先日、友人たちと『秒速5センチメートル』を鑑賞した。
私自身はこの作品を見るのが今回で十数回目となり、そろそろ思う部分も無くなってきたかなと思っていたのだが、久しぶりに見ると面白いことにあれやこれやと思いが溢れ出てきたのである。
そのため、『秒速5センチメートル』の考察、もとい感想をここに綴っておこうという気に至ったのだ。
前もって書いておくが、これはあくまで私個人の意見や考え方であり、決して『秒速5センチメートル』という作品はこういうものだよと主張するものではない。
長話はいいだろう。早速本題に入っていく。
第一話『桜花抄』
ここで描かれる『秒速5センチメートル』の世界は、簡単に言えば導入である。
主人公である"遠野貴樹"とヒロインである"篠原明里"の小学校、中学校時代を描いたもので、『秒速5センチメートル』というお話すべてに通ずるキーをお披露目していく章になる。
また、新海誠作品の一番の売りである『映像美』も余すことなく発揮されている力の入った章であり、キャラクターが歩く靴音、走った際に揺れるランドセルの音、家から溢れ出る生活音等が丁寧に表現されている。
肝心のストーリーは、前半部分は遠野がもらった明里からの手紙を、明里自身がナレーションのように読み上げつつ、主題歌である山崎まさよしの『One more time, One more chance』をピアノアレンジしたBGMが基調に、ストーリーが足早に展開されていく。
ネタバレをするために書くわけではないのでストーリーについて詳しく書くのは省くが、この章での一番の見どころは、『子供ではどうしようもない親の都合による別れ』と『子供同士だからこその距離感』にある。
遠野が明里に会いにいく決心がついたのは、遠野自身も親の都合による転校で鹿児島に行くことになり、本当にもうどうしようもない距離になってしまうことが分かってからだ。
それまでに会いに行こうと思えば行けただろう。それをしなかったのは、お互いに本当にもう自分の人生に関わることのない相手だということを自覚したくないからだと考える。
それでも遠野が最後の最後に明里に会いにいこうと決心し、明里自身もそれを受け入れたのは、決して会えば何かが変わると思ったというような曖昧な理由ではなく、お互いにもう会わない、会えないことに対して向き合おうとした結果である。
結論から言えば、この『運命に対して向き合おうとしたこと』自体が、『子供同士だからこその距離感』であると思う。
人生というものに対してひたむきであり、まだ純粋であるからこそ、しっかりとけじめをつけるべきだと考えたのが、文学系で根暗な遠野と明里の結論だ。
それでも、遠野が最後の最後まで明里のことを引きずっているような描写をするのにはいくつか理由が存在していて、その中の一つが、この『桜花抄』にて描かれる、遠野が書いた明里への手紙が飛ばされた部分。
明里は遠野と別れる最後まで手紙を持っていたにも関わらず、遠野は待ち合わせの前の駅で手紙が風に飛ばされてしまう。
結果として、お互いに手紙を渡すことはなかったが、"手紙を渡せた状況であったかどうか"がターニングポイントだったように思う。
明里が遠野に手紙を渡さなかったのは、明里が、自分だけ手紙を渡すことで相手を縛り付けてしまうと思った結果だ。直前まで鞄から手紙を出そうとする手の描写があるが、寸でのところで踏みとどまっている。
『秒速5センチメートル』を語る上で外せないのが、ここから読み取れる『他人への思いやり、やさしさ』である。遠野は長い電車の旅の途中で『明里がせめて家に帰っていてくれればいいのに』と願い、明里は『遠野くんが私のことをきっぱり忘れて楽しい人生を歩んでくれればいい』と考えている。
遠野から手紙をもらえば、明里もそのお返しとして手紙を渡しただろう。そのやり取りは、お互いに同時に出したものであり、どちらかが返信をすることもない。
別れ際に、遠野は『手紙書くよ! 電話も!』と明里に対して告げているが、明里はそれに対して返事をしない。明里が最後に残した言葉は『きっと貴樹くんはこの先も大丈夫だと思う』という未来への励ましであった。
明里はこの時点で遠野との別れをしっかりと意識している。だが悲しいかな、遠野は手紙が渡せなかったもやもやと、初めてキスした相手ということもあり、なかなか思い切ることができず、その先も心の中に明里らしき人影を住まわせてしまうこととなる。
第二話にて、遠野が手紙を書いている、または読んでいる描写がないことから、明里からの返信はなかったのだと考えるのが自然だ。
なお、余談ではあるがこの手紙の内容は、文庫版になった秒速5センチメートルにて読むことができる。が、特筆するような内容はない。
第二話『コスモナウト』
