どうでも良い話。
これまでも、時折ポロッとこぼしたことがあったように思いますが・・・
恥ずかしながら Daddy さん、高校時代(演)劇部でした。実は、中学でもそうだったんですが、まあ、それは置いといて。
先頃、その劇部で一緒だったとある男から、
「名古屋でこんなんあるけど、観にいかん?」(←行かないかい?)
という打診がありまして。
それがこちら。
核戦争の終わったある関西の地方都市。人影もまるでなくなった荒野を行く旅芸人のゲサクとキョウコ。そこにいきなり現れる不思議な芸を持ったヤスオ。ゲサクとキョウコのあてのない旅路にヤスオが加わり、家財道具をリヤカーに積んで三人は荒野を進む。目指すはどこか…。
小劇場演劇の名作『寿歌』が、コトバとともにモノ、オブジェ、身体表現を纏い、新たなる作品として立ち上がります。
何でそんなお誘いがあったかというと・・・
何を隠そう、何も隠さない。
1982年の夏、自分達(ほぼ)17歳、高校生の分際で、大胆不敵にも『寿歌』をコンクールで演ってしまいまして。
そこから40年、今も上演され続けている『寿歌』。
ひょっとして自分ら、時代の先端を行っていた? ってなもんです。
つまり、◯○高校演劇部『寿歌』上演40周年記念観劇会、というわけでして。
と言っても、演劇部同窓の皆さん、今やそれぞれの人生、住んでる場所も状況も違うので、そうそう集まれるものでもなく。
(ほぼ)57歳の男子、3人だけ都合がついたのでした。
というか、当初土曜の夜に3人で、という話にまとまりかけたのを、Daddy さんが、昼なら Mommy と V3 も観たいんだって、などと我儘を言い出したもんだから・・・昼はちょっとな、という1人は金曜の夜、残り2人+Mommy & V3 が土曜の昼に観劇。で、その夜に、男3人で改めて会おう(飲もう)ということになったのですが。
で、言い出しっぺの男が、こんな記事を見つけてくれました。
核戦争の終わった、関西のある地方都市。荒野でリヤカーを引く旅芸人のゲサクとキョウコ、その途上で出会う謎の男ヤスオの3人による掛け合い漫才のような奇妙な旅を描いた『寿歌(ほぎうた)』は、今から43年前──1979年に、名古屋在住の劇作家 北村想によってこの世に生み出された。
当時、北村が率いていた劇団〈T・P・O師★団〉の女優たちの稽古用台本として書かれ、4組のキャストによって演じられたこの戯曲は、名古屋で初演されると瞬く間に評判を呼び、翌’80年には東京で上演。’81年には第25回岸田國士戯曲賞の候補作となる。その後も北村自身の演出で何度も再演が重ねられた他、2012年には堤真一、戸田恵梨香、橋本じゅんの出演、千葉哲也の演出でシス・カンパニー公演として上演されるなど、全国各地のさまざまな劇団やプロジェクトによって幾度となく上演され続け、愛され続けてきた名作だ。
記事にあるように、この度の『寿歌』は「人形劇」と言ってもむしろ「人形浄瑠璃」と思っていただいた方が良いのでして。
実際、人形使い(人形操演)さん達のパフォーマンス込みで観てくださいね、という演出のようで。
確かに、彼ら彼女らは人形を操るだけでなく、時に、人形と一緒になって芝居をしてましたし。
そこを含めて、良かったです。
加えて思うに、
今回は、話の筋を知っていて、かつ、何なら台詞も概ね覚えている芝居を、現実に目の前で観ながら、頭の中では40年前のあれやこれやが立ち現れ、それらが交差してくるという、何とも言えない感覚が味わえて、ホント良かったです。
で、夜は予定していた飲み会(実際飲んだのは1人だけだけど)。
舞台について、3人の意見が完璧なまでに一致したのが、
「○クン出てきた!」
でした。
芝居にヤスオという人物が出てくるのですが、その人形さんのお顔が、劇部で同じ役を演じた○クンという男に、あまりにも似ていて。マジで。
いや、ホントたまげました。
そのヤスオの声を担当していた山内庸平さん、めちゃイケヴォイスでくらくらしました。
