再掲 「いつ夕」解説 20

志国連合構想

 

 

これは、勿論、四国と志国を掛けました。

 

志 (こころざし) の国ですね。

 

何を志しているかとゆーと、〝和〟であり、〝幸せ〟です。

 

先代まで、まあ、現代もですが、

 

これまでは、飢えの克服、物質的物量的豊かさ。

 

○○主義的な形式、体制での人民統制。

 

人(庶民)の為でなく、(権力者の)体制維持、権力維持、銭のための社会。

 

法治という呆痴。または放置。

 

(法律にさえ触れなければ何をしてもいい。

 

ズル賢い者、詭弁の巧みな者が法律を自分に都合よく解釈して悪用。

 

権力者、富める者は逃れられるという不公平。

 

と、思えば、情のない機械的な判断。

 

先例遵守。(これも結局、上位の者のメンツでしょう)

 

時代、状況に合わぬ法の放置。

 

権力者が都合のよいように法を制定し、人のための法が、

 

人を拘束する、権力者のための法になっている) などなど、

 

物理重視な社会を築いてきたように思います。

 

人間の心理的な面を置き去りに、軽視してきたのではないか、と。

 

それは仕方がないことでしょう。

 

まずは飢えないこと。夏は涼しく、冬は温かく、

 

物理的に安全な快適な豊かな暮らしがしたい!

 

それが、人類の、祖先からの、願いだったし、現在もそうでしょうから。

 

しかし、もう充分に豊かな快適な暮らしができるように

 

なったのではないでしょうか。

 

もうそろそろ、この豊かな物質文明、科学技術を利用して、

 

人(庶民)が、みんなが、心豊かに暮らせるように、

 

安心して暮らせるように工夫することを考てゆく〝時機〟ではないでしょうか。

 

物理と心理の調和した社会。

 

人のための社会が築けるのではないでしょうか。

 

 

前説が長くなりましたが、志国ですね。

 

「いつ夕」では、まずは、個々の人が〝和〟を実践、体現する。

 

(〝和〟とは「自立」と「思いやり」の調和)

 

松山市が〝和〟の街となり、周囲の都市も〝和〟の社会となる。

 

愛媛県が〝和〟の県となり、四国が〝和〟の国となる、

 

と、ゆー感じです。

 

松山だけが自立を、自給自足をしようとしても、難しいでしょう。

 

周囲の都市と連携して、愛媛が自立とゆーのも、まだまだ。

 

しかし、四国、四県が連携したら、

 

そこそこ、自給自足の体制ができるのではないでしょうか。

 

これは、これからの国づくりのモデルケースです。

 

島国、日本の中の島国、四国。まとまるにも手頃な広さ。

 

四県ですし、歴史的に見ても、そうそう仲が悪いわけでもない。

 

四国が〝志国〟になる過程、結果からの課題、解決策、工夫が、

 

九州や山陰山陽、東北などの地方がまとまる参考になる。

 

お手本となるわけです。

 

例えば、四国が「銭いらずの国」を築き上げたとしても、

 

周囲は銭(外貨)の社会です。どう調整するのか。

 

これが、日本が「銭いらずの国」になった時の、

 

海外との調整の参考になるのです。

 

まあ、デカイ話を述べさせて戴きましたが、

 

千里の道も一歩から。

 

何事も意志、志(こころざし)から始まります。

 

一個人の志の集合体が、その集団の、国の志となるならば、

 

一人一人が志を持とう。どうせ持つなら、

 

〝和〟や〝幸せ〟といった志を持とうじゃありませんか!

 

と、ゆーことです。 

 

まずは、自分自身の調和を実践してみる。

 

〝志〟を考えてみる。

 

その〝きっかけ〟に「いつ夕」がなってくれれば幸いです。 (*^_^*)

 


いつか見た夕焼け  三王一好

 

日日好日

 

 

 

いやあ、年明けに相応しい、氣宇壮大な記事ですなあ。

 

我ながら、四国と掛けた「志国」という言葉、氣に入ってます。

 

できれば、まずは愛媛県が「志国」となりたいトコロ。

 

俺のアイディアは、現体制主導ではなく、

 

(議会に政治家を送り込んでとか、

 

市長や知事の首を挿げ替えてとかではなく)

 

志ある者たちが、民間で連携し、民間主体、主導で、

 

「和の社会」を氣づいて築いてゆく、といったことです。

 

陰の政府ならぬ、民の政府ですね。

 

現体制(政権)は、縁戚、派閥や利権で硬化し私物化されているので、

 

(まあ、これも銭の支配下におかれているのですが)

 

公のため、民のための社会、「和の社会」を築いてゆくのなら、

 

民が協力、連携し、エサで政治屋を動かす、遣うという手法が、

 

好いのではないか、と。

 

(政治が商売になり売買されているのですから、

 

それなりに対処しなければならないでしょう)

 

体制の内からではなく、体制の外から改革してゆく、

 

外から包囲して揺らしてゆく緩めてゆく解してゆくのです。

 

「志国連合構想」も、地方が連携、協力して政府を包囲し、

 

改革を進めてゆく、ということですから繋がっていますね。

 

この改革、革命は、国民一人一人が、志、意志をもって、

 

氣づいて築いてゆくことですから、

 

その志、意志をもつ〝きっかけ〟に、この記事たちや、

 

「いつか見た夕焼け」がなってくれたなら幸いです。

 

 

 

 

 

暁をまちながら