自慢じゃありませんが・・・

 

Daddy さんてば、小学1年から中学3年まで、義務教育の9年間、いわゆる「小さい順」でず〜〜〜っと一番前でした。

 

なので、こちらのニュースには、正直、「はい?」というか、「ええ?」というか、咄嗟に意味のある言葉が出て来ない感じでした。

 

 

 小学校で当たり前のように行われている「背の順」による整列。それに異議を唱える声が上がり、波紋を広げています。

 公立小学校教員・松尾英明氏:「背の低い順に並ばせるのは差別である」

 自らの著書で、こう訴えるのは、現役の公立小学校教員・松尾さんです。

 

 〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜

 

 松尾氏:「全体の数%の子たちが、すごく嫌な思いをしている。その声が全体の中の少数派であったとしても、少数派の人たちに目を向けること自体がものすごく大事なことだと思うので、私はすごく意味があることだと思っています」

 

 

 

そうかー、性の低い順に並ばせるのは「差別」で「いじめ」だったのかー。

 

ごめん、Daddy さん、全っ然自覚ありませんでしたー。

 

 

でも、薄っすらと「アナタね、そんな鈍感なことじゃダメですよ」くらい言われてるような気分がしないでもないぞということで、ニュースの元ネタ(プレジデント・オンライン、松尾英明さんの記事)に当たってみました。

 

 

以下、引用部以外、あくまでも個人の感想です。

 

なので、ひょっとして、他にも9年間ずっと一番前だったという人がいて、全く違う感想を持ったとしても、それは当たり前のこと。

 

そういう大前提で面白がってくだされば幸いです。

 

 

 冷静に考えて、背の順に並ばせるのは、身体的特徴による差別の誇示である。背丈という本人にはどうしようもない身体的特徴を並べて比較し、小さい方から大きい方へと序列をつけて並べる。一番小さい人と一番大きい人を確定して、誰の目にも明らかなように序列を公表する。

 

 これが身体的特徴による差別であることは、大人が会社等でこれを強制されないというのを考えればわかる(体重順に並ばせるのも全く同じことである)。明確な差別であり、いじめの類の行為である。

 

 

う、う〜ん・・・

 

そりゃ「誰の目にも明らか」にはないかも知れないけれど、別に順番に列べても列べなくても、誰が大きくて誰が小さいかくらい、どっちにしても分かっちゃうと思うんだけどなあ。

 

「大人が会社等でこれを強制されない」ことをもって「身体的特徴による差別」の証拠になる、というこもないでしょうし。

 

 

 背の低い子どもは、周りに比べて自分の背が低いという身体的コンプレックスを抱えている可能性が高い。しかし、背の順に並ぶことが学校で何の疑問もなく当たり前とされているからには、そこに異議を唱えることなど、考えられない。常に列の先頭に立ちながら、自分の背が低いことをそのたびに再認識させられることになる。

 

 

いやいや、ホント「常に列の先頭に立」ってましたけど、それで「自分の背が低いことをそのたびに再認識」なんてしてませんよ。

 

何も考えず、ひたすら「前へ倣え」で動かないことに集中してました。

 

そりゃ折りに触れ「自分背低し、もちっと大きくなりたい」くらい思ったことはありますよ。けど、そんなの、背の順に並んだ時、に限らないし。

 

てか、身長以外でも、それぞれがそれぞれにコンプレックスを抱えているのが「若人の特権」というもので・・・

 

 

 これらのことをまとめて考えると、背の順をやめることは、子どもの主体性向上につながる。なぜならば、無思考に不条理に従うという悪習を脱し、人権について真剣に考え、見直すきっかけとなるからである。

 

 

いささか論理の飛躍を感じるのだけれども、そうかー、Daddy さん、主体性が足りなかったのかなー。

 

 

 

てな感じで。

 

 

賛成する人も疑問を感じる人も、あるいは、上手く言えないけど何かモヤモヤする、という人もいるのではないかと思います。

 

ともあれ、反響が大きかったのでしょう。続報という感じで第二弾がありました。

 

 

 そもそも背丈というのは、本人にはどうにもしようがない固有の身体的特徴である。本来、そこに優劣はなく、比較するものではない。にもかかわらず、わざわざ誰の目に見てもわかるようにきっちり序列をつける。これは「差別」である。

