昨日書いたブログも長文だったが、投稿し忘れて寝てしまったようで、今更書く元気はない。

 

昨日の写真だけ出しておく。

坂を運搬車で引き揚げ

去年の薪

右が31年の薪で、左の列が令和5年

雨が降っているので焚物小屋の中で作業

 

昨日午後1時から交流センターで、公民館妻籠分館の映像文化祭の視聴会が有り、昔の文化祭の様子や子供神輿造りのビデオが上映され、ほとんどの人が今は亡く、懐かしかった。

 

 

 ここから今日の写真。

今朝も雨。

 

7時半頃雪に変わって、山が白くなった。

 

今日も薪割

 

午後3時頃から小降りになり、小屋の外で割って積んだ

 

5時半頃までやれば終わるかと一生懸命やっていたら、4時50分前くらいに妻が呼びに来た。

 

大きな声で呼びかけられ、びっくりして心臓が止まるかと思った爆  笑

 

里芋が要る。精米しないと米が無い‥など、お客さんを迎える仕事を仰せつかる。

 

 今日は中国系アメリカ人のご夫婦と、イギリス人家族4人のお客さん二組。

 

イギリス人の五十代ふうふは二人とも少し日本に住んでいたことが有るようで、住んでいた時に二人で来たのか、1989年に近所の「つたむら屋」さんに泊まったと言う。

 

2018年にも妻籠に来て、その時は「大吉」さんに泊まったが「つたむら屋」さんに寄り、女将のエイコちゃんと三人で撮った写真を見せてくれた。

 

今回は次男夫婦と4人で我が家に泊まったわけだが、何度も妻籠宿に来てくれて、泊った宿のそれぞれの宿の特徴を楽しんでくれたなら嬉しい。

 

 6時過ぎで2℃。

 

今日は午後から寒くなり、雨が降り出したが伊勢山の上は白くなっていた。

 

 

 ベルギー人のお客さんは7時に朝食を食べ、7時35分頃出発して行かれた。

美男美女だった。

 

 昨日、修正してもらって受け取った大黒天鳥居奉納額を、和智埜神社に再び揚げてきた。

 

 和智埜神社からは、雨漏りしている本殿の屋根と、壊れている末社の屋根を修理するため、一口三千円の寄付をお願いする回覧が回っている。

 

もう一か所の末社の屋根も壊れている。

 

渡島地区に有った若宮神社の本殿の真上で、こちらも直さないと棟から屋根が腐ってしまうだろう。

 

前総代の一人として、心ある人は是非ご協力をお願いしたい。

 

 

 暮に奉納旗の寄付をしているが、こちらも三千円。

 

 

仕事としては総務係の仕事なのだが、総務が忙しいので、一昨年まで会計の私が奉納旗の名前を書いていた。

 

私は字が下手なので、パソコンで奉納者の名前を楷書でプリントし、それを手本にして筆で書いていた。

 

墨を摺って書いたり墨汁で書いたりしたが、風雨で滲むのが墨でも墨汁でも差は無かったので、墨汁で書いていた

 

例えば表彰状の名前を、マジックやサインペンで書いてあったら、誠意を疑われるのではないか。

 

こういうことを書くと、いつも悪口を言っているとか批判していると叩かれるのだが、寄付金を揚げてくれた人に心を込めて感謝の意を伝えるには、マジックでない方が好いと私は思うので、今後こうした仕事をする人は一考願いたい。

 

 

 お宮から帰って来て、昼前薪の玉伐りを終えた。

 

午後雨が降り出したので、詩吟資料の整理をしていた。

 

 朝6時過ぎの気温。

 

 三組のお客さんは、7時半からの朝食。

 

11カ月の赤ちゃんは大人しい子で、私が抱いてあやしている間に両親に食べてもらった。

 

色々とやり方を変えてあやしていたが、十分が限度で、ふんぞり返って親の元に行こうとし始めたので、お父さんの元に返した。


 

