再掲 「いつ夕」解説 67

七日目 Ⅲ

 

 

三山夫妻と出逢えたことで、

 

ヨシ君の心は和やかな安らぎに満たされます。

 

こーゆー時って、何もかもが「好いなあ~」と感じられますよね。

 

幸せな時には、たとえ悪口を言われたとしても、

 

「そうだねー。俺は悪い奴だよね~」

 

「そーゆー見方もあるよね~」、と、認められますし、

 

『何か嫌なことでもあったのかなあ』、と、相手を気遣うこともできますが、

 

気持ちがささくれ立っている時は、ちょっとした言葉尻や揶揄いの語句に

 

過敏な反応をし、「何だとーっ」、と、突っかかってしまう。

 

心の平穏は大切ですなあ。

 

 

駈け出しの頃の一矢の話からの流れでしょう、

 

ヨシ君は、お気に入りの[ 逃亡者 ] を飲みながら、

 

一矢がバーテンダーになった〝きっかけ〟を訊ねます。

 

これは、俺も、「いつ夕」に記している通りですね。

 

母と回し読みをしていた、北方謙三さんのハードボイルド小説。

 

BARの場面で、数々の様々な酒、カクテルが出てきて興味を持ちました。

 

バーテンダーもカッコ好く描かれていて、

 

特に「碑銘」の坂井クンは、母子のお気に入りでした。

 

母が連れて行ってくれた老舗のBARで飲んだ「サマークイーン」。

 

バーテンダーの佇まい。

 

感動しましたね。

 

何だか、母の影響が〝大〟だなあ、と、思ってみれば、

 

進路を決める時に、父が建設系の仕事をしていたので、

 

(父にできるのなら、俺にもできるだろう、みたいな安直さ)

 

取り敢えず、工業高校の建築科に入り、その流れで建設会社に就職したものの、

 

やっぱり、自分がやりたいことは、バーテンダーである、と。

 

父ではなく、母が培い育んでくれた、母と共に築くことができた、

 

意識、思想というのか、興味、価値観、好奇心と行動力、

 

(行動力で云えば、「まあ、やってみんけんよ」とか、「好きなようにお仕」とか、

 

「自分で調べなさい」(これは母が博識だったこともあり、

 

俺が何でも訊いていたので) とか、

 

「何とかならい。と、ゆーか、何とかするんよ」とか、言ってくれたもんです)

 

そして、自らの意志に従ったような感じもします。

 

バーテンダーの職に就いていることも、

 

BARを舞台にした小説を記したのも、

 

現在、幸せなのも、源は、母なんでしょうね。

 

ありがとー!\(^o^)/

 

 

日日好日

 

 

そーですねー。

 

時折、バーテンダーになった〝きっかけ〟を訊かれることがあります。

 

バーテンダーになれて今年で35年。

 

これからも楽しみます。

 

Keep Only One Love

 

☆☆☆☆☆

 

 

 

暁をまちながら