 

 

いや、だから「順」に並べたからと言って、それで優劣つけてるわけでも、比較してるわけでもないと思うんのだけれども。

 

まあ、確かに「序列をつける」という表現をされればキツく感じますけどね。

 

 

 だが、最初にどうしても述べなければならないことがある。それは「背の順で苦しんでいる人が存在する」というただ一点の紛れもない事実である。反対意見の人はそれを無視するか、ひどく軽視している。

 

 彼らは全体から見ればマイノリティーである。学級の中で最も背丈の低い子どもは、1人しかいない。かつての男女別の2列であっても、学級で2人である。あとは、「2番目、3番目で、いつ自分が一番前になるか」と戦々恐々としている子供も加わるかもしれない。

 

 逆に、背が高いがゆえに後ろで苦痛を感じている人もいる。「平均から外れている人」というのは、いつだってマイノリティーの側である。

 

 

「苦しんでいる人が存在する」「苦痛を感じている人もいる」というのは、それはそうでしょう。否定はしません。

 

「平均から外れている人」=「マイノリティ」と言えるかどうかは、正直、微妙なところですが。

 

 

 苦しんでいる人がいるとわかったから、変えよう。筆者の主張はただそれだけである。もちろん周囲には筆者と同じ意見を持つ教員や保護者も多い。彼らも日本における「背の順」意識の植え付けは人間形成上よくないと考えている。

 

 

うん、まあ、一応、そうなんですけどねえ。

 

でも、そうしたら、松尾さんが書いているように、常に「名簿順」でいくとして、例えば“アイ”さんが「いつも一番前(最初)で嫌だ、苦痛です」と言ったらどう対処するんでしょう?

 

身体的特徴ではないにしても、名字だって「本人にはどうにもしようがない固有の」ものですよね?

 

 

 背の順はその一例に過ぎないが、子供たちは数々の「不合理」(厳しすぎる校則など)に慣らされていく。すると、次第に「なぜこれをするのか?」「これはおかしいのではないか?」と考えなくなる。これは、少なくとも人を育てる教育機関たる学校がしていいことではない。

 

 

常に名簿順にしたって、やっぱり「不合理」でしょうし、それに「慣らされて」いるだけ、と言えなくもないような・・・

 

そこのところを松尾さんご自身が「なぜこれをするのか?」「これはおかしいのではないか?」と考える必要はないのかしら、と思ったり思わなかったり。

 

教師として、それは良いんですかね。

 

 

 

というわけで、第二弾を読んでも、やっぱり微妙。

 

 

「苦しんでいる人がいるとわかったから、変えよう」というのは、そりゃ、一般論としてはそうでしょう。

 

でも、変えたら変えたで、やっぱり他に苦しむ人が出るわけで。

 

だったら、どうしろと、と問われそうですが、そうですね、そこは程度の問題。

 

 

辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、

 

生きてく中で、どうしようもなく理不尽な目にあった時、

 

避けるばかりでなく、どう受け止めるか、いかに超えていくか、

 

そっちの方が大切なんじゃないのかな、と思う次第です。

 

 

Daddy さんの感想は、まあ、そういったところでして。

 

そう、おそらく、そこら辺が、モヤモヤの正体ではないかと。

 

 

さて、Daddy さんは、一読して疑問を感じてしまったので、当然、そういう文脈で引用してます。

 

なので、もし、松尾さんの真意は別のところにあるのかも、という方は、是非、リンク先、全文読んでみてください。

 

違う側面からの気づきがあるかも知れません。

 

 

ちなみに、松尾さん、同じ「プレジデント・オンライン」で、他にも、

 

手出し口出しをしたら、一生子供の面倒をみることになる――よかれと思って子供に「勉強しなさい」と言った親が、生涯かぶることになる"ひどい災難"

 

とか、

 

「他人に思い切りボールをぶつける」がいいわけがない――必死に逃げ回る人間を的にするドッジボールは「人間狩猟ゲーム=弱肉強食思想」の教育だと断言できる理由


とかいった記事も書いてます。

 

興味のある方はこちら(↓)を。

 

 

 

 

さらに興味があるという方はこちらを。

 

そもそも〈「背の順」は身体的特徴による差別の誇示〉というは、こちらの本にある話でして。

 