 いつもお客さんには、夕食時か夕食の終わった後に、囲炉裏を入れて写真を撮ってあげている。

 

昨夜アメリカ人男性二人は、写真を撮ってあげると言ったのだが要らないと言うアクションだったので今朝も撮らなかった。

二人は8時40分頃出発して行かれたが、色々と感謝の言葉を言ってくれているようだった。

 

 スウェーデン人家族は9時20分頃、出発する前に家の前で写真を撮った。

 

 イタリア人のカップルは、9時40分頃出発して行く前に囲炉裏端で一緒に写真を撮りたいと言うので撮ってもらった。

 

撮った写真をメールで送ってくれるように頼んだら、直ぐに送ってくれたので編集してプリントし、アルバムに貼らせてもらった。

 

 

 午後1時半から木曽部会の理事会師範会が有り、1時過ぎに出ようとしたら愛知県の先生から電話があり、十分以上話し込んでしまった。

 

昔の講習会のテープをダビングして、お送りしたCDに対してのお礼の電話で、掛かってきた電話にこちらから切るわけにはいかないのでぎりぎりまで話していたら、一時半に間に合わず少し遅刻。

 

総会や審査会、発表会など、七年度の予定について協議をし、2時半から3時まで俳句吟の勉強をして閉会した。

 

 

 帰る時、楯木工さんに寄り、寄付銘板を受け取ってきた。

 

パソコンで名簿を作って持って行った時、一人の名前を一字間違えていて、掲示した後から指摘され、原稿段階で皆で見たはずだが間違いを見つけることができず、間違った名前で掲示するわけにはいかず、作り直してもらった次第。

 

栗の板なので風化に強いのだが、それでもと思い柿渋を塗っておいた。

 

木工用のニスを塗ればきれいなままなのだが、人工的な塗料でなく、多少は風化していく柿渋の方が好いかと思って。

 

 

 4時から5時半まで、薪の玉伐り中。

 

火曜日からショートステイに行っていたお袋が5時頃帰ってきた。

 

5時半に家に戻り、民宿の仕事。

 

 今日のお客さんは、上海の住所のカップルの一組だけ。

 

もう二部屋は満室にならなかった。

 

予約の時、名前が中国人っぽくなかったし、顔を見れば西洋人なので、国は何処かと訊いたら「ベルギー」だと言う。

 

最初、何と言っているのか聞き取れなかったが、美男美女のカップルだった。

 

 今朝7時の気温は6,5℃。

 

 午前中、お客さんを迎える支度をしたりして、午後は1時半から3時まで南木曽教室。

 

一旦帰ってから支度をし、3時40分から4時まで役場に行き、確定申告に。

 

240円ほど戻ってくるようだ。

 

小さなフキノトウが出ていたので採ってきた。

 

これでも天婦羅には出来る。

右側のは、焼き魚の青皆敷にする木曽五木。

 

 

 昨日、予約申込書を見たら四組ある。

 

我が家は三部屋なので、四組を間違えて受けてしまったかと青くなった。

 

調べたら、一週間ほど前にお父さんが骨折して旅行に行けなくなったと息子さんから連絡が有り、キャンセルになったのにその予約申込書をそのままにしていた単純ミスだったので好かった。

 

 ということで、今日は三組のお客さん。

 

一組はスエーデンの若い夫婦と11カ月の女の子。

 

ふわふわでクリンクリンの少ない栗色の髪の毛が可愛い。

 

ご飯を食べ終わってお腹がいっぱいになり、飽きたのかぐずりだしたので、私が赤ちゃんに「おいで!」と手を出すと、お父さんが私に赤ちゃんを手渡してくれたので、私が遊ばせてもらった。

 

少ししてお母さんたちの方に手を出して、帰りたいと意思表示するので両親に返したが、泣かないで笑ってくれるのでありがたい。

 