コスモナウトというのは、ロシアでいう宇宙飛行士のことを指しており、このことから、この章は新たに出陣するヒロインである"澄田花苗"視点がメインであることが示唆されている(澄田から見た遠野が遠い場所へ行く人、遠くを見ている人というような表現があることから)。
第二話であるコスモナウトは、それこそ秒速5センチメートルの全てが詰まっているといっても過言ではない。
新ヒロインである澄田が主人公である遠野に恋をする物語なのだが、もちろんその恋は成就することはなかった。
第一話では、季節は冬、舞台は東京、描写されるものは人間の音や高層ビル等、人工的なものが多かったのに比べて、第二話では季節は夏、舞台は島、描写されるものは自然の音や草木、星空や海がメインとなる。
この章で語るべき点は、『遠野の心理描写』と『澄田の純粋さ』にあるだろう。
まず初めによく分からない草原で巨大な惑星を眺めるシーンから始まるのだが、これが遠野の心理描写である。遠くに見える惑星が遠野の望むものであり、隣に座る女性が想い人だ。
遠くに見える惑星は、地球に似ているが違う、きっとどこを探しても見つからない惑星であり、隣にいる女性はロングヘアーの女の子。
一見するとロングヘアーであり、服装が小学校時代の明里に酷似していることから明里と思われるかもしれないが、これはあくまで遠野の心住む『明里に似た誰か』であり、明里ではない。
高校生となった澄田は日焼けをしてショートヘアーになっているが、中学時代は白い肌のロングヘアーであることも描写されており、遠野の心の中の想いが少なからず澄田に揺れていることが分かる。
のちに遠野は、出す充てのないメールを書く癖があることを語っており、その場面にて『いつもの少女の顔はいつものように見えない』と書いていることからもそれが判断できるのだ。
第二話の最後にて、遠野は深層心理にて少女の顔を見ることができるのだが、その時には明里の顔になっている。そうなった要因は、澄田にあるのが面白い部分だ。
澄田は純粋ゆえに、恋愛の仕方を知らない。愛だの恋だのはよく分からないけど、ただ遠野が好きだという気持ちだけはある女の子だ。
遠野の帰りのタイミングにわざわざ合わせて顔を出したり、友達に遠野のことでからかわれたり、年頃の女の子を思わせる描写が非常に多い。
高校生ということもあり、進路について先生から呼び出しを受けたり、教師をしている姉を引き合いに出されたりして、悩んだり笑ったり、基本は喜怒哀楽の激しい元気っこという感じだ。
それでも遠野のことを考える時だけは一層真剣な面持ちになり、遠野に対してひたむきな想いを寄せていることが伺える。
話の中で澄田は進路や遠野のことや、趣味のサーフィンで波に乗れないスランプに陥ってることで悩むシーンが多く、それはある場面をきっかけに振り切っていくことになる。
そのシーンが、遠野とのお座りお喋り紙飛行機シーンである。
澄田は帰り際に遠野を見つけ、隣に座ってお喋りを始める。その際に遠野の進路が東京の大学であることを聞き、澄田は?と聞かれ、答えられないことに対して『私は明日のこともよく分からない』と答える。
それに遠野は『たぶん、誰だってそうだよ』と答えるのだが、これが澄田にとってのきっかけとなる。
遠野としては、自分自身への迷いや、なついてくれる澄田に対する罪悪感のようなものもあって、自分への慰めとしての答えだろう。しかし純粋の塊である澄田にとっては違うのだ。
また、この後に遠野と澄田は、打ち上げられる予定のロケットが運ばれるのを目撃することになるのだが、ここは逆に遠野に対するきっかけとなる。
遠野は、この時に澄田が発した『時速5キロなんだって』というセリフではっとする。どこかで聞いたようなセリフに対して思ったのか、明里と同じようなセリフを言ったことに驚いたのか、とにかくここが遠野のターニングポイントになり、ここで遠野の深層心理にいる彼女の顔が、はっきりと明里になったように思う。
澄田は純粋ゆえに、すべてのことに対してひたむきに向き合って生きてきた女の子だ。
そんな澄田も、遠野の言葉で一段階大人へと成長し、割り切れる部分は割り切ってもいいんだ、遠野くんもそうしているんだという安心感から、澄田は徐々に自分の中にある迷いを払拭していく。
その後、澄田は姉に『進路はどうしたの?』と聞かれ、『まだ決まってない』と答える。続けて『でもいいの、決めたの。できることからやるの』と、決意あらたに生きていくことを示す。姉はそれを聞いてにやりと笑い、妹の成長を実感する。
澄田は波に乗ることに成功し、その日に遠野へ告白しようと決め、帰り道にいつも迷いながら買っていたヨーグルッペではなく、遠野と同じコーヒー牛乳をすぐ選ぶシーンは何度見ても良い描写だなあと思う。
澄田なりの一歩を踏み出したそのすぐ後に、澄田は遠野の服を後ろからつまむ。遠野は少し強い口調で『どうしたの?』と聞くのだが、これがまた深い描写に感じた。