言うのも野暮ですが「不親切教師のススメ」というのは「不親切こそが親切」という含みですね。

 

でも、だからこそ、「背の順」くらい(!)のことで、ここまで「親切」になれちゃうってのはどういうことだろう、とか思わないでもないのだけれども。

 

 

「きめ細かな指導」「個に応じた指導」が重視される学校、そして先生たち。が、度を過ぎて「親切すぎる」「丁寧すぎる」対応や習慣が多いとは思いませんか。

 

それにより先生方もたいへんな思いをしていますが、実は、これが子どもや保護者を苦しめる原因となっているのでは……という問題提起とともに、「そもそも教師がやたらと”親切”なのはなぜなのか」の考察、教師があえて”不親切”になることで子どもたちを主体的に伸ばすことができるのだという大胆な提案まで、新進気鋭の現場教師である著者が超具体的な例を通して書き下ろしました。

 

 

【もくじ】

 

一、「楽しい授業」をやめる
――親切・丁寧・サービス満点をやめて、学力向上
 1 サービス満点の「楽しい授業」を捨てる
 2 やってる感で○つけをしない
 3 不親切こそ学力を向上させる
 4 寄り添い過ぎれば「つきまとい」
 5 学習を我慢させない
 6 「漢字が書けないと将来困る」のウソ
 7 読めない漢字もばんばん板書
 8 「○○ができない」で困るのは誰か
 9 「できる」以外の目標を

 

二、習字の掲示をやめる
――教室環境をこねくりまわさない
 10 教師が作る美しく整った教室掲示
 11 同じ字を並べて掲示する意味は?
 12 「私の選んだ字」で個の掲示
 14 個人別クリアファイル掲示物
 15 教室のモノの配置
 16 教室に「子どもだけの空間」を

 

三、「してあげる」をしない
――担任がすべてを請け負わない
 17 名前シール貼りの親切
 18 「主体性をもたせる」?
 19 「休み時間を削って授業」は権利侵害
 20 あえて一緒に遊ばない
 21 休み時間は「みんな」で「ドッジボール」
 22 「一人ぼっち」の子ども
 23 百点満点をほめるより
 24 勉強しなさいと言う代わりに

 

四、「揃える」をやめる
――時代おくれの根性論排除
 25 真夏も真冬も体操服は同じ
 26 体操服指定縛り
 27 「標準服」の合理的配慮
 28 「揃えない」ことで自由になれる

 

五、「きちんと座りましょう」のナンセンス
――個性や発達の違いを理解する
 29 「座りなさい」より「歩いてもいいんだよ」
 30 「乱暴な子」と言われてしまう子ども
 31 発言できなくても構わない
 32 「喋らない子」はよく聞いてくれる子
 33 「背の順」は身体的特徴による差別の誇示
 34 髪型・服装指導問題 その1
 35 髪型・服装指導問題 その2
 36 左利き用文房具
 37 給食は「完食」が目的じゃない
 38 「苦手なもの」はあっていい

 

六、かわいい子には……
――「危ないからやらせない」が将来一番危ない
 39 子どもの危険対処能力
 40 学校は「安全第一」
 41 鬼ごっこは「自己責任」
 42 子ども同士のけんか
 43 破る者がいる前提のルール

 

七、子どもの家庭を覗かない
――それこそ余計なお世話であると知る
 44 家庭にも不親切教育をすすめよう
 45 親切な教師は、毎日宿題を出す
 46 宿題を出すのならば
 47 「母の日」「父の日」はスルー
 48 「早寝早起き朝ごはん」ができない家庭
 49 感謝の手紙を「書かされる」違和感

 

 

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

 

人生、「本人にはどうにもしようがない」ことは沢山あるよ、そこは受け止めるしかないんだよ、という前提で書かれている本もあります。

 

拙ブログを長く読んでくださっている方であればご承知のことと思いますが、Daddy さんは、モチのロンで、そういう姿勢の方が好ましいと考えております。

 

 

子どもに親は選べない、どんな環境に生まれるかは運任せ。最近話題になっている「親ガチャ」という言葉があらわすのは、遺伝と環境要因がすべてを決めるので、努力することに意味はないと言った若者の諦念である。
 

