今日はスペイン人のカップルと、香港人カップルの二組四人のお客さん。

 

予約申し込みがスペイン人だが、旦那さんは何処の国の人か訊き忘れた。

 

香港人達はレンタカーで来られたが、着いたのが6時近近かったので、来るか来ないか心配した。

 

もう一組二人の予約が入っていたが、一週間ほどキャンセルになっていた。

 

予約カレンダーを一部屋空きに書き換えようと思ったら、妻が「四人居れば充分!満室のままにしておいて!」というのでそのまま。

 

疲れるのが、妻の方が激しい。

 

寝ます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洗って乾かしておいたバインダー(稲刈り機)を、注油したり塗布して片付けた。

 

運搬車は来月脱穀時に使うので、洗っただけで注油や整備をしていない。

 

 

 一昨日、東京の吟友から葉書が来て、吟友が亡くなられていたとの報せが書いてあった。

 

・・清水岳慧先生、七月の猛暑のさなかに天上の席に赴かれたと、つい数日前に耳にしました・・・

 

吟友というものの、私の母親と同じ九十二歳だったと思う。

 

最初に会ったのは二十年くらい前、諏訪岳風会さんの講習会に呼ばれた時、慰労の席でご一緒させて頂き、その後名古屋の大会で同席したことが有るので、会ったのは二度。

 

清水先生のお父さんが茅野の人で、名取岳柳という岳風先生の直弟子。

 

東京に居た名取先生は肺を患い、故郷の茅野に帰る時、岳風先生に「息も続かず声が出ないので詩吟を辞めます。」と伝えたところ、「漢詩の吟詠ほど肺活量が要らないから、和歌の朗詠を研究しなさい。」というアドバイスで、その方面の大家となられたと聞いている。

 

私が詩吟を始めた昭和四十年代後半に、岳風会の長野県吟界では「俳句吟は竹ノ内岳宗、和歌詠は名取岳柳」という言葉が有り、長野県でその分野の第一人者として後進の目標とされていた存在だった。

 

俳句吟を竹ノ内先生に習っていた時、和歌も教えてくださいとお願いしたところ「わしより和歌は名取先生の方が好いから、名取先生にお願いしてあげよう!」と言って、私の為に吹き込んだ名取先生のテープを頂き、和歌の詠じ方の練習をさせて頂いた。

 

名取先生の和歌詠の特徴は、「高尚さ」だと竹ノ内先生は言われたが、「わしよりも好いから‥」というのは勿論、謙遜で、竹ノ内先生の和歌詠も素晴らしい。

 

幾つかを詠じて、詠じ方の要領を解説したカセットテープには、微かに柱時計の カッ カッ カッ と秒針を刻む音がして、居間のようなところで吹き込んでくれたのだろうと、先生を身近に感じたことが思い出される。 

 

講習会を受講したことも二度ほどあり、直接言葉を交わしたことは無かったものの、和歌詠では大きな影響を私は受けた。

 

名取先生を知る人も殆ど無く、娘さんの清水先生は、お父さんの思い出話を私とできることを凄く喜んでくれて、お中元とお歳暮を必ず送ってくれて、それに対して私からの米や山菜、お餅などを送る度に、電話で声を聴いたり手紙のやり取りができること幸せを感じていた。

 

七月の終わりにお中元の缶ビールを受け取った頃、電話をしてもお出にならなかったので、先生はお亡くなりになっていたのだろう。

 

「他人の妬み(ひとのねたみ)ほど怖いものはないですよ。」

「先生も気をつけなさい!」

名取先生の娘さんということで、叩かれたり引っ張られたことも多かったのだろう、そう仰っていた。

 

品の好い、きれいな人だった。

 

 

 SNSで知り合った他流の女性吟詠家がいて、真面目な人なので詩吟に対しても突き詰めて考えてしまうため、悩みも深く大きい。


流派の存続が危ぶまれ、流派の特徴ある多様な節回しの吟詠が消える中、何を護っていったら好いのか‥。

 

私も同じ思いで、悩みは尽きない。

 

私の手作りCDと資料が欲しい言うので、今日お送りした。

 

若い吟友の参考になれば嬉しい。

 

 叔父さんとTさん家族は8時からの朝食。

 

叔父さんは「昨日、あれだけ食べたのに血糖値が上がっていない。」と言って驚いていたが、異常が無い方が好い。

 

