ウチの三女 V3、先天性遺伝子疾患があります。
ウィリアムズ症候群(7番染色体微細欠失)と言いまして、指定難病179。今のところ根本的な治療法はありません。
症状としては、それはまあ色々あるのですが、身体的なものについては、各種専門領域における医療技術の進歩もあり、対処療法でそれなりに「治療」可能です。
V3 の場合、大動脈弁上狭窄があり、小学2年の冬に開胸手術しましたが、無事に終え、その後日常生活に支障はありません。
一方で、程度の差はあるにしても(医療業界で言うところの)発達遅滞・精神遅滞、すなわち、いわゆる(教育・福祉業界で言うところの)知的障害があります。
そこら辺は、一応精神科・心療内科の領域となってはいます。
ただ、夢も希望もないことをぶっちゃけてしまえば、知的障害それ自体が「治療」で何とかなるという可能性は(今のところ)ほぼゼロです。
無理にどうにかしようとすると、かえって精神的な二次障害が起きたりすることもああったりなかったり。
ウチは、まあ、(上手いことやってきたし、やっているので?)そういうこともなく、結果、精神科医を必要としたことはありませんし、今も必要ありません。
ということが前提にあるものですから・・・
障害年金申請にあたり「診断書が必要」になったため、Nクリニックという精神科を訪れたのが初めてでした。
その時3、4回通院して診断書をいただき、「じゃ、次の診察は(更新とか)何か用があったらで」という話にまとまったので「うんうん、そうですよね」と安心しきっていたのです。
それが一昨年春。
ところが、約1年後、グループホーム体験・入居の折、用あって再度Nクリニックに赴いたところ、担当していた医師が(院長曰く「急に」)辞めてしまっていたこともあり、何やら不穏な気配が漂いまして。
ウチ的に、診察どころか会ったことさえもなかったその院長先生は、いきなり月イチでの通院を求めてきて、けれど他の医師に診察してもらった時の話し合いでそれを一旦3ヶ月に1回に改めてもらったのに、再度診察の折には唐突に眠剤を処方してそのついでとばかり月イチに戻してきたりとかで。
しかも、それら先方の「方針」について、こちらが理由や意図を聞こうとするのさえ遮り一方的に「宣言」してくる感じで。
これには、あまり自己主張をせず人と争わないことを旨とする(天秤座の)Mommy も怒り心頭。もちろん、基本穏やかで人を信じやすい(魚座の)Daddy さんもマジギレ。
結果的に最後となった診察時など、Mommy と院長先生との険悪な遣り取りに、(蟹座の)V3 さんなどは「ケンカをやめて〜」と思っていたそうな。
そんなこんなで・・・
もうムリ! 別のクリニック探そう!!
となったのが、昨年11月のことです。
そこから、ネット上を彷徨ったり、知り合いの話を聞いたりと、まずは通院候補を絞るためそれなりに動きました。
とは言っても、昨今、多くの親御さんの意識も変わりつつあるのか、評判の良い精神科・心療内科(特に児童精神科をうたっているところ)は初診予約を取るのが非常に難しかったりするのです。
実際、Mommy 知人のお奨めKクリニックは、初診予約受付開始日開始時刻には電話が殺到するようで。全くつながらない、ようやくつながった時は既に予約が埋まってた、という「どちらの人気アイドルコンサートでしょうか」状態でした。
それが昨年12月。
ちなみに、候補の中にメールで問い合わせ可能なクリニックがあったので、こちらの率直に思うところを書いて送ってみたら・・・
年金診断書ですが必ず通院頻度を書く欄があります。月一程度の通院では出なくなってきました。先日よく知ってる先生が年間診断書の審査委員をした際に継続不可にされた例を見かけたそうです。月一は最低ラインと考えたほうが良いです。
あと、診断書を書くというのは医師の好意によるものなので担当医の機嫌を損ねたら書いてもらえません。書いてもらえるのが当たり前と考えてると態度に出やすく思わぬ事態を招くと思うので気をつけた方がいいです。
・・・という「え? 知的障害でもそうなの?」てか「診断書書くのって好意じゃなくて(気分良くかイヤイヤかはともかく)仕事ですよね?」みたいなアドバイスが返ってきた、ということもあったり。これも昨年12月。
次に狙いを定めていたO医院の初診予約受け付け日は、幸い Daddy さんも休みの日で、Daddy の携帯、Mommy の携帯、自宅の固定電話、の3台がかりで攻めまして。
10数分掛け続けて何とかつながり、無事予約も取れました。
それが今年の1月。
というわけで、先日、Mommy と V3 とで行ってきましたよ。
さて、ぶっちゃけ「診断書を書くために必要最低限の通院」というこちらの希望は通るものなのか。次回の診察はいつになったのか。