確かに遺伝が、あらゆる要素に影響するのは事実である。しかし、遺伝についての最新の知見は常に更新されている。専門家ではない人間が過去の研究結果を軸に、あたかもそれが唯一の真理のように語るのは非常に危険である。
 

本書では、行動遺伝学の専門家が、一般読者の遺伝についての素朴な疑問に答えるとともに、遺伝における不平等を前提にしたうえで、「いかに自分らしく生きていくか」、「幸福に生きるのか」。そのための方法を論じていく。

 

 

目次

 

第1章 遺伝とは何か──行動遺伝学の知見

Q 勉強もスポーツもパッとしません。スクールカースト上位の人が羨ましい。結局、そういう才能って全部遺伝じゃないんですか?
COLUMN 遺伝率の算出方法/共有環境、非共有環境には、どんな要因が含まれる?
Q 子どもの頃からピアノを習っているけど、親が「練習しろ」とうるさく言うせいでイヤになってきた。親も楽器なんて弾けないのに。どうせ音楽の才能も遺伝なんでしょ?
Q 遺伝とか言っても、やっぱり大事なのは環境でしょ? 環境がなければ始まらないじゃないですか!?
Q 人の才能は遺伝子で決まってしまうの?
Q そもそも才能とは何でしょうか?
Q 知能って本当にテストで測れるの?
Q 兄はスポーツも勉強もできるのに、弟の自分ときたら……。
Q 親ガチャに外れたら、負け組決定ですか?

 

第2章 学歴社会をどう攻略する?

Q 少々無理してでも、偏差値の高い中学校に行った方がよいですか?
Q 理学部に進みたいけど、女子は理系に向いていないというのは本当?
Q 親はネットのことも何も知らないし、はっきり言ってバカなんじゃないかと思う。
Q 勉強を頑張れる粘り強さも生まれつきの才能じゃないんですか?
Q 学校生活にどうしても馴染めない。部活もまったく楽しくない。親からは、そんなことでは社会に出てもやっていけないと言われる。
Q 勉強のできる子と付き合うようにしないと、子どもがダメになっちゃうんじゃないかと心配です。
Q これから大事なのは、勉強ができるかどうかじゃなくて、コミュ力なんじゃないですか?

 

第3章 才能を育てることはできるか?

Q 子どもの時にはできるだけたくさん習いごとをさせた方がよいのでしょうか?
Q やっぱり田舎にいるより、都会に出た方が何者かになれるチャンスは増えるんじゃないですか?
Q 子どもがずっとゲームばかりして、部屋も片付けない。好きなことだけやっていて、まともな人間になれるのでしょうか?
Q 年収が高い家庭ほど、勉強だけじゃなくてスポーツもできるって本当ですか?
Q やりたいことが何もないし、得意なこともありません。いったい自分はこれからどうやって生きていけばいいでしょう?
Q 没頭するのは何でもいい? ソシャゲの課金にハマってもOK?

 

第4章「優生社会」を乗り越える

Q 知能が高いほど、収入の高い仕事に就けるのでしょうか?
Q 女性の賃金が男性よりも低いのは、女性の能力が低いからなんですか?
Q いい家柄の子どもは、やっぱり有利だと思う。
Q 知能の高い人でないと、まともに稼げる仕事には就けなくなるのでは?
Q AIが発達してくれば、人間の仕事なんてなくなるんじゃないですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

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「不親切」を標榜しつつ「苦しんでいる人がいるとわかったから、変えよう」という松尾さんなら、どう考えるでしょうか。

 

 

内閣総理大臣と厚生労働大臣に対して、下の2項目をお願いしたいとして、署名活動している高校生グループがあるそうです。


①屋内外問わず、マスクの着用は任意であり強制ではないと公言して頂く
 
②屋内外問わず、マスクの着脱を、他者に強要してはならないと公言して頂く

 

 

小・中学生、高校生にとっては、大人以上に切実な願いだと思います。

 

応援します。応援しませう。

 

 

マスクは本来、任意です。しかしながら、近年の日本は同調圧力により、強制と化しています。 そんな日本社会に異議を唱えるため高校生で立ち上がりました。 つけたい人はつける、つけたくない人はつけなくていい、そんな「当たり前」を当たり前にしませんか?