腕に付けたセンサーで、スマホをかざせば数値やグラフを見ることができ、データは即座に病院に送られるのだとか。

 

我が家は祖父母に糖尿病の気(け)があり、親父も一時酒を辞めて焼酎にしたり、糖尿病に悩まされていた叔父叔母がいる。

 

私も気をつけないといけない。

 

 なかなか去りがたく、別れがたく、玄関前で写真を撮ってからも、玄関先や玄関内で話が尽きない。

 

多分、10時頃出発して行かれたような気がする。

 

 

 三日前、アメリカ人の四人二部屋の今日の予約が、健康上でという理由でキャンセルになっていた。

 

珍しく最後に、申し訳ないがキャンセル料をどうしたら好いか‥という問い合わせが書いてあったが、キャンセル料は頂いていないと返信してそれで終わり。

 

いろんな人が居て、日程の変更が有ったのでキャンセルは仕方ない!と書いてくる人や、都合が悪くなった‥といった理由でのキャンセルを正当化する人が居て、「仕方がない」という言葉はそちらが使う言葉じゃないだろう!と突っ込んでみたり‥。

 

最初に謝るべきだろうと、日本人の私は思う。

 

そしてもう一組、日本人が電話で二人の予約をして来た。

 

メールができると言うので名前を聞いて、メールでの申し込みをお願いした。

 

その後メールが来ないのだが、名前だけ聞いただけで電話番号も控えていないため、確認のしようがない。

 

多分来ないと思ったが、それでも万が一来ても好いように仕度をして待っていたが、やはり来なかった。

 

おかげさんで、今日は思いがけなく民宿の休日となった。

 

 今日も暑く、12時半頃で33℃越え

 

毎日飲み干すペットボトルの量が凄い。

 

 

 今日は最初、オーストラリア人女性一人の予約が入っていた。

 

その後、私の叔父さんから六人三部屋の予約が入って来て、普通のお客さんなら受けないのだが、叔父さんの頼みでは断れない。

 

しかも叔父さん夫婦の他の四人は、叔父さんの会社の元上司で、我が家にも幾度となく来ていたご夫婦とその娘さん夫婦。

 

叔父さん夫婦には、普段物置にしている部屋になることを承諾してもらっていた。

 

 その後、オーストラリア人女性から、もう一人を追加できないか‥という申し入れが有り、これ以上受け入れられないとお断りしたところ、二人して他の宿にするからキャンセルする‥という連絡が有り、我が家としては助かった。

 

普段なら、一つの部屋に一人より二人の方が効率が好いのだが、六人位が丁度良い人数の我が家で、八人は多すぎるし、物置部屋まで使いたくない。

 

 

 叔父さんは地元の高校を卒業後、全国規模の運輸会社のトラック運転手として大阪の会社に入社。

 

そして、退職する時には子会社の役員をするなど、同期が大卒の中、高卒で現場からの叩き上げでは異例の出世だったらしい。

 

あまり話さないが、相当悔しい思いもし苦労もあったことだろう。

それでも人の好さと実績を上げることで、周りの理解と協力を得られ、誰もが相応しいと認める地位に上がって行ったのだろう。

 

その叔父さんを引き立ててくれた上司が今日来られたTさんで、我が家に本当に何回も来られていたが、ここ二十数年は来られなかった。

 

今回娘さん夫婦と一緒なので心強く、車の運転もする必要がなく、大阪へ往復できる。

 

ニ十数年経てば風貌の老いは隠せないが、頭の切れの好さは相変わらずで、酒も料理も健啖家ぶりは流石。

 

毎年のように病気をしては復活しているそうで、やっと来ることができたと喜ばれていた。

 

また元気で来て欲しい。

 

 お土産

 

叔父さんから頂いた

 

これは一昨日のフィンランドに住むK君の姪から頂いた

 

K君から

 

Tから

 

みんな!ありがとう!‼

 

 K君達三人は7時から朝食を食べ、8時前に私達夫婦と写真を撮り出発して行った。

 

姪御さん達夫婦は電車で中津川に行き、中津川を散策するつもりだと昨夜は言っていたので、南木曽駅で別れて行ったのだろう。

 

電車の時間まで余裕が有るので、桃介橋に行ってみると言っていた。

 

何時頃帰宅したか分からないが、無事に着いたというLINEが来て一安心。

 

