昨日今日と、実兄ィが来てくれているが、妻は検診で8時半過ぎに市民病院へ行き、私は9時半に松本へ軽トラで出発。

 

実兄ィへのお茶出しに、妻とお互いに打合せがすれ違い、午前中出さずに申し訳ないことをした。

 

大桑まで来て、詩吟の鞄を二つ持ってきたが免許証を入れたポシェットを忘れたことに気付いたが仕方ない。

不携帯なので、事故や違反の無いように気をつけて行ってきた。

 

木曽福島の道の駅のすぐ近くまで来たら、スマホが鳴り出したので、タイミングよく駐車場に入れて見たら、長女の旦那からだった。

 

道の駅に寄るつもりはなかったが入ったので、電話のあとトイレに寄りお茶を買った。

 

この道の駅に寄れば必ず御嶽山を遥拝し、五名の不明者の発見を祈るのだが、今日は心の中で手を合わせただけ。

 

今井の道の駅でトイレ休憩。

 

少し走って松本のラーメン屋さんに11時40分頃到着。

 

注文した海老味噌ラーメン。

 

ラーメン屋さんを12時15分頃出て、あずさ会館に12時25分頃到着。

家を出て104kmだった。

 

今日は松本安曇地区会員の、師範会を兼ねた勉強会が13時から開催。

 

会長からの挨拶や連絡事項のあと、13時20分頃から15時まで、休憩を挟んで春の審査会の新しい課題吟を一緒に勉強。

 

人前でやると私の思い違いを指摘して頂いたりして、私の方が勉強になる。

 

師範会のあと、15時から45分ほど、コンクールに出場される吟者の吟詠を聞かせて頂き、気のついたところをアドバイス。

 

節回しの勉強はされているようだが、発声が弱く感じた。

 

詩吟は節回しが巧みでも、やはり声が出ていないことには訴える力が弱い。

 

発声についてさせてもらったアドバイスが、役立ってくれるなら嬉しい。

 

丁度16時に出発し、途中のコンビニでトイレがてらコーヒーを買い、運転して来たら木曽福島の手前から眠くなり、木曽福島の道の駅に入って端の方に停め、ジャンバーを頭から被って目を瞑ったらすぐ寝てしまい、ハッと起きたら10分くらい寝ていた。

寝すぎないで好かった。

 

スッキリして家に帰ってきたら18時35分に到着。

 

荷物を下ろしてから45分に家を出て、歩いて「まるや」さんに行ったら7時10分前。

 

昨日と同じシンガポールのアメリカンスクールの生徒さんに、今日も7時から囲炉裏や自在鉤について話をし、四つほど民謡を唄って聴いてもらった。

 

昨日は日本人の生徒さんが三人居て、今日訊いたら日本人は二人で、そのうちの一人の女生徒は「ハーフです。」と言うので、私は「ハーフじゃなくて、ダブルだね。」と言ったら笑っていた。

「半分というより、両方!」という意味だと聞いたので使っている。

 

同じ高校の生徒でも、雰囲気は違う。

今日の生徒さん達は元気が好かった。

 

七時45分迄、四十五分間の頼まれた時間を終える時、最後に質問を受け付けたら、昨日は二つ出ただけだったが、今日は幾つも出て8時に終わった。

 

8時に終わった後、丸屋さんの居間に呼ばれ、缶ビールを一本頂きながら話をして8時半に家に帰ってきた。

 

終わった時、今日も生徒さんから学校の名前入りのバッグやタオルを頂いた。

 

中はこんな感じで、タオルとかナップサックだった。

 

それから夕食を食べて、予約メールの返信やら迷惑メールの削除で時間が過ぎた。

 

 今朝、メールを開いたらキャンセルメールが‥。

 

日本語に変換

 

「予定が変更になったから知らせるけど、4月26日の予約は要らないよ!」と、いうことか‥。

 

自分の都合で予定を変えて、もう必要ないとは残念な文面。

 

そういうお客さんに来て頂かなくて好かったと考えよう。

 

 

 先日書いた海達公子さんの詩。

夕日の二篇

 

 

ばらの二篇

 

 

