先日、雑談に訪れた学校のカウンセラーさんが

神戸の事件の犯人と同い年で、事件の際

犯人は子供ではないかと思っていたら、本当に子供だったため

自分は犯人と似ているのではないか

犯人と通ずるところがあるのではないか

もしかしたら犯人とそう変わらないのではないか

と感じ、

話を聞いてくれる人が居ない子どものために

カウンセラーになろうと決めた

と言う話を聞いた。

いいカウンセラーさんで

こんな人が学校に居てくれることが

ありがたいと思った。


この加藤智大にも

ゆっくり話を聞いてくれる相手が居たら、

それだけで救われたかもしれないと思う。

彼は許されないことをした。

ご遺族が読めば、怒り心頭なのは最もだし

なぜ殺人につながったのか

誰も納得できるはずがない

でも

孤独がどんなに人を蝕むか とか

取調べが彼の人間不信を増大させたことなどについては

受け止める必要があるように思う。

彼が自分の外の世界に考えを至らせるには

まずその段階が必要なように思えた。

幼児に対するのと同じように


いじめられ孤立して命を絶つ子どものように

自殺していたとしても不思議ではなかった。


孤独が引き起こした結果として

殺人と自殺という形は紙一重なのかもしれない

けれど大きな違いである


なにが両者を分けるのだろうか