寒くなる前の天気のいい秋の一日、
日本最初の世界文化遺産 法隆寺へ
まず、
南大門から西院伽藍へ
途中、西大門から東大門への土塀と石畳の道を
横切って、
西院伽藍の「中門」です。 左奥に「五重塔」
「中門」に入口が二つ、珍しい。
中門の左右に立つ塑像の「金剛力士像」
中門を入ると、
日本最古の「五重塔」
五重塔の最下層の内陣は
東西南北の四方に釈迦に関する四つの場面を塑像の小群像で表現されています。
法隆寺五重塔「相輪」
裳階と初層の軒の間で何か居てます。
ふんばって、なんとか頑張っている「邪鬼」
余談ですが、
唐招提寺金堂の邪鬼は「金堂を1200年以上守ってくれたのに悪い意味を持つ邪鬼では申し訳ない」との事で「隅鬼(すみおに)」と呼ぶらしい そうすると、ここ法隆寺五重塔の「邪鬼」は
江戸時代の補強であり、貴方はまだまだ若いと言うことか。
法隆寺の中でも最も古い
まさに世界最古の木造建築
「金堂」
上層に中国風の卍崩しの高欄・人字型割束が見えます。
ここにも居てました。
邪鬼の代わり? 獅子か?狛犬か?
二層目の柱には「龍の彫刻」
金堂内には金銅釈迦三尊像・金銅薬師如来座像・金銅阿弥陀如来座像・樟で造られたわが国最古の四天王像などが安置されてました。
四天王像を見て、奈良国立博物館での「国宝 法隆寺金堂」展を思い出しました。ポスターの「日本最古の四天王」のキャッチコピーに魅かれて展覧会に出かけました。
(15年ぐらい前だったかな、懐かしい)
「廻廊」
「廻廊の連子窓」越しの景色も趣きがあります
「大講堂」
中門・廻廊・大講堂で金堂・五重塔を包み込み西院伽藍を構成してます。
「聖霊院」
西院伽藍の東にある東室の南端部を改造し、
内陣には袍を着用、笏を両手で持ち、豪華な冠をつけた正装の「聖徳太子像」を安置する。
この日は拝覧することは叶いませんでしたが、
「聖徳太子と法隆寺」展のビラで、その像を見た覚えがあります。
「馬屋」
聖霊院に向かって右にあり、中を覗くと
左に聖徳太子の従者·調子丸、右に愛馬·黒駒の像見えるかな。
「大宝蔵院」
中門から撮った「百済観音堂」
左「西宝蔵」・右「東宝蔵」
百済観音像をはじめ夢違観音像・推古天皇所持の仏殿と伝わる玉虫厨子・金銅阿弥陀三尊像を本尊とする橘夫人厨子等が安置されてました。
さて、
東院伽藍へ、東大門への石畳の道を行きます。
東大門を過ぎ少し行くと、東院伽藍
「夢殿」です。
東院伽藍の中心となる八角円堂の建物で高い基壇の上に立つ、その中央の厨子には聖徳太子等身の秘仏救世観音像を安置してます。
この日は厨子が開扉されており秘仏の「救世観音像」を拝観することができました。全身の金箔がよく残って輝きがあり、金銅仏と見間違うくらいでした。
以前に来た時は暗くてよくわかりませんでしたが、今回は日の照り具合が良かったのか、だいぶはっきり拝観できました。
あとでパンフレットを見ると、
「救世観音像」の周囲には聖観音菩薩像・聖徳太子の孝養像・乾漆の行信僧都像・道詮律師の塑像なども安置されてたようですが、救世観音像ばかりに気がいってたからか、やっぱり暗かったからか記憶がおぼろげです。
夢殿の「露盤宝珠」
「舎利殿・絵殿」
東側が「舎利殿」
聖徳太子2才の春、東に合掌したその掌中から出現したといわれる舎利を安置する。
西側が「絵殿」
聖徳太子一代の事蹟を描いた障子絵が納められている。
「東院鐘楼」
袴腰と呼ばれる形式の建物であり、装飾性や音響効果を高めるらしい。
この中には(中宮寺と陰刻された梵鐘)が吊るされています。
法隆寺をあとにして、
法輪寺へ
「講堂」
耐火耐震の講堂(収蔵庫)であり、
11体の仏像、出土古瓦、三重塔模型などが収蔵されており、当日も10数名の学生さん達がそれぞれ思い思いの仏像を写生されてました。
(芸大生でしょう、上手でしたねぇ〜)
「金堂」
「三重塔」
法輪寺三重塔「相輪」
飛んで来た、塔の高欄へ。
調べてみた、「イソヒヨドリ」か?
この日一番の写真かな。
続いて、
法起寺へ
「講堂」
日本最古の「三重塔」
二層目の「雲斗・雲肘木」「卍崩しの高欄」
法隆寺西院伽藍と同様の飛鳥様式と呼ばれる建築様式である。
一層目・二層目は柱の間が三間なのに対して三層目は二間になっている。これも法隆寺五重塔と同様である。
法起寺三重塔「相輪」
相輪の上部「水煙」も塔によっていろいろありますね。
思ったより暖かい一日でした。
のんびり帰りました。