 

 稲刈りが終り、時々雨の降る天気で気の抜けたようになっている。

 

お昼は妻がフレンチトーストを作ってくれたので、お袋と二人で食べ、妻は三女と孫達を連れてラーメン屋さんに行って昼食。

 

先日、どんがめ沢の水飲み場の看板が風で飛んでしまい、通る人が知らずに歩いて来る。

 

家の前の石段で腰かけて休んでいる外国人グループがいて、持っているペットボトルの残りの水が少ないので訊いたら、馬籠から歩いて来て妻籠に行くと言う。

水を飲まなかったと言うので、一人連れて行って教え「ドリンク OK!」と言ったらペットボトルに水を入れ直し、仲間を呼びに行っていた。

 

前と同じでは直ぐ壊れて飛んでしまうので、今度はそうめんの入っていたベニヤ板に取り付けて針金で固定しておいた。

 

まだまだ日中暑いので、きっと喜んでもらえるだろう。

 

 

 妻も疲れていて、夕食の支度が大変なことから、長女の旦那に頼んでケンチキや手巻き寿司用に刺身を買ってきてもらい、9人で夕食。

 

食べ過ぎた。

 

 9時頃から稲刈りを始め、長女の旦那が来てくれて、次女のところの四女も、三~四把にまとめるお手伝い。

 

長女のところの二番目の孫が来てくれた。

 

稲架掛けする高二と小五。

 

長女の旦那は運搬車で運んでくれる。

 

後から妻や、長男のところの嫁さんと二人の孫も来てくれた。

 

高二は稲架を結うことにも挑戦。

 

手直しは必用だが、自分でやってみようという積極性が凄いし嬉しい。

 

腰の痛い妻も頑張っていて、長女の旦那は稲架掛けもお手のもの。

 

今日は長男が仕事で居ないので、バインダーで稲刈りする者が居ない。

 

私が稲を刈っては稲架を結っていたが、稲架を結っていては稲刈りが出来ない。

 

バインダーに触ったことのない長女の旦那に頼んで稲刈りをしてもらい、私が稲架を結えたので助かった。

 

昼時に、午前中の仕事を終えた私の三女が来てくれて、お昼のカレーをみんなで食べ、午後からは仕事が捗る

 

3時にはアイスクリームを、次女のところの孫が持って来てくれたり、賑やかに作業。

 

何人か先に帰ったが、長女の旦那とその次女(高二)、長男のところの長女(高一)に三女、私と五人で最後まで作業して6時に稲刈りを終えた。

 

機械類や諸々を片付けたりしてから、シャワーを浴びて民宿親父の仕事に突入。

 

年間の民宿の予約を受ける時、大体この辺が稲刈りだろうと、今日は休みにしてあったが、常連特権でK君が姪御さん夫婦を連れてきている。

 

妻は7時からの夕食に時間を送らせてもらっていたが、結局食べ始めてもらったのは7時半近かった。

 

姪御さんは、フィンランド人の旦那さんとフィンランドで暮らしていて、五年ぶりの帰国だそうだ。

 

K君が定宿の我が家で日本らしい体験をさせたいと、連れて来たのだろう。

 

全て美味しいと言って完食し、流しそうめんも喜んで食べていたが、時間が遅いのでお腹が空いて何でも美味しく感じたのだろう。

 

「木曽節」はK君も唄えるので、後をつけてくれるので助かる。

 

シャイな旦那さんで、「長持ち唄」では声が小さいが。異国の地で異国の歌を歌わせられることになるとは思わなかったことだろう。

 

稲刈のバインダーと一緒に歩くので、今日は二万歩くらい歩いているかと思ったら、約一万五千歩だった。

 

やはりくたびれた

 

 今日は9時半から12時迄一人で稲刈。

 

田んぼにはまだ少し水が漬いているところがある。

 

妻はお袋を連れて整形外科医院へ。

 

腰の痛い妻に無理はさせられない。

 

昼前にやった成果。

 

午後1時25分に三留野分館へ。

 

半から木曽部会理事会師範会。

審査会や県大会の出吟について打ち合わせ。

 

3時に終了し、片付けて家に帰り3時半から稲刈りを再開。

 

4時半頃から妻が来て、開田記念碑の前の石垣の草を刈ってくれた

 

