今朝は4℃ほどと暖かい。

 

午後から雨の予報が早くから降り出し、片付け仕事やらしていたら、昼前に熊本の常連、Tさんから本が届いた。

 

海達公子(かいたつきみこ)さんは大正五年(1916年)、現飯田市に生まれ、三歳から現熊本県荒尾市万田に育っている。

 

七歳で童謡つくりを始め、八歳の頃から、雑誌「紅い鳥」に児童自由詩を発表し、選者の北原白秋から絶賛され、以後作品を発表し続け少女詩人として全国に知られるようになった。

 

その詩を詩吟の題材に採りあげようと研究中なのだが、詩碑と詩文のセットで構成したいので、地元のTさんにパンフレットのようなものが無いか訊いたところ、役所でコピーして送ってくれた。

 

市内には番号上四十号の詩碑が建立されているようだ。

 

ご自分でも興味があり勉強したいからと二冊の本を買い、それを私に先に送ってくれた。

 

 

    夕日

 

   もうすこうしで

   ちっこうのさきにはいるお日さん

   がたにひかって

   まばゆい

   まばゆい

「紅い鳥」 大正十三年 九月号

 

 漢字で書くと

   もう少しで 築港の先に入るお日さん

   潟に光って まばゆいまばゆい

 

ずうっと級長を務め、女学校では1年から3年まで130人中一番の成績で、バスケットボール部でも活躍したという。

 

残念なことに、昭和8年3月16日に卒業生代表として証書を受け取った後に虫垂炎で倒れ、帰宅した後腹膜炎をこじらせて、十六歳と七ヶ月ほどの生涯を閉じた。

 

責任感の強さから、痛みをこらえてやり通したのか‥。

 

今なら死ぬような病気でないし、生きていたなら金子みすゞと比肩する作品を残したかもしれない。

 

約、自由詩・童謡 5000編、短歌 300首を残しているが、初期の自由詩の中から選んで符付させてもらおう。

 

もっと世間に知らしめたい人物だと思う。

 

 

 今日は午後から3時過ぎまで南木曽教室。

 

皆さん、新しい題材を勉強して一生懸命声を出していた。