O医院での遣り取りは、次回以降ということで。
(と、何故か引っ張ってみる)
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今週末も、一時帰宅の V3。
とは言っても、日曜の午後にはグループホームで入居者さんの誕生日会があるとかで、これまでよりは早い出立。
「作品」も、ちょっと早めに仕上げたようで。
「あれ? でも目が白いよ」と言うと・・・
目じゃなくて仮面になった? タイトルは「前夜祭」。
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「ようやく!」というか「まだ引っ張るの?」というか・・・
えーと、とりあえず「個人の判断が基本」は当然として。
妊婦さん・・・う〜ん・・・仮にマスク着用でコロナ「感染」が防げるとしても、息苦しさ、酸素不足で、それを上回る害があるんじゃないかと思わないでもない。
ついでに言っておくと「※事業者の判断でマスク着用を求められる場合〜〜〜があります」という小さな文字の文言が、ちょい気になります。
ま、ウチは、政府が何を言おうが言うまいが、それが「お願い」「推奨」ベースである限り、断っても受け入れなくても良いはずだと、つまり、もともと任意で自由だと考えておりますが。
地元豊橋、向山梅林園にて。
まだちょっと早かった? なので、人出も密々なんてことはなく。
それでも、ほとんどの人がマスクでした。屋外なのに。何だろうなあ💦
一時代を築いた国枝さん。ホント、道を拓いたなあと思います。
「〜〜〜現役生活で何と戦ってきたのかなと考えて、相手と戦う、自分と闘う、もう一つある意味、車いすテニスを社会的に認めさせたい、スポーツとしていかに見せるかってところにこだわってきたというところがあって。もともと車いすテニスの管轄は(障がい者の団体ではなく)国際テニス連盟です。そういう意味では、健常者と障がい者の垣根のないスポーツだと思います。テニスをする中で、それを知ってもらいたい思いも強くあったので、そういった活動はこの後も続いていくのかな、と」
「(2004年の)アテネパラリンピックのときは、まだまだ僕が金メダルを獲ってもスポーツ欄になかなか載らない時期がありました。それをどうにかしてスポーツとして扱ってもらいたい(と考えました)。車いすテニスをやっているとよく『車いすテニスをやって偉いね』って言われたこともあったんですけど、車いすでテニスをやっていることが偉いんじゃなくて、目が悪ければ眼鏡をかけるように、僕は足が悪いから車いすでスポーツをするしかない。『スポーツがしたい』って、皆さん思うわけじゃないですか。結局そこは、特別なことではないと思って。やっぱりアテネの頃は、まだまだスポーツとして扱われないな、福祉として社会的な意義があるものとしてすごく強くメディアを通して伝わっていたのかなと思って、これはやっぱり変えないと、自分がやってることが車いすテニスを通して、車いすテニスってこんなに面白い、予想以上にエキサイトするスポーツだという舞台に持っていかないと。パラリンピックも『共生社会の実現のために』といわれますけど、スポーツとして感動を与えられたり興奮させたりするものじゃないと、結局はそこにもつながっていかないんじゃないかなというふうに思ったので、まずはやっぱりスポーツとしてっていうところのこだわりは相当強く持ちながらプレーしていましたね。〜〜〜」
こちらは本の紹介。
世界で勝てない“善戦チーム”だった日本代表が東京パラリンピックで史上初の銀メダルを獲得。彼らはいかにして強くなったのか!? そんな銀メダルまでの軌跡を追い続けてきたのは週刊ヤングジャンプ『リアル』(井上雅彦)の担当編集者を中心とした取材チームだ。2000年シドニーパラリンピックから20年以上に亘る膨大な取材データから迫る、車いすバスケ男子日本代表のサクセスストーリー。写真家・細野晋司による秘蔵カットとあわせ、チームリアルにしか描けない、車いすバスケの「リアル」がここに!
と帯にあります。
車いすバスケ日本代表はなぜ強くなったのか!? 『リアル』(井上雄彦)取材チームが銀メダルまでの軌跡を描く。カバーは井上雄彦描き下ろし!
●特別対談 井上雄彦×及川晋平(前日本代表HC)
●藤本怜央、香西宏昭、鳥海連志 銀メダル戦士独白!
●アメリカとの決勝戦をプレイバック
●写真家・細野晋司による合宿&東京パラ秘蔵カット多数!…など。
強ければこそ、そのアスリートが障害者かどうかに関係なく魅せられる。
そうして、当事者にとっても、周囲の人にとっても、「別枠なんだけれど別枠でないもの」になっていってほしい。