再掲 「いつ夕」解説 41

三日目 Ⅷ

 

 

境遇、夫婦についての解説が長々と続いておりますが、

 

 これは、人間形成に於いて、重要なことは親子関係である、と。

 

 親子関係には、家庭環境、両親(夫婦)の関係、親の職業、親族との関係、

 

 両親の生い立ち、思想……、と、様々なことが関わってきます。

 

 単純な論法ですが、よい人間形成には、よい親子関係が重要だとすれば、

 

 よい夫婦関係が大切であり、

 

よい夫(父)、よい妻(母)であることが大切である、と。

 

 とどのつまりが、自らがよい人、よりよくを目指す人が、

 

 よい人を育てられるのではないか、ということです。

 

 

 俺は結婚、子育てをしていないので偉そうには云えませんが、

 

 大切なことだと思うので僭越ながら述べさせて戴きます。

 

 結婚する、親になる人達は、夫婦になる、親になる、という責任について、

 

 考えたことがあるのでしょうか。

 

 言い換えれば、夫婦の役割を「する」、親の務めを「する」

 

 と、いう覚悟を持って結婚し、子育てをしているのでしょうか。

 

 夫婦、親、家庭の責任、覚悟があるのならば、

 

 夫が妻に暴力を振るうだとか、夫婦の信頼関係を損なう浮気をするだとか、

 

 家事、育児放棄、ましてや虐待などはしないはずでしょう。

 

 本来ならば、結婚や育児、家庭生活への責任、覚悟は、

 

 親が教えるべき、伝える、示すべきことなのでしょうが、

 

 その親自身が責任、覚悟なき者ならば難しいでしょう。

 

 本編には記していませんが、「いつ夕」ワールドでは、高校にあたる教育機関で、

 

(詳細は、解説 ㉒をご覧ください。6~11歳、小学校、12~14歳、中学校、

 

15~17歳、高校、18、19歳、準成人(大学なし)、

 

20歳~、成人。一人前に成る。自らの人生は自らが引き受ける人に成る)

 

 結婚、育児、家庭について学ぶ機会を設けています。

 

 学ぶと云っても、押し付けではなく、生徒同士の討論、議論が主です。

 

 高校は全寮制なので、親と離れ、少しは冷静に自らの家庭について

 

 考察できることでしょう。

 

自らの家庭を考察、発表する、他者の家庭を知ることによって

 

 よき家庭とは、家族とは、夫婦とは、親子とは、何なのか考える。

 

 よき家庭を築くにはよき伴侶(パートナー)が必要だと気づく。

 

 よき伴侶を得るには、自らがよき者にならねばならなぬことに気づける。

 

 よき者、よい人間とは、どういった人なのだろう。

 

 自分は、どのような「よい人」になりたいのだろう。(理想、目標)

 

 どうすれば、そのような「よい人」になれるのだろう。

 

 その為に、今、何をすべきだろう、するのだろう。

 

 ってな感じですかね。

 

 15~17歳といえば、自己確立の時期かと思われます。

 

 少々、青臭くても、背伸びしても、理想主義でもいい、

 

この時期に、しっかりと自分を見詰め、把握し、自己を確立して戴きたい。

 

 変更、修正、調整、更新は、後から幾らでもできるのですから。

 

 と、ゆーか、人生は更新の連続なのですから。

 

 

 

 教員も人生経験豊富(いきなり教員になるのではなく実社会で働く)で、

 

基本、育児経験者が資格を得られる制度ですから、

 

 自らの夫婦関係、家庭、育児体験からアドバイスできます。

 

 字の如く、先生なのです。

 

 自らの育児経験から、親たちへ(参考としての)助言もでき、

 

 相談にも親身になって乗れることでしょう。

 

 子のみならず、親の先生でもあるわけです。

 

 企業で何十、何百人もの部下を(勿論、我が子も)育成した人とかが、

 

50~55歳くらいに早期退職して、教員になるのも好いでしょう。

 

 (「いつ夕」では60歳定年。管理職からは退いて戴きます)

 

 人間形成には親も重要ですが、それを支援、援護する学校も重要、

 

 即ち、教員が重要な役割を果たします。

 

 現在でも、家庭環境がまずくてグレたとしても、先生の援けで立ち直れた、

 

 と、ゆーことがあるかと思います。

 

 子だけでなく、親も教育するには、子からも親からも尊敬される者でなくては

 

 難しいでしょう。なので、経験と実績が求められるのです。

 

 も一つ云わせて戴くと、親、教員だけではなく、周りの大人たち、

 

 近隣住民、町、地域、社会を挙げて、子を育てるのです。

 

 社会全体、国を挙げて、次世代を担う「人」を育成するのです。

 

 その責任を感じられれば、下手なコトは出来ませんね。

 

 うかうかしてられませんね。犯罪や、悪徳なことをしていられませんね。

 

 子供達に、後輩たちに、次世代に、手本を示さなければならないのですから。

 

 こうなってくると、人生の目標の一つが、明確になるのではないでしょうか。

 

 次世代の育成です。(知恵、工夫、技術、思想の伝承も含む)

 

 次世代によりよい豊かな社会を授けることです。

 

 子孫繁栄です。(産みっぱなし、数だけ増やすことではありません。

 

責任なき、覚悟なき、結婚、育児、家庭生活をすることではありません)

 

 これって、自然の摂理にも適っているのではないでしょうか。

 

 俺は肉体としての子を残そうとは思っていませんが、

 

 以前記した〝思想の血〟は残したいです。

 

 「いつ夕」は、俺の〝思想の血〟です。

 

 一滴でもいい、何かしら伝わってくだされば幸いです。

 


 

日日好日

 

 

まあ、現状は「銭の世の中」ですから、

 

教育も学校も社会も「銭」にどっぷりと浸かっています。

 

子供たちも生まれた時から「銭の世の中」に浸されて育てられますし、

 

大人たちも「銭の世の中」に浸されて育てられてきたのですから、

 

俺の提案する「銭のない世の中」が響かないのも、

 

自らが「銭のない世の中」を想い描くこともないのでしょう。

 

最近、AIが発達して、質問に応えてくれるそーですから、

 

「人類が豊かに平和で幸せに暮らせる社会とは?」

 

とゆー質問をしてみても面白いでしょうね~♪

 

「ゼニヲナクセバイイノデス。ソシテ……」

 

俺の提案と似てたりして。

 

「コノコトハ「いつか見た夕焼け」デ、スデニ発表サレテイマス」

 

そしたら、空前の「いつ夕」ブーム到来ですかねー。

 

「AIの言うことなら聞くんかいっ!」

 

と、ツッコム日を楽しみにしています。

 

 

 

 暁をまちながら