再掲 「いつ夕」解説 24

成長Ⅰ

 

 

「いつ夕」では、

 

社会、国家、人類の発展を個人の成長と重ねて述べています。

 

本来なら、発展なのか退廃なのか、成長なのか退行なのか、

 

見方によって変わるので、変化といった方が適切なのでしょうが、

 

俺自身の成長への願望と希望を込めて、成長と云わせて戴きます。

 

 

個人の成長で云えば、

 

自己中心的から、共生、調和へ、と、いったところでしょうか。

 

子供の頃は、我儘で自分勝手、自分本位なものですが、

 

成長に従い、他者への「思いやり」や「気遣い」が

 

出来るようになってゆくかと思います。

 

初めは、躾や強制からでしょうが、

 

だんだんと、その意味、理由を理解でき、自発的に

 

自分とは違う他者を認め、理解しようとし、

 

他者を尊重できるようになってゆくのではないでしょうか。

 

自分以外を否定するのではなくて、肯定できるようになる。

 

また、自分と合わない他者に対しては、

 

共有範囲だけ付き合う (例えば、クラスメイトならば、挨拶や困っている時だけは

 

協力するとか)

 

距離を置く、棲み分ける、関わらないようにする、

 

ルールに則り形式上の付き合いとするなど、工夫するかと思います。

 

グイグイと押しつけてくる他者もいますが、

 

その他者への対処、工夫が、成長に繋がります。

 

何もない処からは何も生まれないのではないでしょうか。

 

在るものは在る。在るがままに受け止める、認める。

 

違うものは違う。違うことを認める。

 

まずは、そこから始める。

 

快だけでは工夫も何もいらないし、快を快とも感じられないでしょう。

 

違和(我)感、不快、嫌なこと、ストレスがあるからこそ、

 

対処、工夫をする。そして、適切な対処、工夫が出来た時に快感がある。

 

そう思えば、我々は常に変化にさらされているのです。

 

変化、成長を要請されている。

 

これは、『存在』の本質である、

 

「表現と他者の必要性」の世界で生きているのですから、当然のことなのです。

 

他者とは人に限りません。

 

自己以外のモノ、事象、全てが他者です。

 

時間も然り。一秒前は「過去」という他者です。時は勝手に過ぎてゆきます。

 

それだけでなく、自身の肉体、感情、衝動までもが他者と謂えます。

 

身体が思うように動かなかったり、感情、衝動を制御できなかったりすることは

 

あるかと思います。

 

他者は自分の思い通りにはなりません。

 

自分とは違うので〝あたりまえ〟ですね。

 

『存在』の一部である自分も他者も、その本質に従って、表現をします。

 

表現されたモノ、コトは、既に他者となります。

 

自分の持つイメージも絵に描いてしまったら、自分とは違うモノになる。

 

「表現(生きること、行動)」とは、他者を生産、発見することとも云えるでしょう。

 

生きてゆけば、どんどん他者が増えてゆく。

 

その他者が自分を変化させる。

 

この変化を、消耗、劣化、疲労、に、比重をおいて捉えるか、

 

成長、向上、発展に、捉えるか、まあ、どちらもあるわけですが、

 

どちらに比重を置くかは考え方次第ですね。

 

俺は、変化を成長と捉えたい、考えたいわけです。

 

思い通りにゆかぬこと、嫌なこと、悲しいこと…、様々なことを、

 

成長の機会として捉えたい。

 

こんなことを云えるのも、大した苦労をしていないからでしょうが、

 

こんな考え方だからこそ、大した苦労をしないとも謂えるのかもしれません。

 

他者を肯定し楽しむ。変化を肯定し楽しむ。

 

俺はそうしたいし、そう在りたいですが、

 

他者を肯定することを否定するのが楽しい。

 

変化を肯定することを否定するのが楽しい。

 

そんな人もいるかもしれません。

 

人生とは、楽しいもの、楽しくするもの。

 

人生とは、苦しいもの、苦しくするもの。

 

楽しいが好きな人。苦しいが好きな人。

 

どう考えるのかは、自分次第でしょう。

 

楽しい、苦しいも自分次第ですね。

 

走るのが苦しい人も、好きな人(モノ、コト)の為なら、苦にならなかったり、

 

走るのが楽しい人も、強制されると苦しかったり、

 

想いや状況で変わりますね。

 

変化を肯定する、とは、そーゆーことだと思います。

 

変化とは現状と違うことですから、変化を肯定することは、

 

違うことを肯定することに通じます。

 

変化を肯定すると成長に。

 

変化を否定すると停滞、下手すれば退行に。

 

と、ゆー感じですかね。

 

個人の成長と社会の成長について記すつもりが、

 

成長に手間取り (成るには長くかかるのでしょう)

 

長くなってしまいましたので、次回に続きます。(^^)/

 


いつか見た夕焼け  三王一好

 

日日好日

 

 

今回は本文が長いですし、

 

新たに解説することもないようです。(^_^)

 

 

 

 

暁をまちながら