再掲 「いつ夕」解説 40
三日目 Ⅶ
ここで、ヨシ君と一矢はラーメンを食べます。
この、ラーメン。
よく県外からのお客さんに「美味しいラーメン屋を教えてください」
と、尋ねられるのですが、
「う~ん」と詰まってしまいます。
早い時間なら即座に「ラーメンではないのですが……」
と、前置きして、「ゆら」(一番町の焼鳥屋) の「チャンポン」を、
絶大な自信を持って(俺自身が美味いと思っているので)、勧めるのですが、
遅い時間だと困ってしまいます。
俺にラーメンへの興味、情熱がないことが原因なのでしょうが、
「ゆらのチャンポン」ほど、喉を掘って紹介したいラーメンが無いのです。
なので願いを込めて、この場面を書きました。
誰か、「これぞ、松山!」とゆーよーなラーメンをつくってくれませんかねえ。
一応、「いつ夕」では、魚(煮干)の出汁が効いた醤油ラーメン、と、しましたが、
美味しくて、松山らしい (これがクセモノですね) ラーメンを待望する次第です。
カクテルで云えば、俺の「松風」のような。(*^_^*)
「松山ラーメンコンクール」とかやらないかなあ。
まあ、嗜好品なので、優劣順位を決めるものでもないですが、
参考までに、人気の味というのは知りたいものです。
得票操作とかされたら無意味ですけど。
お三津の「おでん」には「芥子味噌」が、たっぷりと添えられています。
これは、松山ならではのようですね。
ヨシ君にとっては、お母さんとの思い出の味なんですね。
「広島風のお好み焼き」にしろ、「芥子味噌」にしろ、
「食」の思い出、特に母親の料理というのは、
失ってみて、二度と味わえなくなって、
その有難さがしみじみと分かるものなのかもしれません。
それは料理が象徴する母親という存在の有難さだと思います。
まあ、これは、人それぞれの母子(おやこ)関係にも寄るでしょうから、
一概には云えませんね。
俺は感謝できる母親に恵まれて幸せ者です。
大将のラーメン、お三津のおでんの話から、夫婦分業の話へ。
これは先の職業の話を夫婦、男女に敷衍した感じですかね。
男女それぞれに特性がありますから(個人差はありますが)、
それぞれの特性を活かしてゆこう、も一つ踏み込んで、
男、女の枠にとらわれず、個人の特性を活かしてゆこうじゃあないか、
て、ことにも繋がるのですが、俺は、
折角、男として、女として生まれたのですから、それぞれの「らしさ」、
(共同幻想で思われているところの男女の性質) を活かして、
大切にしてゆければいーのになあ、と、思っています。
男尊女卑的な差別ではなく、
肉体的、性質的 (これは多分に文化的な要因ですが。その集団の文化、
親も含めた社会が「男らしく」「女らしく」育てる、接するから「らしく」なる。
服装、髪型、仕草や態度、言葉遣いなど) な違いという区別ですね。
個人の違いを尊重するように、男女の違いをお互いに尊重しよう、
カッコイイ、綺麗、可愛いなど、よいところは伸ばし、褒め称え合い、
足りないところは補い合い、助け合い、お互いに高めあってゆこう、
と、ゆーことです。
人類が長年かけて育んできた(大袈裟) 「男らしさ」「女らしさ」という概念、
俺は好きですね。
勿論、これは俺が好ましく思っているだけで、
既存の「らしさ」(幻想) にとらわれたくない人はそれで好いでしょう。
男だけど女らしく、女だけど男らしく、生きたい人がいたって好いと思います。
大切なのは、男性と女性、個人と個人、老若男女が、お互いを尊重し合って、
豊かで楽しく幸せに暮らしてゆける社会を築くことだと俺は思います。
日日好日
そうですねー。
末文の「大切なのは、……」。
これですね。
豊かで楽しく幸せに暮らしてゆける社会を築いてゆくことには、
その社会を氣づいてゆくことが大切でしょう。
氣づいてゆことの〝きっかけ〟に、この記事たちや、
「いつ夕」がなってくれたなら幸いです。
暁をまちながら