昨日の記事ですが、深夜にお弁当を作って片付けをしていたとき、
ふと思い出してしまったいや~なこと。
悶々としてキッチンの作業台を拭いていたら眩暈がしてきた。
「ヤバイ!なんか気持ち悪い」
精神的になのか、風邪気味なのか、
昨日は一日中、クラクラしてとうとう夕方まで起き上がれなかった。
なるべく夫の実家の愚痴は書かないように心がけているつもりなので、
一見、我が家は家族が仲良くて平穏そうに見えるかもしれない。
実際、普段は色んなことをさっぱり忘れているおめでたい人間なんだけど、
たまにフラッシュバックして私を悩ませる。
晩年、億単位のお金を自分の服や好きなように使って暮らしていた姑。
亡くなったときは通帳にお葬式代も残ってないほどキレイさっぱり使い切ってしまっていた。
そんな生活をしながら夫が高校受験のときは私立の入学金も払ってなくて、
公立に合格していなければあやうく中卒になっているところだったのだ。
もちろん夫を大学なんて行かせるつもりもなく、
夫自身は義母がどれだけお金を湯水のごとく使っていても「お金がない」と言うひと言を信じて
家計を助けるために高卒で就職することになった。
ある程度あった財産を
「これは私のお金やけん、私が自由に使うもんやろ?息子の大学に払う金はない」
と義母の口から聞いて愕然とした夫。
自分が大学に行っていれば、
我が子にもう少し不自由しない生活をさせてあげられたかも知れないのにと思う悔しさをずっと引きずってきた。
過ぎたことを悔やんでも仕方ない、親を怨んでも仕方ない、
今は世間から見下されていてもいつ形勢が逆転するかわからんよ?
なんたってこの私がついてるんだから
明日食べるものにも困るほど生活は困窮していたのに
どこにやっていけるって根拠があったわけでもなかったのに、
何であんなことが言えたんだろう?と今になってみれば思う。
裕福だった義父母の息子である夫が極貧生活の非情。
うちの夫が大学に行けなかったのは、
私と言う存在があったからだと親戚に吹聴していたことを
義母が亡くなった後聞かされて、さすがにショックだった。
「あんたのせいで○○ちゃん(夫)は大学も行けんやったってね、
しっかり尽くさなバチが当たるよ!」
どうりで伯母たちがいつも私を憎憎しそうに見ていたはずだとその時合点がいったわけで、
どれだけ「違うんです!」と言ったところで、今さら私の声など耳に入るはずもない。
何が悔しかったかって、どんな理不尽な言葉より、
義母のこの作り話に深く傷ついたんだけど、当の作り話の本人はもう居ない。
夫の親戚中に、
私は夫の将来の足を引っ張った女としてインプットされてしまっているってことだ。
そんな作り話で私を悪者に仕立て上げたいほど、
どこまでも嫁は他人だったのだろうか?と思うと今でも苦しい。
義母が亡くなったあとの形見分けも、私は蚊帳の外、
いつやったのかも、どんなものがあったのかえさえ知らない。
物が欲しいわけじゃない、心が欲しい。
夜中に弁当を作りながら、今まで良く頑張ってきたなぁ、
義母も元気だったら認めてくれるかな?と思ったと同時にフラッシュバックしてきた。
クラクラ、天井が回る。
5分と起きていられない。
こんな時は考え事もしないように動く方が良いのに動けない。
「熱でもあるん?」帰ってきた夫に聞かれた。
「夜中に弁当作ってたらさ、イヤなこと思い出して眩暈がして起きれんかったんよ、
やっぱ夜ってロクなこと考えんね、
これからはなるべく早起きして弁当作ることにする」
暗闇は余計なことまで思い出させる、思考も停滞する。
早起きは三文の徳、
余計なことを考えないように、規則正しい生活しなきゃね。