再掲 「いつ夕」解説 50

四日目 Ⅶ

 

 

 

〝だんっ〟

 

 ヨシ君の「意味のある自己表現」についての思考を遮るように、

 

 カウンターを叩く音が響きます。

 

 この鴨川さんの行為も自己表現なわけです。

 

 これは、「意味のある自己表現」なのでしょうか、

 

と、いう問い掛けも含んだシーンなんですね。

 

 

 鴨川さんは、初期の「いつ夕」では、中村さんでした。

 

 俺が中村町に住んでいたからですが、

 

 当時の市長が中村さんでしたので、

 

「坊っちゃん文学賞」の審査に影響があるのでは、

 

 (現体制批判と捉えられるかな、と。

 

「いつ夕」自体が現体制とは違う体制、社会を築く革命的な物語なのですから、

 

些末な気遣いですね) (^_^;)

 

 と、その後、居候させてもらった伯母の家があった

 

鴨川町のからの名に変更しました。

 

 

 鴨川さんも〝パッション〟に衝き動かされています。激情ですね。

 

 一矢の「好きなように、生きている、生きられている、生かされている」ことが、

 

 気楽に生きていることが、羨ましくもあり、腹立たしいのでしょう。

 

 詳しくは記していませんが、

 

 多分、鴨川さんは、銭、出世などの為に、自分の「好きなように生きる」ことを、

 

 我慢、抑圧しているのでしょうね。

 

 「これだけ頑張って、我慢してやっているのに、一所懸命やっているのに、

 

足掻いても足掻いても、何で報われないのか」

 

 と、いう不満が鬱積しているのでしょう。

 

 目指していることが、高過ぎるのか、大き過ぎるのか、

 

 それとも、銭、出世という目標設定自体が自分に合っていないのか、

 

 (本心では、銭、出世にあまり価値を感じていないとか)

 

 謂わば、自己認識、自己把握、が、あまり出来ておらず、

 

自己確立が不安定である状態なのでしょう。

 

 何となく、世間の風潮、メディアなどの価値観の影響を受け、

 

 銭、出世が幸せなのだという価値観を持ってみたものの、

 

 どうも、そうではないようだ。銭儲けや出世をする為には、

 

 「汚いこと」「嘘」「卑屈」「ズルさ」など、

 

自分が本来なら嫌なこと、悪いと思っていることをしなければならない。

 

 銭や出世を得る為に心を犠牲にしなければならない。それが幸せだろうか。

 

 しかし、世間では、金持ち、地位が高いことが幸せだとされている。

 

 自分が不幸せなのは、努力が足りないからだ。

 

 もっともっと銭を稼ぎ、出世すれば幸せになれるのだろう。

 

そうかと思えば、一矢のような価値観の者がいて、

 

 それが不幸ならまだしも、いつも、楽しく、幸せそうにしてやがる……。

 

 みたいなことを鴨川さんは、漠然とながらも思っているのかもしれません。

 

 これが、銭、出世の価値観に疑いを持たず、どっぷりと浸かっていたなら、

 

 まず、Kool には、来ていないでしょうね。

 

 同じような価値観を持つ、高級店、上流と云われる店に行くでしょう。

 

 一矢にしてみれば、そんな鴨川さんの苦しみを解 (ほぐ) してあげたい、

 

 楽にしてあげたい、幸せになってもらいたいのですが、

 

 こればかりは鴨川さん自らが解し、楽しみ、楽になり、

 

幸せになるしかないのでしょう。

 

 「…俺は、何にもできないんですね」

 

 一矢の呟きは、個人が個人であるがゆえの言葉なのかもしれません。

 

 他者が自己になれないように、自己も他者にはなれないのです。

 

 他者の人生は代わってあげられない。

 

 自らの人生は自らが生きるしかない。引き受けるしかない。

 

 そして、幸せとは、他者から与えられ (与えられることは有難く、幸せなこと

 

ですが、与えられることをアテにすることですかね。権利だけ要求して、

 

義務、責任を放棄するって感じかなあ。やるべきことをやらず、与えられることを

 

当然のように待っている状態)、他者に求めることではなく、

 

自らが幸せになる、自らが自らを幸せにすることなのかもしれませんね。

 

 も一つ云えば、他者へ与えること、他者へ与えられる立場になれることが

 

幸せなのかもしれません。

 

 この〝幸せ〟についても、後に、ヨシ君は答を見出してゆきます。

 

 

 ヨシ君も「キッス・オブ・パッション」が効いたのか、熱く語りましたが、

 

 自分の言った言葉が、自分に返ってくる、

 

 自分に言い聞かせるように語る、

 

 そんなことって、ありますよね。

 


 

日日好日

 

 

他者へ対する自らの無力感、社会へ世界へ対する自らの無力感。

 

ありますねー。

 

〝モスキート・エフェクト〟だと云ってみても、

 

なかなか自らの想い描く好い社会、世界が実現しない。

 

もどかしさ、やりきれなさ、切なさ、嘆息……。

 

 

♪ Baby Baby 明日のことは 誰にもわからないさ

 

Take my hand 目を閉じないで

 

 

そうですね。

 

TONIGHT

 

今夜、今、やれることをやる。

 

日々、活き活きと、気づいて築いてゆく。

 

日々を好き日にしてゆく。

 

この夜を好き夜にしてゆく。

 

 

 

 

 暁をまちながら