二組目は三十代後半のイタリア人、私の英語が全く通じないようで苦労する。

 

三組目は三十代くらいのアメリカ人男性二人で、挨拶程度の日本語が分かるようで、笑うところで笑ってくれるので、伝わっていることに安堵する。

 

食事も最後の方になり、アメリカ人達が酒を注文したら、他の二組も酒を注文された。

 

それで、お客さん同士の会話がより弾んでくれた。

 

 山の頭は霧がかかっているが、陽が当たって天気は好さそう。

 

7時過ぎの気温は4℃。

 

お昼の後のコーヒータイムに、8日に泊まったお客さんから貰ったお菓子を思い出した。

 

開けてみたら、印刷した面を内側にして包装してあり、浮世絵を印刷したもので、色んな種類のものがあればコレクションする人も居るかもしれない。

 

小さいけど、桐の箱に入っているし、丁寧な造りだし、情報量も多い。

 

のりせんべい

 

美味しいお茶と一緒に頂いた方が好いかと、今日食べるのは止めた。

 

郵便物を出しに行ったりお宮に行ったりしてから、楢の木を玉伐りしてキノコ用と焚き木用に分けた。

 

まだ終わらないが大桑まで行く用事があったので、5時過ぎに出かけて途中でガソリンを入れて大桑に向かう。

 

用事を済ませて帰ってきたら6時過ぎ。

 

左膝の痛みは少し和らいでいるが、今日チェーンソーを使ったせいか、今までより右ひじが痛い。

 

伸ばすのも痛いものの支障はないが、曲げるのが痛いので下着やセーターを頭の上から脱ぐときに、首に手が届かない。

 

肘が曲がらないだけで、こんなに不便だと思わなかった。

 

痛みと付き合いながら、やっていくしかない。

 

 7時25分頃の気温5℃。

 

今日は一日中雨。

 

9日に東京で行われた大会のおり、久し振りに会った先生と話をした時、その先生が司会進行をした昔の講習会の話をしたところ、「自分はその録音したテープを持っていないので、ダビングして欲しい。」と頼まれ、カセットテープをダビングして取り込んだものを、CDにダビングした。

 

三重県の元副理事長の先生が第一講を担当し、カセットテープのA面とB面に約70分。

 

第二講はミヤマオダマキさんのお父さんの、F先生が担当されていて、90分の講習時間をA面とB面に入っていた。

 

CDは80分の長さしか入れられないので、第一講はそのままで入るのだが、第二講は入らない。

 

編集して音量の小さな部分を大きくしたり、90分の講習を私の判断で、重要度を考えて10分間カットしたり、CDに文字印刷したりして、色々やっていたら半日以上かかってしまったが、二枚のCDに纏めることができた。

 

欲しいと言ってくれた先生が喜んでくれると思うが、これも遺品を私に託してくれたミヤマオダマキさん達のおかげ。

 

遺品を頂いた手前、少しでも他の先生方や後進の先生に役立てられれば、ミヤマオダマキさん達も喜んでくれるだろう。

 

 

 今日は14年前、東日本大震災が起こった日で、何かとニュースになるのだが、数日前に当時の東電副社長たちが無罪になったと報じていた。

 

地震や津波は仕方ない。

だが原発事故は誰の責任なのか。

 

津波の到来が予想される報告が上がっていたのに放置して対策をとらず、これだけの被害と、今後の負担を子孫に押し付けることの責任を誰もとらない。

 

他の国では徹底的に責任追及されるから、絶対過失や責任を認めず、のらりくらりと時が過ぎてほとぼりの覚めるのを待つ態度は潔くないが、日本のように最初からあいまいにして責任を回避するのもどうかと思う。

 

 

 昨年、令和6年3月11日の朝日新聞デジタル版より。

 

構成吟風に編集。

敢えて符付はしていない。

 

短歌連詠にして符付はしたが、まだ詠じてYouTubeには出せていない。

 

