この年になって、自分で努力して乗り越えられたコンプレックスもあるけれど、
相変わらずなのが、
おしゃべりなDNAなのに話すことが苦手なこと。
私の母は猛烈なおしゃべりで、
人の話を聞かなかくて、そりゃもう猛烈で、
そんなワケで当然、
子供の頃から話を聞いてもらったことがなく、
他人ならともかく、家族となると一緒に生活をする上では意思疎通のための会話も必要になるので、
母に伝えようとするのだけど、
すぐに遮って、勝手な解釈をして怒り出したりすることが多く、
そんな風に誤解されたまま虐待されることもあったので、
早く言わなきゃ!
お母さんが息を吸っている間に(喋っていない間)に、
要点だけ伝えなきゃ!と、
って常に焦って緊張してばかりだった。
結局、私の話を聞いてもらえることはなく、
いつも伝えたい言葉の数だけ泣いていたから、
私は泣き虫になってしまった。
伝えたい思いがあればあるほど、涙しか出てこない。
母が亡くなって11年、もうあんな強烈な人は居ないのに、
今でもその思いが抜けない。
そんな母だったので、弟は幼い頃に吃音になっため、
弟に対する態度だけは改めたのだけど、
言語障害としては現れなかった私には
母は生涯、本来の母のままだった。
今でも、大切な友人たちとの会話でも、
母のように遮られるのではないかと、
何がトラウマって、これが一番のトラウマなんじゃないのかな?
とさえ思う。
ブログを始めたのもそのトレーニングのひとつなんだけど、
心まではなかなか変わらないんだよなぁ。
ようやく仲良し母娘を見ても、
自分にはなかったものを見せつけられているようで
勝手に傷ついて走って家に帰ることは無くなったけれど、
生きている間にもうひとつ、乗り越えられるといいな。