再掲 「いつ夕」解説 58

六日目 Ⅱ

 

 

 

 

さて、お腹が満たされたヨシ君は、一矢から貰った本、

 

Rolling  バーテンダー浪人の軌跡」を読み始めます。

 

これも、俺の実体験ですが、空腹の時は気が滅入ってしまう。

 

旅の空、「俺は何やってんだろう」とか「こんなことして何になる」とか、

 

虚しい気分になる時って、腹が減っているのです。

 

それが分かってからは、虚しさを感じ始めたら、兎に角、食べるようにしました。

 

旅の空ですから、店で買うなり、食堂で食うなりするので、

 

当然、誰かと接する、喋ることになる。

 

「グラシアス」 「デナーダ

 

「ダンケシェーン」 「ビッテシェーン」など、

 

これだけの会話だけでも元気が湧いてくる。

 

空腹になったら、対象(食物) で胃袋を満たし、また、「食べる」という行為で、

 

自身の実存を確かめる。(大袈裟)

 

空虚になったら、対象(人) と会う、会話する、触れ合うという行為で、

 

自己の実存を確かめられる、と、ゆーことなのでしょう。

 

逆に、食べ過ぎで苦しい時 (肥満時)、人間関係の煩雑さに苦悩する時は、

 

食を少なくし、ひとり静かに過ごす (瞑想。対象が空(くう)) とか、

 

海や空を見る (対象がでかいので空に近い) とかがいーのでしょうね。

 

 

ヨシ君は、一矢の本を対象に、自己を確かめるわけです。

 

Kool で面と向かって対話するのとは違い、すぐに返答はありませんが、

 

文章を追えば、ちゃんと答は記されている。

 

そのままズバリの答もあれば、言い回し、語句、行間から滲んだり、

 

読者自身が、その答を出せるように誘導?されていたりされているわけです。

 

作者との対話。これも読書の楽しさの一つでしょう。

 

物語の筋を追うのも楽しいですが、

 

登場人物たちの行動、心情、会話などや、物語の展開から、

 

作者の意図、思想、願望、執着、偏向、世界観などなどを

 

読み解いてゆくのも面白いですねえ。

 

会話と違い、何度でも読み返すことができ、じっくりと考え込むこともできますし。

 

 

「何事に対しても、好いように好いように考えて楽しみながら行動する。

 

すると不思議なことに物事が好いように運んでゆく」

 

「間違い、過ち、失敗も、結局は好い結果へと繋がってゆく」

 

「幸せなんて気の持ちよう、考え方次第、なんて云うが、

 

世の中なんて案外そんなものかもしれないな」

 

ヨシ君は、一矢の本から、これらのことを読み取り、

 

元気を出してくれたようです。

 

一矢の実体験が綴られているのですから、それなりの説得力があり、

 

それを読むことで、一矢の経験が、ヨシ君の経験(知識)になってくれたのでしょう。

 

 

自分の気分次第で、世の中は、薔薇色にも、灰色にも染まるのではないでしょうか。

 

喧噪には静寂を。寂しさには会話を。

 

空腹には食事を。胃もたれには断食、軽食を。

 

みたいな感じで、気分 (行動) 転換も大切なのでしょうね。

 

凝り固まり過ぎは、よろしくない、と、ゆーことです。(*^_^*)

 

どーしようもない時は、

 

静かに心拍、呼吸を意識してみる。

 

自身の生命の元に意識を集中してみるわけです。

 

自身の生命から、元気をもらうって感じですかね。

 

生きている、生きられている、生かされている、って、

 

幸せなことじゃあないですか。  \(^o^)/

 

 

日日好日

 

 

そうですねー。

 

Kool は、日曜が定休日ですので、

 

日曜日は、だいたい夕方近くまで寝て、洗濯して買物へ行って、

 

食べたいものをつくり、お腹いっぱい食べて、後はのんび~り過ごすのですが、

 

寝る前に寝床に入って、以前読んだ本を読み返すこともあります。

 

もう何遍も読んでいる本なのですが、

 

新たな発見というのか、新たな感慨感想があるもんですね~。

 

日々更新しているのですから当然のことなのでしょうが、

 

再読出来得る本を沢山持っていられる俺は幸せ者ですし、

 

読書を楽しめられることもありがたいです。

 

読書の楽しさを教えてくれた母に感謝します。

 

 

 

暁をまちながら