一篇だと短いので、同じ題材の夕日の二篇かバラの二篇か、碑を見てどちらかを選んで符付するつもり。

 

 

 今夜は近所の丸屋さんに行き、7時から7時45分までの四十五分間、囲炉裏や自在鉤の説明と民謡を唄いに行ってきた。

 

シンガポールのアメリカンスクールの生徒達と先生、それに日本人の添乗員と通訳の二十八名。

 

終わった後にお土産を頂いた。

 

私の話や唄を聴くことを知っていて、私にシンガポールからお土産を用意してきてくれたことが嬉しい。

 

 今日は大妻籠区の、初午・庚申様の祭礼日。

 

初午は12日に終わっているし、庚申は26日だが、中間の日曜日に行なっている。

 

昔から庚申様の旗立ては、土地所有者である我が家と隣の責任。

 

昨年まで6時半に行なっていたのだが、手がかじかんで辛い作業なのもあり、今年は隣と話をして8時半から行うことにした。

 

8時20分頃温度を確認すると7℃と暖かい。

 

昨日のうちに仏壇の下から出してきた旗を持ち、行くと兼やんが我が家の置き場から竿を取り出すところ。

 

そのご二人で協力して立てた。

帝釈天の旗

 

庚申様の旗

 

天気がイマイチで、少し降った。

 

馬頭観音の旗。

 

 

餅を進ぜて、お参りしてからお下げして来る

 

本当は頂上にお賽銭箱も置かなくてはならないが、高齢者は大変なので下に置いてお参りしてもらう。

 

12時15ふん前くらいにお袋と三人でお昼のうどんを食べ、12時に集会所を開け、二軒の夫婦四人で支度をし、予定された十二軒が集まったことから、午後1時少し前に乾杯して始めた。

 

四方山話で盛り上がったが、2時になり、マサルちゃんの発声で締めてもらい、また片付けを四人でした。

 

雨は殆んど降らなかったが旗が湿気っていたので、天気の好い日に乾かしてから仕舞うつもり。

 

一つ一つ行事をこなして、1日が過ぎていく。

 

お神酒を一杯と燗付けした酒を猪口で四~五杯飲んだので、眠気に襲われ昼寝。

 

起きたら4時近くで、それから剪定したキウイの枝を片付けた。

 

 

 

 今日も昼前梅の剪定をして何とか終えた。

 

剪定した枝は今後片付ける。

 

人差し指くらいある梅の枝を剪定ばさみで無理して切っていたら、手首が痛くて利き手の右手では出来なくなり、左手で作業する始末。

 

お昼に帰ってきて湿布を貼った。

 

 

 午後からキウイの剪定。

 

キウイの枝は太いので、両手遣いの長い剪定ばさみで切ったので、右手首はそれほど傷まなかった。

 

3時に、押し入れに板張りをしている実兄ィと一緒にお茶を飲んだ。

 

 

 4時から「妻籠宿氷雪の灯祭り(あかりまつり)」の準備ボランティアに行ってきた。

 

木曽福島で作った氷を運んできてくれているので、車から降ろして要所要所に降ろして並べていく。

 

 

 

草花や実が凍らせてある

 

うどんやグリルチキンには料金が無く、義援金の募金で食べて頂く。

 

町長さんを始めとする多くの方々からも過分な義援金を頂いたが、外国人女性が何も食べずに一万円入れていったと聞いて、逆の立場で自分にできるだろうかと考えると頭が下がる。

 

アルコールは有料。

 

観光案内所では唐揚げやピザ、ハンバーガーを売っていた。

 

 

5時半点灯だが、5時半には全点灯できるよう5分くらい前には点灯をほぼ終わった。

 

お寺の階段

 

本陣前

 

暗いところのベンチで食べたので写っていないが、うどんにグリルチキンを入れて夕食に頂いた。

 

暗くなる前と比べるときれい。

 

長女や孫達が5時半過ぎに来て、6時前にいろいろ買って食べようとしたら、全部売り切れでガッカリしていたが凄い人出だった。

 

カメラを抱えた人も多かったが、道路の真ん中に三脚を据えて動こうとしない人が居る。

 