遠野の一言を聞くまで澄田は告白をしようと考えており、遠野への告白も、サーフィンで波に乗れたように上手くいくと考えていたに違いない。
根拠はないが、ある種ハイになっていたのがこの場面の澄田である。
しかし、遠野の口調とその遠い目を見て、澄田は結局告白できず、遠野と歩いて帰ることになる。
澄田が泣き始めると、遠野は驚いた表情で『どうしたの?』と聞くのだが、ここは本当にどうしたのか分かっていなかったような顔が見て取れた。
澄田のナレーションで、『お願いだからもう私に優しくしないで』と入り、遠くでロケットが打ちあがった描写に移る。
その前にも澄田は『優しくしないで』と伝えようとするのだが、聞き取れなかった遠野に対して『何でもない』と言っていることから、これ以上好きになってつらくなりたくないから優しくしないでほしいけど、好きだから優しくしてほしいという感情のせめぎあいを描いているのだろう。とても良い表現だと思った。
打ちあがるロケットを見て、科学者たちのその行動原理と遠野の感情を重ねて、澄田はここではっきりと失恋をする。
第三話『秒速5センチメートル』
総まとめというべき第三話では、遠野は立派な社会人となり、明里が結婚する事実が描写される。
明里はその後も順調な人生を送っていた様子だが、結婚を機に同棲を始めるための準備のような場面で、手紙を見つけたことを語る。
手紙を見つけて、その夜の夢に、第一話の光景を見たという。明里がこの歳になるまで遠野宛ての手紙を捨てなかったのは、やはり明里も思うところがあったのだと思う。
一方遠野には水野という彼女がいたが、すぐにメールで振られるシーンになる。水野からのメールには『1000回もメールをやりとりして、たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした』と書かれていたので、水野からすれば遠野はまた遠い存在であったのだろう。
遠野はそれを見て、『ただ生活しているだけで悲しみは積もる。日に干したシーツにも、洗面所の歯ブラシにも、携帯電話の履歴にも』と語った。
これはすべて異性との関係があるからこその悲しみの描写であり、シーツは彼女との温もり、歯ブラシは泊まり用の本数、履歴にはメールということだろう。これらから、遠野は水野との失恋を少なからず悲しんでいることが分かる。
ここにあるすれ違いは、どちらが悪いということもないのだろう。遠野は、自分が何を求めているかも分からずにただ働き続けたと語るので、きっと大人になってからもコスモナウト同様に遠くを見ていたに違いない。
ただ、何年も過ごすうちに純粋な恋心のようなものは消え失せてしまっていたのだろう。
その後、遠野と明里が交互に語る描写で、
『昨日、夢を見た。ずっと昔の夢。その夢の中では僕たちはまだ13歳で、そこは一面の雪に覆われた広い庭園で、人家の明かりはずっと遠くにまばらに見えるだけで、降り積もる新雪には私たちの歩いてきた足跡しかなかった。そうやっていつかまた一緒に桜を見ることができると、私も彼も何の迷いもなくそう思っていた』
と続き、一面にタイトルが表示され、『One more time, One more chance』が流れるエンディングとなる。
エンディングでは、場面の切り替えが早いものの、高校時代の明里がひとりで登校しながら桜を眺めていたり、遠野宛ての手紙を書こうとしていたりする描写がある。実際に書いたかどうかは不明だが、学ランを着た遠野がポストに手紙が入っていないのを眺める描写もあるので、高校時代に手紙のやり取りはなかったと思われる。
最後の最後に、遠野と明里が踏切ですれ違い、お互いに振り返ったタイミングで電車が通り、遠野は立ち止ったまま電車が過ぎ去るのを待つが、そこに明里の姿はなかった。遠野はそれが明里だったと気づいているが、そこに明里がいないことにどこか嬉しそうにして、そのまま
立ち去る。
遠野自身が明里を振り切れたという描写のひとつと捉えることができるが、真偽は不明である。
個人的には、彼女もいなくなり仕事もやめ、明里を振り切ってこれからようやく人生がスタートするといった前向きな最後に感じた。
総まとめとなるが、昔に見た時と比べてかなり前向きなストーリー展開に感じることができた。テーマとして『思いやり』があると感じるかどうかが分かれ目な気がする。自分自身がもっと大人になったこともあるのかもしれない。
『One more time, One more chance』のタイトルの通りで、遠野も明里も澄田も水野も、それぞれもう一度チャンスがあれば望む未来を手に入れられたかもしれない。そういう人生におけるすれ違いやタイミングが、それこそどうしようもない流れとして存在しているのだということを感じられる良い作品だった。
以上。