田の畦にネジバナが咲いていた。
草刈機で周りだけ刈って、残しているのだが増えない。
腹の赤い模様を撮ろうとしたら、身をねじって嫌がり、どうしても撮らせない。
謝って、すぐ放してやった
私は子供の頃苛められっ子で、勉強も運動も苦手な、すぐに泣く子だった。
親父はそんな長男が歯がゆかったのだろう。
叱咤激励のつもりだったかもしれないが、
「馬鹿だなあ!」
「とろくさいなあ!」
「アホだなあ!」
いつもその三つの言葉しか掛けられなかった。
「自分は駄目な人間なんだ・・」
それでも子供の頃から、漢詩や詩の持つリズムの心地よさ、歌うことの楽しさ、人と違う表現をすることの自由と開放感を知っていた。
それらを全て持っているのが、十九歳で出会った詩吟だった。
これなら人に負けないことができそうだ。
その自信が、私の人生の生きる力となってきた。
しかし、子供の頃から染み付いた、自分を卑下する性分はなかなか直らない。
先日の俳諧歌の大会の折、ある先生から
「おめでとう!良かったよ!」
「ありがとうございます!」「でも失敗しちゃって・・」
「それがいけない!」
「ありがとうございます!それだけでいい!」
「私のようなものが・・今までもそれで、何回も損をしているんだから・・」
「自分を卑下しちゃいかん!」
ありがたい忠告を頂いた。
性格のねじれを直すことは難しいかもしれないが、素直に生きていきたいものだ。