ものは考えようで | 子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

人生何が起きるかわからない、身内に翻弄されて子連れホームレスになった薄給リーマン一家の自力再生と今。


最近、弟がポツリと

「こっぴーちゃん(弟は名前で呼びます)とふたりで家を出て暮らせばよかった」

と子供の頃のことを話していました。


私はすかさず「ゴメンです」(笑)



弟もだけど、幼い頃はそんなもんだと思ってたんです。

大人になって世の中が見えてくると自分の置かれていた環境ってものに疑問を持ち出すんですね。


前の記事のような環境で育った私ですが、

ものは考えようでいい事もあるんですよ。



世の中の嫁姑問題が些細で馬鹿馬鹿しく思えてしまう。

(悩んでる方ごめんなさいです)


そりゃ私も色々ありましたよ、

同居してた時に、私がお風呂に入ろうとするとお湯がなかったとか、

冬場にお風呂でお湯を出そうとしたら水だったとか・・・


浴槽にお湯がないので仕方なくシャワーをしようとしたら水でね(笑)


悔しいので冬に水シャワー浴びてたこともあったんですけどね、

あまり酷いので、「ボイラー点けてください!」と言うと、

「あんたどんだけお湯使ってるんね?」と言われて、近所に愚痴られたりとか。


私がたまたま、早めにお風呂に入りたくて、夫に頼んで先に入らせてもらったとき、

私が入った後のお湯を「汚い」と言って全部換えてたりとか・・・


そりゃもう、ショックなことがてんこ盛りでした(笑)



義母に優しくして欲しいなって甘えたい気持ちもあったんですけど、

そう思ってた頃はちょっと辛かったかな。


所詮私は他人だからそんな扱いしかしないんだろうなと思うと悲しくてね。



それでも私には帰る家がないから頑張るしかないんですわ。

夫も義母の肩を持つし、冷たい他人の中にひとりぼっちなんだなぁ・・・って、

なんだか人間扱いされてないようにさえ感じたものです。



あるときふと、

私にとっても所詮、義母たちはどこまで行っても他人なんじゃん!?って思ったんです。


それは実は悲しいことに諦めの結果たどり着いた答えだったんですけど、

それで妙に吹っ切れたんです。


何かをしてもらおうと思うから悲しいんだ、何かをしてあげればいいんだ!って、


それでも、義母が入院した時にお見舞いで持っていったものを要らん!と捨てられたり、

なかなか気持ちが伝わることはありませんでした。



それでも、他人だからこんな態度も当たり前。

実母でさえ、こんなことするんだから、それに比べたらちっとも胸は痛まない。


義父の弟さんのお嫁さん(叔母)があるとき、

こっそり私に耳打ちしたことがあります。


「良く頑張ってきたわね~、人には言えない苦労があったでしょう」



でもね、他人だから許せることもたくさんあって、

他人だからこそ、ありがたいと思えることもあるんです。


亡くなる前の義母は薬のせいで朦朧としてわけがわからなくなって、

自分の子供のこともわからなくなっていたのに、

私のことは覚えていてくれて、それも母の頭の中では義母の娘になっているんです。


それが嬉しくてね。


看護婦さんにも私が来るのを待ってるんだと何度も言っていたらしくて、

「お義母さんがあなたのことをお待ちかねでしたよ」と言われたときは、

涙が出そうでした。



たぶん、私の両親が普通の親であれば、嬉しくも感じなかったでしょう。




意識がしっかりしている時も、私の手を握って

「お腹から癌をつまみ出して!こっぴーちゃんがしてくれると癌が取れるような気がする」と

がん細胞で膨らんだお腹に手をあててくれと言ったり、1ヵ月半の間、甘えてくれて、


長い間、決して1度も言ってくれることのなかった

「ありがとう」を繰り返し言ってくれたんですよ。




実母ともね、そんなに難しいことじゃないんです、


うらみでもなく、ただそんなひと言で、

母にしか解けない呪縛を解いて欲しかっただけなんです。



うちの夫、

嫁と姑の間に挟まれて悩んだことがないって羨ましい人種かも知れませんね。