6時20分に上がって、家に帰ってきた。

 

最後の方は足が動かない。

 

ほんの少しづつの稲刈りでも、稲刈りして稲架を結い、稲束を集めて稲架掛けして‥を、繰り返す。

 

 6時42分、花オクラとパンを食べて出発。

 

パンだけでは足りず、木曽町神谷の信号脇のコンビニでお結びを一個買い、食べて行く。

 

権兵衛トンネルから伊那インターで高速に乗り、8時20分辰野Pでトイレ休憩。

 

岡谷インターで降りるつもりだったら、岡谷ジャンクションの1kmくらい前から工事渋滞。

 

岡谷を諦めて先の諏訪インターで降りて、諏訪市地蔵寺に8時45分着。

 

地蔵寺の庭園

 

目的は、写真中央の奥にある曽良の句碑を撮ること。

 

曽良と言えば、芭蕉の奥の細道に随行したことで有名だが、横に植えられているのは芭蕉ではないか!

 

今まで何も考えずに見ていたが、植えた人の遊び心が感じらる。

 

 こころせよ 下駄の響きも 萩の露

                         曽良

 

今までも何枚も写真を撮ってきたが、丁度萩の花も咲き、露もあり、好い時に行った。

 

句碑

 

大急ぎで写真を撮り、9時に記念館に到着。

 

先生方に挨拶。

 

長野県連合会の研究指導部会が9時半から予定されていたが、全員が集まったことから9時18分開会。

 

研究指導部会には三十年近く前から部員として参加しているが、この度、副指導部長に指名され、進行する側に立つと戸惑うことも多い。

 

自分にできることで改革したいと、出来るだけ上着やネクタイを外すことを提案。

 

上着やネクタイを取ることで、熱中症予防と、室温を少し上げられることがらエコのために。

 

そして堅苦しい詩吟を、ざっくばらんに意見の出しやすい雰囲気にするためだったが、自分では好かったと思う。

 

午前中は教本の律詩を勉強。

丸山指導部長と二人で、少し踏み込んで、細かな留意点や個人の改善点も指摘させて頂いた。

 

12時から昼食休憩。

 

午後は40分から、丸山先生から夏季吟道大学講座で受講した、俳諧紀行文 『奥の細道』より「忍ぶの里」を講習して頂いた。

 

ただ講習を受けるだけでなく、数名の先生に詠じて頂くことで、細かな部分まで勉強ができたことと思う。

 

2時半に閉会して散会。

 

五十年前、昔の岳風記念館に通っていた頃、山本岳駿という岳風先生直弟子の先生がみえた。

先生の妹さんがやっている蕎麦屋さんを確認し、今日は休みだったが機会があれば寄ってみたい。

 

諏訪湖の水門近くの「琵琶湖周航の歌」の歌碑を見に行き、写真を撮って来た。

 

 

水門

 

湖畔の歌碑と、作者の像。

 

小口太郎像

 

これらの句碑や歌碑の写真は、県大会の構成吟で使うつもり。

 

3時半に車を出し、途中のコンビニでコーヒーを買い、今度は塩嶺峠を越えて、塩尻市内のいつも買うケーキ屋さんに寄ったら閉店していた。

 

その後、19号をノンストップで帰ってきたら、5時50分

 

車の運転もだが、詩吟で他の先生に色々と改善点を指摘することは気を使う。

 

くたびれた・・。

 

 二組四人のお客さんは7時半からの朝食。

 

名古屋のKさん夫婦は南木曽駅まで歩いて、電車で帰ると言って8時半に出発。

 

ニュージーランド人の女性二人は9時に出発。

バスで南木曽駅に行き、奈良井に寄ってから松本泊まりとか。

 

グルテンアレルギーのお客さんが、何事もなく元気に出発されるのはホッとする。

 

 

 今日は内科のクリニックの通院日で、10時半の予約。

 

シーツを片付けたり布団を干していたら、少し遅刻した。

 

来月は採血すると告げられ、いつもの薬を処方してもらい、薬局で薬をもらって出たら11時35分、

 

帰る途中でホームセンターとドラッグストアに寄り、買い物。

 

12時半頃帰宅して昼食を食べ、午後1時半から機械類を運び、2時過ぎから隅を手刈りし、3時近くからバインダーで稲刈り。

 

