気まぐれ図書館。
『境界を生きる 性と生のはざまで』毎日新聞社(2013年)を読んでの雑感です。
以下、青字は引用。
「生きたいように生きなよ」
⎯⎯それができればね。でも、できないからこそ、誰もが悩むわけで。
「この病気を知ってもらえるのはありがたいけれど、中途半端な知識だけが広がるのは困る」
⎯⎯自分自身、そう思うことが、増えてきたように思う。ただ、そうは言っても、だったら、一体どの程度知れば、それは中途半端でなくなるのかな、とも思う。
「必要な対応は一人一人違う」
周囲に告白してすべての面で対応が必要な場合もあれば、「制服やトイレだけは配慮して」、あるいは「先生が分かってくれていればいい」という子もいる。
「画一的な対応ではなく、本人の訴えによく耳を傾け、必要ならば専門医に相談して連携するのが、適切な対応です」
⎯⎯言ってくれれば、耳を傾ける人は、それなりにいるはず。でも「言って」を無理強いもできなし。
「知らないことはいけないことで、知ろうとしないのは最もいけないこと」
⎯⎯しばしば言われること。でも、知った気になるのはもっといけない、とも思う。「知る」って、そんな易しいことじゃない。無知であることに無知であることこそ、恥で、罪で。
心は、自由。
どう生きるかも、たぶん、自由。
けれど、生きる、というのは、人と係わる中にあって。
一人生きていくなら、
生きたいように生きるのも良い。
けれどそれだけじゃ、生きている、にならない。
だから、悩む。
だから、迷う。
本人以外何も言えないのは違うとしても、
情報としてしか知らない人について他人が何か言えば、
それはそれで間違える。
染色体。遺伝子。
知能。性。
未だ解明されていない小宇宙。
そうか! と、そうなのか? の間を、
ずっと行ったり来たりしています。
わたしは男? それとも女? 「性分化疾患」と「性同一性障害」。
男と女、生まれたときに性別は決まっている――そう疑わない社会で、誰にも言えない苦しみを抱える当事者たち。苦悩する医療関係者、そして現実の壁。人間の根源に迫った新聞報道の金字塔が、ついに書籍化。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞受賞(草の根民主主義部門・2010年)、第29回ファイザー医学記事賞優秀賞受賞。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
IOC(国際オリンピック委員会:パスポートの記載を以て「女子」と認めた)の見解はそれなりに報道されているのだけれども・・・
IBA(国際ボクシング協会:一定の手続きを経たうえで「女子」とは認めなかった)のそれは、あまり知られていないように思います。
以下、参考までに(日本語は機械翻訳)。
IBA clarifies the facts: the letter to the IOC regarding two ineligible boxers was sent and acknowledged
IBAは事実を明らかにした:資格のない2人のボクサーに関するIOCへの手紙は送られ、受領された
ということを、IBAが公表しています。
The International Boxing Association (IBA) has clarified the facts that led to the disqualification of two boxers, Imane Khelif of Algeria and Lin Yu-ting of Chinese Taipei.
国際ボクシング協会(IBA)は、アルジェリアのイマネ・ケリフ選手とチャイニーズ・タイペイのリン・ユーティン選手の2人のボクサーが失格となった経緯を明らかにした。
とのことで。なるほど、IBAにはIBAの言い分(規定)があり、きちんと説明していることが分かります。
興味のある方は、リンク先をお読みください。機械翻訳でも概ね理解できます。
何か、目眩がします。色んな意味で。