色々と思いを書くことは難しい。

 

 昨夜、酒を八尺ほど飲んだせいもあり、いつものように居眠りながら書いていて、投稿せずにいたので、妹から指摘を受けて昨日の分を昼前に書き直して投稿した。

 

 

 朝6時半、気温は―1,5℃

 

お客さん達は7時半からの朝食と聞いていたので、食べられるように支度したら、アメリカ人のカップルは時間通りに出てきたが、オーストラリア人カップルは十分くらい遅れて出て来られた。

 

昨夜会っていないので朝の挨拶からぎこちないが、夕食の時に話している内容を話すだけなので問題はない。

 

木曽節を唄ったとき、やはり声が出ないので、高音部と息が苦しい。

 

続いて長持ち唄を唄ったが、合いの手をお願いしてやったら喜んでくれた。

 

アメリカ人カップルは8出半頃、南木曽駅まで歩いて行くといって、出発して行かれ、オーストラリア人カップルは9時近くに馬籠に向けて出発して行かれた。

 

口コミのサイトを見て、普段どんな風に過ごしているが知ってくるお客さんが多いので、昨夜何もしないで今朝お客さんを返したら、がっかりさせることは目に見えている。

 

同じサービスを心掛けている。

 

 昨日書いた記事を、投稿ボタンをクリックし忘れて寝たようで、消えていて最初から書きますえーん

居眠りながら書くとろくなことは無い。

 

 

 朝6時40分、家を出る時の気温

 

6時50分南木曽駅に着いて、前日に切符は買ってあるのでホームに出る、

 

イエロードクターカー?爆  笑

 

7時02分発の電車到着。

 

坂下駅では太陽が燦々。

窓にあたって北から太陽が‥。

 

中津川駅で乗り換え。

 

名古屋駅でお結びを買い9時06分発ののぞみに乗り、新横浜当たりの10時半頃お結びを食べ、東京駅に10時45分着。

 

迷いながら、途中で知った先生と一緒になり、日経ホールに11時15分着。

 

先生方に挨拶したり近況を話し合って、定刻の12時丁度に「第一回全国俳句俳諧歌大会」が開会。

 

主催者挨拶の先生方が楽しくやりましょうと仰っていたが、高段位者が多いこともあって、皆さんそれぞれ個性的な吟詠で好かった。

 

俳諧歌で言えば、昨年までの大会では、今まで聴いたことの無いような節調の俳諧歌も聞かれたが、今回は今までよりは少なく感じた。

 

それでも一番最後の理事長の講評では、「俳諧歌のCDを訊いて勉強して欲しい・・」言われていて、「他人と違うことをやることが個性と勘違いしている」といったお話は耳が痛かった。

 

私は事前に知らなかったが、独吟者の中から各会の代表者が一番好かった吟者を選び、それを集計して最多票の吟者に特別賞を与えた企画が有り、好い企画だった。

 

私が残念に思うことは、高齢者が多いこともあるが、書いたものを机の上に置いて見ながら吟詠したり、見なくても置いている人が多かった。

 

これは普段の自分達の大会で、見ないで吟詠する習慣を身に付けていないせいではないかと思われる。

 

コンクールではないものの選ぶのであれば、無本は当然として練習を重ねて出吟して欲しい。

 

これは非難して書くのではなく、今後に期待するために書くのだが、若くて「上手いなあ‥」と思われる人も多いが、きれいで上手いが味が無い。

 

今後は俳句吟や俳諧歌詠の、"味"を出すことに目を向けて欲しい。

 

 

4時25分に会場を出て、東京駅に40分着。

 

弁当を買い、5時12分ののぞみに乗り、弁当を食べる。

 

量が少ないかと思ったら、結構食べ応えがある。

 

6時55分頃ホームに降りて、直ぐきしめんの自動販売機で買って並ぶ。

 

