87歳のおじいちゃん、
先週、東京土産を持っていって、
神宮外苑の銀杏並木も見てきた話をしようとすると、
「まだ片方しか色づいてないらしいね」
「おじいちゃん、良く知ってるね~」
夫など神宮外苑と言ってもピンとこなかったくらいなのに、
義父の方が夫より頭の回転は速い。
毎朝新聞を隅から隅まで読み、
息子に関係しそうな記事は大きく丸で囲って切り抜いている。
それを私たちが行くたびに、息子に関係あるのかどうかと聞いてくる。
おじいちゃんと東京と言えば、私たちが生まれるずっと前、
伊勢湾台風のさなか、東京で乗り換えて長野だったかに行く途中、
台風のため汽車が遅れて、
乗り換えの時間までに東京駅周辺を散策して
皇居の前で撮ったと言う写真を見せながら、東京がどんなに都会だったかの話しをする。
伊勢湾台風っていつだよ?ってなもんだけど、
義父にとっては7年前までそれが唯一の東京の思い出だったのだ。
当時の九州の田舎で東京を見てきたってのは、それだけで自慢になったのかも知れないね。
その後、お金に不自由してないのに、なぜか夫の実家は自腹を切って旅行をすることがなく、
夫も家族旅行と言うものを知らないで育った。
おじいちゃんの中の東京ってのは伊勢湾台風の頃から更新されないままで、
あまりに古すぎる思い出を今のことのように語るので、
息子が東京に行ったあと、おじいちゃんを東京見物に連れて行ったのも、もう7年の前の話。
おじいちゃんにとって東京は伊勢湾台風の頃のではなく、
21世紀の東京になり、
夢のような都会ではなく、孫息子の生活の場となった。
最近も何度か「私、東京に行ってくるけどおじいちゃんも行く?」と声をかけたのだけど、
「行きたいけど、向こうで迷惑かけることになるといけないからやめとく」
そんな言葉を聞くと、多少無理をしても7年前思い切って連れて行って良かったとしみじみ思う。
今はもう行けないけれど、
毎日TVで東京のニュースが流れると耳を傾け、
新聞は隅から隅までチェックして
孫の様子を想像しているのだろう。
おじいちゃんの情報通ぶりに本当に驚かされる。
夫は「ボケ防止になっていいんじゃないか」と言うけれど、
しばらく物忘れが多かったり、同じことを繰り返し言っていたおじいちゃんは
今はすっかり改善されてクリアになって居るのに、
夫の物覚えの悪さ、物忘れのひどさの方がヤバいくらい。
義父の脳の方が若々しいかもね。
「今度の年末には帰ってこれるように頑張るって言ってたよ~」と言うと、
嬉しそうに「会いたいなぁ~顔見たいなぁ」って(笑)
年が明けたら88歳になるおじいちゃん、
息子が帰省できたら、その時に一足早く米寿のお祝いをしようと思います。
プレゼントももう決めたもんね~、
お金には不自由してない88歳が間違いなく喜ぶもの
孫たちの活躍をみて、「長生きして良かった」と言って貰えるのは
私も幸せですが、
「おじいちゃん、それくらじゃまだ長生きとは言えん、
まだまだ長生きしてもらわないとね~」
「もうこの地域で一番の高齢者になってしまったのに、
まだ生きらないけんのかい?」
「とーぜんです」
嫌なことを言われたこともあるし、
家を追い出されてホームレスになったこともある、
色んなことがあったけど、いつの間にか時が解決して
今ではすっかり義父と私は仲良し