その頃、一足先に帰っていった Mommy & V3 ですが、
豊橋駅のイルミネーションを堪能していたそうです。
(Mommy、購入から間もない携帯を使いこなしてます)
おー、路上ライブの人がいる。
ところで、Daddy さんの今回電車往復中のお供はコチラ。
大学の仲間が20年ぶりに劇団を再結成した。一日限りの公演に向け、それぞれ仕事や家庭を抱えながら稽古に参加する。演目はシェイクスピアの「オセロー」。昔の仲間と集ううちに、実生活で抱えている問題が役柄とリンクし、自分自身を見つめ直すきっかけとなってゆく――。不惑を越えてなお惑う男たちに、温かなエールを贈る物語。
双葉社:劇団42歳♂
https://www.futabasha.co.jp/book/97845755238290000000?type=1
42歳「男子」達が抱えるアレやコレやと『オセロー』の筋や上演までの進行とが絡み合うという、いわゆる「バックステージ」もの。
う〜ん・・・「男子」って、もっと単純に「バカ」だろう、と思わなくもない、ところがなくもない、のだけれども、面白かったです。
閑話休題。
高校演劇といえば、コンクール時には出場校の演目、スタッフ・キャスト等を紹介するパンフレットがあるのですが・・・
いやいや、世の中には物持ちの良い人がいるもので(Daddy さんではない)。今もちゃんと在るんですね。
せっかくなんで、1982年7月、東三河地区予選のソレにある我が母校(つまり自分達)『寿歌』の上演意図を紹介しましょう。
でも、その前に、参考として他校のもので地ならしを。
△△高校の場合
人はある目的を果たすために人に影響されやすくなり、自主性を失います。
気が弱く妥協しやすい御主人と奥さんは息子を大学に入れるため、隣人に薦められた評判の良い家庭教師赤坂のいいなりになり自主性を失います。私たちはその赤坂と御主人と奥さんのかけ合いを重視し、面白、おかしく作りました。その中で、現代において自主的でなければならないか考えてみたいと思います。
□□高校の場合
コタツに入って、窓の外にさがっているツララを見ていると、そのキラキラとした輝きのうちに、いろんな幻想が生まれてはきませんか?
昔、父祖たちが孫を前にして語った時の、あのモヤモヤとした不思議な雰囲気が、これら人物を通して、舞台の上にほんのりと漂うように努力しました。
こういったのが、まあ普通というか、一般的。
では、それを踏まえて、我が「劇団17歳♂+♀」の『寿歌』上演意図を。
ゲサクだす
キョウコだす
陽気に元気にいきいきと
我ら九重五郎吉一座宣伝隊
ははは……イツカオモイダシテ……
(カオスの中からコスモスが生まれる……って囁いたひとがいる!)
何じゃ、そりゃ! 書いたの誰よ! です(Daddy さんではない)。
確かに、色々オモイダシタけどね。
とりあえず「若さが眩しい!」ということにしておこう。
ちなみに大会の結果ですが、出場13校の内、3校が県大会へ進めるというところ、僅差の4位でした。それで、うっかり「こんにゃろめー」とか思ってしまった人数名(主に男子)がいて。後に道を踏み外したりなんかもしたのだけれど、それはまた別の話。
そんなわけで・・・
そうさのう、「劇団57歳♂」でも行ってみますか?
いや、ないない。
・・・なんて不穏なことを考えながら、妻子の後追いでイルミネーションを楽しんだ Daddy さんでした。
あー、でも、劇団67歳♂なら行けるかも。皆、暇だろうし。
いや、そうなのか?
翌日曜日、例によって生モミの木にクリスマスの飾りを施す V3。
毎年言ってますが、光りません。
そうしてグループホームへ帰っていった V3 から母宛のメッセージ(を Mommy がDaddy に転送したもの。Mommy、ここでも、それなりに使いこなしている)。
こちらは、直接父に届いたもの。
楽しんでもらえて良かったです。