7時丁度に入ると、直ぐにかき揚げきしめんが出てきた。

 

これが食べたくて弁当を小さくしたり、乗換の時間に余裕をとっている。

 

多くの人が外で待っているので、7時06分に食べ終わって出て、中央西線のホームに向い、7時30分に特急しなのの自由席に座り40分出発。

 

帰りの特急券は車内で買った。

 

8時43分に南木曽駅着、帰宅したら9時少し前。

 

帰ってから唄を唄うとお客さんに伝えるよう妻に話してあったが、部屋で休まれているようなのでそのままにした。

 

メールの削除や返信をして、先日頂いた古川町の酒で疲れを癒した。

 

 

 7時の気温は丁零度。

 

 昨日の新聞に残念な記事が載っていました。

重要文化財の茅葺屋根のかやが、雪と一緒に落ちてしまったそうだ。

 

積もった大雪の雪下ろしが出来なかったこと加え、雨により重さを増したのが原因と書かれていた。

 

たしかに雪下ろしをしておけば、防げたかもしれない。

 

素人考えだが、普通であれば、かやの表面で雪は滑り落ちるはずで、かやと雪が凍り付いて一体化していたために一緒に落ちてしまったと思われる。

 

昔はこのようなことは無かったと思うが、現在と何が違うかというと、冬季閉館中だったと言うから、囲炉裏で全く火を焚かなかったのではないだろうか。

 

囲炉裏は煮炊き、暖房と共に、見つめる家族の心を一つにする団欒の場だったが、家の木材の強度を上げ、屋根の乾燥や虫除けなどにも効果があると聞いている。

 

毎日囲炉裏に火が入っていれば屋根の雪を少しづつ融かし、一気に落ちるような今回の事故は防げたのかもしれない。

 

他でも同じ事故を起こさないように、文化財であれ個人の家であれ、火を焚くことによる古民家の保全に目を向けて欲しい。

 

 大妻籠にも県宝「藤原家住宅」があるが、保存が難しい状況になっている。

 

 

 午後5時半頃、今日泊まる予定のお客さんが一人で来られ、「仲間の一人が足を傷めて、他の二人と三人で車道を歩いている。」と言うので、「それでは迎えに行ってきます!」と言うとホッとした様子で「そうして頂けると助かります。」

 

馬籠峠を越えてくると聞いていたので、向かうとオダルの家の近くを歩いていた。

 

一石の休憩所から県道へ出るまでの道で、女性が足を捻挫したようだ。

 

以前に、捻挫して家の前まで来た女性のために、タクシーを呼んだことが有った。

 

今回の人はそれほど酷くなくて、私の湿布薬の残りをあげたら、代わりにお土産を頂いた。

 

 四人は元居た会社の同僚だそうで、五十代から七十代の捻挫した女性一人と男性三人。


数年前に東海道を歩き通し、三念前から中山道を歩き始めたものの、年に一、二回、一泊二日なので全走破するにはだいぶかかりそうと言っていた。


 久し振りに、7時頃の気温はマイナスになり、-2℃。

 

雨や曇りだったので布団を干さなかったが、やっと干せた。

 

去年まで二日営業したら二日休むペースでやっていたが、妻の足腰がもたなくなってきたのと、私達やお袋の通院もあり、二日営業したら三日の休業にしている。

 

雨が続いたりして布団が干せないと、布団乾燥器を使ったり電気カーペットを使っている。

 

4日に七人泊めて今日まで休みなので、三日目に天気干しで来て好かった。

 

四人か五人で満室にしているので、一部屋空いていてもお断りしてて、一晩に泊めるお客さんの人数も少なくしている。

 

 

 今日は昼前、妻はお袋を整形医院に連れて行き、お昼を買って帰るから待っているように‥と、LINEで連絡がきていて、1時過ぎに帰ってきてから皆でお昼。

 

妻が連れて行ってくれるのでありがたい。