反対側から写したい人からしたら、邪魔で迷惑だろうと思う。

 

 

 6時過ぎに交流センターへ戻り、写真のA4プリント用紙を坂下まで買いに行ってきた。

 

お世話になっている詩吟の会員さんから、老人会の写真を二十枚、文字入れしたりして編集し、プリントしてくれるよう頼まれている。

 

7時前に帰ってきたら、押し入れはきれいになっていた。

 

今度は天井も張ってもらった。

 

明日か明後日は棚をつけるのだろう。

 

昼前に張った湿布は剝がれそうになっていたので捨てたが、去年までならこんな痛みは無かったのに、歳だな‥。

 

 妻が押し入れの直しも実兄ィに頼んでいて、今日来て始めてくれた。

 

 

 昼前、梅の剪定に行ってきたが、午後は行かれなかった。

 

役場に用事があって、打ち合わせと提出と二往復。

 

 

 明日は再資源化回収日

 

夕方、回収場所に置きに行ってきたら、茶瓶の中に透明瓶が入っていた。

 

うっかり間違えたのだろう。

回収業者に手間をかけさせられないので、透明瓶の箱に移動しておいた。

 

 

 押し入れを直す部屋の真ん中に、昔の掘り炬燵のあとがあり、細い板を何枚も使い、板の厚みが足りないので薄いベニヤ板を細く切って下に敷いて、厚さを揃えてあった。

 

 

家を改修した二十四年前に、有る板材を使い、私がやった覚えがある。

 

仕事中は邪魔になるので、5時過ぎに実兄ィが帰ってから、外してあった古い板を使い直した。

 

あと私ができることは、床板の高さがデコボコなので直すつもりでいる。

 

 今朝は4℃ほどと暖かい。

 

午後から雨の予報が早くから降り出し、片付け仕事やらしていたら、昼前に熊本の常連、Tさんから本が届いた。

 

海達公子(かいたつきみこ)さんは大正五年(1916年)、現飯田市に生まれ、三歳から現熊本県荒尾市万田に育っている。

 

七歳で童謡つくりを始め、八歳の頃から、雑誌「紅い鳥」に児童自由詩を発表し、選者の北原白秋から絶賛され、以後作品を発表し続け少女詩人として全国に知られるようになった。

 

その詩を詩吟の題材に採りあげようと研究中なのだが、詩碑と詩文のセットで構成したいので、地元のTさんにパンフレットのようなものが無いか訊いたところ、役所でコピーして送ってくれた。

 

市内には番号上四十号の詩碑が建立されているようだ。

 

ご自分でも興味があり勉強したいからと二冊の本を買い、それを私に先に送ってくれた。

 

 

    夕日

 

   もうすこうしで

   ちっこうのさきにはいるお日さん

   がたにひかって

   まばゆい

   まばゆい

「紅い鳥」 大正十三年 九月号

 

 漢字で書くと

   もう少しで 築港の先に入るお日さん

   潟に光って まばゆいまばゆい

 

ずうっと級長を務め、女学校では1年から3年まで130人中一番の成績で、バスケットボール部でも活躍したという。

 

残念なことに、昭和8年3月16日に卒業生代表として証書を受け取った後に虫垂炎で倒れ、帰宅した後腹膜炎をこじらせて、十六歳と七ヶ月ほどの生涯を閉じた。

 

責任感の強さから、痛みをこらえてやり通したのか‥。

 

今なら死ぬような病気でないし、生きていたなら金子みすゞと比肩する作品を残したかもしれない。

 

約、自由詩・童謡 5000編、短歌 300首を残しているが、初期の自由詩の中から選んで符付させてもらおう。

 

もっと世間に知らしめたい人物だと思う。

 

 

 今日は午後から3時過ぎまで南木曽教室。

 

皆さん、新しい題材を勉強して一生懸命声を出していた。

 

 今朝8時の気温で-1℃くらい。

 

 大工の実兄ィが床を直しに来てくれて、先ず暖炉の下に支えを入れるので、基礎となる石を据えるよう指示を受けた。

 

