最後の方に、イモムシの写真を出すつもりなので、嫌いな人は見ないようにお願いします。

 

 

 来月は稲架干しを脱穀予定。

 

いよいよ新米が食べられる。

 

今年はお客さんも多く、5月頃の消費の様子だと10月まで持つかどうか分からないし、田植えした時点で天変地異や害獣被害で米が予定通り採れるか分からないため、子供達への米の供給を制限していた。

 

約二反の田んぼで本来なら20俵、1,200㎏を収穫しないといけないのだが、消毒をせずに作る我が家では、肥料分を控えて痩せ作りをしているため、収量は毎年16俵ほど。

 

収穫するには蔵の古米を処分しなければいけない。

 

毎年なんとかぎりぎりで、少し余る米を養護施設に寄付したり、妹達やお世話になった人達に少しずつ分けてきたが、今年も残ったお米を分けてあげられそう。

 

 

 今日はオランダ人とイギリス人と香港のご夫婦の、三ヵ国六人のお客さん。

 

皆英語を話されるのだが、なんとなく細かな意思疎通ができないのか、いつもよりお客さん同士の一体感が薄い夜となった。

 

それでも各ご夫婦と私とのやりとりはできていて、それぞれ雰囲気は楽しんでくれているようなので好しとしよう。

 

そう思って木曽節や長持ち唄を唄い、明日の朝食時間を決めて、私が食事のため居間に戻って居なくなると、お客さん同士で話が始まる。

 

お出しして見せている今までの落書き帳に書かれたことについて話し合っているのか、笑い声が居間の方まで聞こえてくるので、私が居ない方が話が弾むのかもしれない。

 

 

 さて、花オクラに付いた何の幼虫か分からないが、イモムシを紹介。

 

里芋の葉にも付いていて、里芋の葉も食べてしまう。

 

私は地面に落として踏み潰すが、自然が大事とか、虫も大事とか言う人もいるかもしれない。

 

長女と妻が熊の被害について話していたが、全国的に熊が増えて人的被害や作物も大きな被害を受けているのに、ドングリが不作だとかなんとか頓珍漢なことを、いまだに言っている人達の考えが解らない。

 

熊ばかりでなく、猿や猪などの野生動物が学習して、人間の食べ物の美味しさを知ると共に、人間は非力なもので恐れるに足りないことを学習して来た。

 

もっとはっきり言えば、熊は人間を餌として認識しだしている。

 

「熊鈴を付けて行けば大丈夫だ!」などと言っているが、熊達は「餌が来た!」と喜ぶ時代になるだろう。

 

お仕置き放獣ではなく、人間界に近づいたら命が無いことを害獣達に学習させなくてはならない。

 

薪をとるための雑木林の里山が荒れてジャングル化し、他人の人家や畑の近くに植林して鬱蒼とした森になり、犬は繋がれて追い払う役目を果たせず、緩衝帯が無くなって久しい。

 

学者や専門家と称する都会に住む人達とは違い、野生動物とどう共生していくか、山の中に生きるど素人の民宿親父の戯言です。