祖母も私にとっては非常に厳しく、好きな人ではなかった。

 

Aは言う、

「あんなに孫がたくさん居たのに、みんなに公平に優しくしてくれておばあちゃんはすごい人だった」

 

ちっとも公平なんかじゃなかったよと私の心の声。

 

祖母はその年齢以上に時代錯誤なところがあり、

友人たちは、小さい頃の私の話を聞くと、決まっておしんみたいと言う、

 

Aは叔父3の娘で内孫、

内孫たちの間では祖母はとても優しい人なのだ。

 

私は外孫のしかも女。

祖母にとっては、外孫(-)女(-)のダブルマイナスの孫ランクとしては最低。

 

叔母でも、祖母には厳しくされた思い出しかなく、

80になった今でも、自分の母親は大嫌いだと言う。

 

祖母にかわいがられたいとこたちにしたら、

辛い思いをしたもののことなんて気にもしないから、

 

頻繁に、私が知る由もない祖母の優しかったエピソードを聞かされることになる。

 

優しい祖母だと思っているAの思い出を、

わざわざ否定する必要もない。

 

私も、いい加減、色んなしがらみを乗り越えないとと、

心を無にして話を合わせてきたけれど、

 

心が弱り切っている今は無理だ!