挽歌 | 木端美人のブログ

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退職後、亡者に対する鎮魂が主たるテーマで、老いて木彫りをおこなっています。出かけた旅路で見つけた洞(主に樹木のウロ)に「立土筆」という小物を置き忘れて(意図的ですが)くるというものです。

安倍元首相(殊勝?)への葬送詩
私は安倍元首相の数々の悪政を問題として、その時々に閃いた詩を書いてきた。一昨日の”存在そのものを否定”した非人道的銃撃によって安倍氏は亡き人となってしまった。極めて残念である。彼の首相在任中の問題(特に森・加計関連事案)は未解決のまま隠蔽されてしまうという最悪の事態となってしまった。私の詩は安倍晋三氏への挽歌となってしまったのだ。
(拙著/”亀裂が奔る”より)
「道しるべ」(PP.40~41)
朝もやがおりてくる
陣形を調えて
ひたひたと
真面目に
朝もやがおりてくる
ハンドルの前には
白濁した
骨太の道しるべ
曲率激しい道路に
斜った直線の
巨大な矢印
反対車線を切り捨てた
片手間の
積極的一方通行路
   人類がぞろりと
   こぞって進んでゆく
走ってきた道路は
朝もやが矢継ぎ早に消してゆく
後戻りできないその先は
断崖絶壁
谷底には
平和な地獄が待ち受ける
積極的平和を望み
引き返す人はいない



「おはこいり」(PP.46~47)
身も蓋もない箱がある
立法他意の箱がある
三つも四つもお箱入り
箱入り娘の箱がある
すでに娘の心は融けている
時代の波に轢死した
遺産の箱がある
狂騒資金で生み出した
おはことなった草がある
おはことなった土がある
汚染され
仕向けられた
一億総どじょうすくい隊は
踵を返し国会の除染作業に勤しむ

「喩えてください」(PP.59)
喩えてものを言うならば
   積み重なった哀しみを
   忘れ去るほどのうれしさ
喩えてものを言うならば
   やっと綴った言葉たちの
   わがまま放題なおしゃべり
喩えてものを言うならば
   つま先つかまり立ちした
   足の小指にかぶりつく蟻
喩えてものを言うならば
   着飾りすぎた透明なファッショんの
   積極的平和主義

「転化人」(PP.84~85)

昨日に翌日を
肩車にして
今日の足下を踏み越えていく
夢に描いた明後日は
すでに一昨日に同化している
右足の足跡は
左足の足跡を超えてゆき
左足の足跡は
右足の足跡を超えてゆく
物事は物事を超えてゆく
無能を尊び
硬直した記号に行為を随えさせる

不謹慎な教え
ことばに奴隷を与えていたのは
あの疫病神のことば化
使い古された
薄汚れた範例
書き換えられた
歴史のトレース
自壊の憂き目を先取りし
徳なき者の徳を掲げた
空疎な言葉の爆弾歩み出す
自戒と反逆に点火せよ

「解体心象」(PP.126~127)
素っ裸の肉体には
あけっぴろげの肉体には
自由の思考が棲んでいた
素っ裸の肉体から
あけっぴろげの肉体から
自由の思考が絞り出されていく
抜き取られていく
自由が硬直していく
自由に硬直していく
自由が剝がされていく
肉体の思考が引き攣れていく
  解体現場の殊勝な指揮官は
  自由を自由に成型しては
  自由を売りさばいていく
  自由に売りさばいていく
  自由を奪った自由に
  自由のタグが付されて
  たたき売値でさばいていく
「自由」という言葉だけが遺産文字として
公文書に記されて博物館のガラスの檻の中
涙を流す自由にしがみつく自由は
貼付された自由の文字に
「ふ」と自らしたためている自由
そんな殊勝の行為に
肉体の思考は反撃の刻を窺っている


「危険な道」(PP.130~131)

歴史という記憶に
透視画法で描かれた価値は
近代デザインの思惑
より豊かで
公平な社会への坑道としてあった情動は
奇怪な合理の世界によって排除され
今は廃墟さながらの伽藍堂
一点透視画法の
見通しのよさゆえに
リスペクトされ続けてきた
経済優先の原子力の額には
遊びを忘れたカンテラが
歪んだ近代化の道を照らしている
精神の盲目を教育の鋳型とし
唇は馬銜で締結されたまま
個的情動は
購買意欲開発の線上に位置づけられて
流行に成型されていく
常道を踏み外した
羊の群れは
時折
心身共に地獄を生きる
四方八方にそれぞれに
真っすぐな道があるというのに
効率性が選んだ
思考の
錯誤の蟻の門渡り