5時に妻が来てくれたが、稲架に5時15分掛け終わると同時に、ポツリ ポツリと雨が‥。

 

少し稲束が残ったが運搬車に乗せてある。

 

シートを被せておいた。

 

今週は用事も多く、週末に手伝いを要請してあるが、雨でも降れば稲刈りは出来ない。

一人でもやれるときに少しでもやっておかないと、刈り取りが遅くなる。

 

週末、助っ人が集まる時は天気が続いて欲しい。

 

 三組のお客さんは、オーストラリア人のカップルが7時からの朝食。

背の高い男性で、皆から質問されるのだろう、訊いたら「ヒャクキュウジュウキュウ。」と、日本語で199と答えてくれた。

 

南木曽駅までタクシーを頼んであり、7時40分に出発して行った。

南木曽駅から野尻まで歩くそうだ。

 

奥さんは175㎝くらい有り、ふくよかな体型で、タクシーに乗る前私にハグを求めてきたので、久し振りにハグをした。

 

 イタリア人カップルは7時半から。

 

男性は髭を生やしているが、いかにもイタリア人といった風貌で格好いい。

 

女性は顔立ちは西洋風なのだが肌の色が少し黒く、何処の国の人かなあ‥と思ってルーツを訊いたら、エチオピアなのだとか。

 

ハーフなのか分からないが美人だった。

8時半頃出発

 

 ドイツ人カップルが8時から食べ始め、9時頃車で出発。

 

我が家は一人九千円で、消費税を頂いているので二人で19,800円。

 

殆どの海外客が二万円を出してくるので、料金を頂く時請求書の下に二百円を置いておき、二万円もらったら請求書の下からすぐお釣りを渡すので、皆「オウ!」と言いながら笑っている。

 

一万円札・五千円札・二千円札を一枚ずつと、千円札を三枚出してきたのは、几帳面だと言うドイツ人らしさなのか、この札の組み合わせで支払ってもらったのは初めてだった。

 

 

 夕方、田んぼから帰ってきたら常連の雄ちゃんが来てくれていて、塩尻で梨農園の収穫を手伝って来たそうで、沢山の梨を頂いた。

 

長女や長男の嫁さんが少し持って行ったので、頂いた時より写真は減っている。

 

いつも何かと気に掛けてくれる常連達の気持ちが嬉しい。

 

 

 今日はオランダ人のカップルが来なかった。

やはり申し込みだけで、予約を受けるというメールに返信が無い。

 

予約フォルダーに移動せずに、受信フォルダーにそのままにして、返信ない場有りはキャンセルかどうか確認するしかない。

 

それで今日は二組のお客さん。

 

ニュウジーランドの女性達は、180㎝近い細い人と155cmくらいの二人。

 

小柄な人がグルテンアレルギーなので、小麦を使った醤油や小麦粉が使えない。

 

五平餅のタレは、一人だけグルテンフリーの醤油を使って作ったり、煮物は全員分最初からグルテンフリーの醤油で作り、天婦羅は米粉。

昨日まで使っている天婦羅油は小麦が入っているので使えず、新品の油で最初にあげるなど、手間がかかるし気を使う。

 

 

 もう一組は60歳前後の春日井のご夫婦。

 

今日は落合から歩いて来たそうだ。

 

英語が話せないと言っていたが、並んで食事している間にすっかり打ち解け、四人で楽しそうに過ごしてくれて好かった。

 

今日もそうめん流しをした。

 

グルテンアレルギーの彼女には申し訳ないが、三人で食べてもらったが、そうめんをすくい友人のお椀に入れるまでは体験され、そうめんが上手くすくえずに流してしまい、声を上げて歓んでいた。

 

夏の風物詩として7月8月限定でやってきたが、これだけ皆が喜ぶなら、寒くなってもやっても好いくらい。

 

食べ終わり、囲炉裏の間に戻って火を焚き、唄を唄い、囲炉裏を前に写真を撮ってあげて、落書き帳を出してから私の夕食。

 

朝食時間を訊いたら、日本人夫婦は7時、女性達は8時と言っていたが、旦那さんの「じゃあ、間を取って7時半で。」と言ってくれて、女性達もOKを出してくれたので好かった。

 

今朝は三回の時間に合わせて三回魚を焼いたり、味噌汁を温め直したり、その都度料理を運ぶなどしている。

 

同じ時間にしてくれて有難い。