実兄ィが必要な材料を持ちに行っている間に作業したが、灰が深く、30㎝位掘り上げて一輪車一杯の灰を出したが、底はもう少し深そうだった。

 

それほど力がかかるわけではないので、灰を踏みしめてコンクリートの塊の台を二つ並べ、周りを灰で埋めておいた。

 

灰を掘っている時、燃えさしが出てきた。

 

小学生の頃から中学生頃には、もう練炭を入れていたが、やはり私の4~5歳頃の記憶は正しく、乾燥させた細い丸太を縦に並べその上に燠を置いて灰を被せ、じわじわと燃やして暖房をしていた。

 

炭でないことが実証できた。

 

南木曽ねこを背負って作業しているが、実兄ィの家は朝早くから陽が当たるので温かく、10時過ぎて陽が当たりだしたがそれでも我が家の寒さに驚いていた。

 

「アッ!」というので見れば、取り付ける面を平らにするため、ノミで削っていたら古い釘が打ち込まれていてノミの刃が欠けた。

 

苦労して昼前に下地作り完了

 

基礎の上に支えを入れてくれてある。

 

午後2時前に妻籠宿へ。

多くの観光客が来ていたが、中国語が多いようだ。

 

宿場内の茶房の「こづちや」さん

 

 

 

 

 

 

今日は「こづちや」さんと、旅行代理店の「奥ジャパン」のコラボ企画」、「お茶しながら英会話」に参加。


妻から「英語の勉強に行った方が好いよ!」という半強制で申し込んだ。

 

先生役は奥ジャパンの三人に、生徒は奥谷の案内人の二人と、こづちやオーナーのミユキタニャ

 

アメリカ人のタニャさんが、妻籠の人達が使うであろう外国人に向けての英語の数々を、ネイディブの発音で教えてくれるのだが、何回か練習した後資料を伏せて「ドウゾ!」と言われても、短い文章が覚えられないので出て来ない。

 

高校時代、英語で苦労したことを久し振りに追体験した。

 

リンゴジュースとお菓子を頂きながらだが、ゆっくり味わうというわけにはいかなかった。

 

2時半から3時半までの一時間だったが、私が囲炉裏や自在鉤にについて、どう外国人に説明したら好いか訊くため資料を作って持って行ったら、奥谷の案内人も含め皆さんが初めて聞く内容だと言うので、説明していたら4時になってしまった。

 

「縁起が好い。」と言った言葉をどう伝えたら好いのか分からなかったので、渡した資料を英文にして、メールしてくれるというので楽しみにしている。

 

ふれあい館や歴史資料館には、まだ繭玉が飾ってあったので、帰りに撮って来た。

 

4時過ぎに帰ってきたら、床板は出来ていた。

一か所、盛り上がったところがあって、カンナで削ってくれてあったが、やはり仕事が丁寧。

 

私が一人でやっていたらきれいにできないし、三日ぐらいかかるんじゃないか‥。

 

長男の嫁さんとその長女が来て、孫が「ジイ‥これ!」と言って、チョコを渡してくれた。

 

戦国武将をイメージして作られたというチョコ。

 

21歳と20歳になる孫娘達が「可愛い!」「メッチャ美味しそう!」

 

「食べて好い?」と言うので、「好いよ」と言うと、写真を撮ったあと黒田官兵衛と毛利元就を食べていた。

 

お返しは何が好いかな・・。

 

 巧妙な詐欺メール。

 

休暇に関する問い合わせが困難‥と言った件名で、ドイツの四人家族がウエブサイドから予約できないから、妻のメールアドレスに連絡してくれ‥というような文面のようだ。

 

誘導されないように気をつけたい。

 

 

 今日は久し振りに坂下教室に顔を出してきた。

 

高齢化や亡くなって会員が減り、今は二人だけ。

 

二人でも勉強したいと言えば、担当師範として一緒に勉強するのは当然の責務。

 

10時から12時近くまで、審査課題吟を聴かせてもらった。

 

 

 午後からは梅の剪定

 

3時頃、一旦お茶を飲みに家に戻り、出直して剪定していたが、4時過ぎたら急に寒くなって来た。

 

周りが日陰で雪が融けない。

 

手足がかじかんできたので5時に上がった。

 

家の温度計を見れば、3℃ほどとそれほど寒くないのだが、体感温度が零度以下の感じ。

 

 

 長女のところの長女が大学の春休みで帰ってきて、久し振りの夕食会。

 

私達夫婦とお袋、長女夫婦とその長女、次女のところの長女、私の三女の、全員で九人

 

いつもより人数が多いので、以前送って頂いたバームクーヘンと紅茶を頂いた。

 

ミヤマオダマキさんと娘さん、ありがとうございました。

 

 今朝起きたら、天気予報通り雪が積もっていた。

 

お袋に朝食を食べさせて、8時頃から雪かき。

 

家の裏の日影は寒いので8㎝くらい。

 

家の前は地熱が高く2㎝から5㎝くらいだった。

 

道路は凍っていない。

 

 

9時40分頃には2℃位に温度が上がった。

 

歩道もかいておいた。

 

前にこのブログでも書いたが、焚物がまだ少ないので取敢えず一本寝かせておいた。

 

本当は秋のうちに寝かしておいて、乾いて水分が少なくなったところで割るのだが仕方ない。

 

実はその隣の、15㎝位の太さの邪魔な雑木を伐った時、自分の方にズレて来て、避けようとして三㍍ほど斜面を滑り落ちている。

 

落ちる時、チェーンソーを持ったままでは身体を切る恐れがあるので、咄嗟に写真の右の位置に放り投げて難を逃れる。

 

チェーンソーは6m位落ちて平らなところで止まり、エンジンが掛かりっぱなしだったので、壊れていないと少し安心。

 

落ちた時、腰の鉈鋸の入れ物が下を向いたようで、鉈だけ抜け落ちたらしく、しばらくしてから鉈が無いことに気付いた。

 

差落ちた時に気付けばすぐ探せたかもしれないが、気付いてから行って落ちたあたりを探したが見つからない。

 

枯葉の下に潜り込んでしまったかもしれない。

 

実は昨日、庚申塚の草刈りの時、急斜面で3㍍ほど滑り落ちているので二回目。

 

まだ注意が足りない。

 

 

 今日は落合の詩吟教室に行ってきた。

 

公民館のホールでバンドの練習をしていたが、曲名は「東京ブギヴギ。

 

なかなか上手だった。

 

 来週は区の初午と庚申様の祭礼がある。

 

今日は隣と一緒に、庚申塚の草刈りをした。

 

話し合って始めたわけではなく、隣のカネヤンが塚の裏側を始めたので、きっかけにして尾根から右側の自分の土地の方を私も始めた。

 

この塚の裏側の下に、集落で滑り台や雲梯などの小さな公園を作ってあったが、三十数年前、タバコのポイ捨てが原因と思われるボヤ騒ぎがあった。

 

斜面の草木が燃えて枯れてしまい、斜面が崩落して表土がずれている。

 

なので、頂上の石塔が川側に傾いている。

 

二人で、真っ直ぐに直さないといけないという話しはしている。

 

去年の夏の間に草刈りをしなかったので、ウドバ(葛の蔓)で巻かれている。

 

楓が枯れて倒れたので片付けたが、株は残っている。

 

「こんなところの草を刈ったところで一銭にもならんが、俺達ができる間はやらにゃぁしゃあない‥。」

「田畑や山や、何にも無い方が楽だぞ!」

 

同意。

 

この庚申様の旗立ては我が家と隣の責任で、旗や竿は我が家で保管している。

 

毎年6時半から始めよう‥と打ち合わせるのだが、どうしても早めに出て行くので、20分頃には始めることになる。

 

旗に竿を通したり縛ったりするのは手袋をしていては出来ないため、素手の仕事。

 

二月の一番寒い時期の朝6時半頃は、手がかじかんで大変。

 

「今年は飯を食ってからやろまいか。」と言ってくれたので、時間は決めてないが、8時過ぎからやることになって少し楽ができる。

 

小遣い元も二軒でやるのが昔からのしきたりだが、小遣い元くらいは区で回していかないと、出来なくなる時が来そう。