筒井康隆さんの小説 「エディプスの恋人」

 

以前の記事 「守ってあげたい」でも少し触れましたが ↓


 

最近、好いことばかり起きるので、

 

この小説の〝母親〟のように、俺の (逝った) 母が何かしているんじゃあないか、

 

と、ゆーよーな妄想を抱いているワケです。

 

で、久しぶりに読んでみました。

 

(ネットのブックオフで購入。便利になりましたね~)

 

 

エディプスは、フロイドが唱える「エディプス・コンプレックス」で有名な

 

ギリシャ神話の「オイディプス」のことでしょう。

 

オイディプスは、「子供を作るな。作れば子供に殺される」と、ゆー

 

(ゼウスも父、クロノスを倒していますし、クロノスも父、ウラノスを追放してますから、

 

子が父を倒す、凌駕する、と、ゆーのはギリシャ神話によく出てきますね)

 

神託を破り、子供を作ってしまい、

 

神託を恐れた父親に捨てられ (父親は殺したつもりでしたが)

 

他所の国の王子として育てられるのですが、

 

養父母の実子ではない疑義が生じ、神(アポロン)に答えを求めます。

 

しかし、アポロンはその問いには答えず、(イジワルですねー)

 

「故郷に近づくな。両親を殺すことになる」との神託を与えました。(マギラワシー)

 

養父母を実の両親だと思っているオイディプスは旅に出ます。

 

道中、行き違いから実の父親を父親と知らず殺してしまい

 

(神託の実現。この下り、ペルセウスにも通じますね)

 

実の故郷へ向かってしまいます。

 

故郷ではスフィンクスが謎を解けぬ者たちを喰らって人々を苦しめていました。

 

王が殺されたので、代わりに国を仕切っていた母方の伯父(叔父?)は、

 

謎を解きスフィンクスを倒した者に、国と妃(母)を与える、との布告を出します。

 

そこで、見事にオイディプスが謎を解き、(有名な「人間」が答えのヤツです)

 

国王となり、実の母とも知らず、母を娶り子供まで作ってしまいます。

 

その後、父を殺したこと、妻が母であることが露見し、母は自殺、

 

絶望したオイディプスは自ら両目をえぐり、国を追放され放浪の旅に出ます。

 

そして、テセウス(ミノタウロス退治、アルゴー船の冒険の英雄) の治める

 

アテナへ辿り着き、彼の庇護のもと、やっと安らかな眠りに着くことができました、

 

と、ゆー悲劇の主人公です。

 

 

ギリシャ神話では、神託は絶対のようですから、

 

いくら理不尽な不条理な神託でも守らねばならないのでしょう。

 

しかし、どーしても子供が欲しかったのなら、 (酔った勢いでしてしまったそーですが)

 

子供に殺されるのを覚悟の上で、

 

( 殺されなくとも、いつかは死ぬ。

 

事故や病気でなく、他人でもなく、愛する我が子に殺されるのならマシじゃないか)

 

殺されるまでは好き家族として暮らすこともできたのではないでしょうか。

 

(憎しみからでなく、誤って殺してしまう、と、ゆーことになるのでしょうから。

 

それに、いつとは言われてないので、長寿の果てに、という可能性だってあります。

 

オイディプスは苦しむでしょうが、

 

神託を承知で自らを産み育ててくれた両親に感謝し、

 

両親の分も生きて、家族、国民を幸せにする國王となったのではないでしょうか。

 

神託なんかに囚われないオイディプスなりの、自らの人生を歩むのではないでしょうか。

 

神託を訊くから、神に答えを求めるからヤヤコシクなるのです。

 

自らの人生は自らの意志で拓いてゆけば好いのです)

 

 

長くなってしまいましたが、「エディプスの恋人」というのは、

 

母を妻(伴侶)に持つエディプスの恋人、その恋人はテレパスの七瀬なのですが、

 

結局、七瀬の身体は、(精神感応能力者、テレパスがゆえに)

 

意識体となっている彼の母親に乗っ取られ、依り代とされてしまうのですから、

 

母とは知らず、七瀬を恋人にしてしまうことを指しているのでしょうか。

 

知らず知らずに、(幻想としての) 母のような女性、母に似た感性を持つ女性に

 

恋をしていることも指しているのでしょうか。

 

読み終わった後の感想は、

 

母親の支配、「エディプスの恋人」の舞台に囚われた七瀬を救うのは、

 

救えるのは彼、智広しかいない。(父親の頼央は頼りないですし)

 

彼が母親の支配に気づき、脱却、解放しなければ七瀬を救えない。

 

母親に対峙できるのは、最愛の息子である彼しかいないのですから、

 

(夫の頼央は、やっぱり頼りないなあ)

 

彼が自立を自主を望み宣言すれば、母親は息子の意志を尊重し退くしかないでしょう。

 

最愛の息子に憎まれたくはないでしょうから。

 

憎み合いの果ては絶縁でしょうし。

 

それに、全知全能、神とも云える存在になった母親が、

 

息子と七瀬の主体性を少なからず認めて (許して) いるのは、

 

息子の自立を望んでいるところもあるからではないでしょうか。

 

その自立を導き促すのは、テレパス(特別な存在) である七瀬しかできないからこそ

 

七瀬を息子の恋人に選んだのではないでしょうか。

 

だから、智広よ、七瀬を救ってくれ、守ってくれー!

 

「今まで、守ってくれてありがとう。感謝している。でも、これからは、

 

俺は俺の意志、七瀬は七瀬の意志で共に人生を拓いてゆく、幸せを築いてゆく。

 

困難も共に乗り越えてゆく。干渉し過ぎないでくれ。そっと見守っていてくれ」

 

と、母親に告げてくれー!

 

( 「家族八景」、「七瀬ふたたび」 と、七瀬を応援してきましたから、

 

当然、俺は七瀬贔屓なワケです。操り人形で終わってしまうなんて哀し過ぎる。

 

と、云っても、元から七瀬は作者の操り人形なのですが……)

 

と、ゆーものです。

 

まあ、解放された七瀬が彼の恋人になってくれる保障はないですが、

 

自立、自主の七瀬と築いてゆけることもあるでしょう。

 

少なくとも、愛する七瀬を救えた喜びがあるのではないでしょうか。

 

 

フロイドの云う「エディプス・コンプレックス」とは、

 

オイディプスが、知らずとはいえ、父親を殺し母親を娶ったことから、

 

母親を我がものとし、父親に対抗心を抱く、

 

幼児期の近親相姦的な複合観念 (所謂、マザコンを含む) のことを指すようですが、

 

この小説の場合は、母親が息子へ抱く近親相姦的な欲求を描いたのではないか、

 

と、思えます。(息子は平気(暢気)かもしれませんが、恋人はたまったもんじゃないでしょうね。

 

所謂、嫁姑問題ってヤツです。しかし、自らが母親になれば姑の気持ちも分かるのかな)

 

母親にとって息子は、王子様であり、

 

理想の男性に育つ可能性を持った自らの分身、

 

自らの男性への憧憬を投影できる存在でしょうから。

 

俺は母親になったことがないので、その辺のことはよく分かりませんが、

 

過保護、過干渉というのか、過支配というのか、

 

我が子を所有物、ペットみたく扱う母親もいるのでしょう。

 

母親にすれば、それが愛情と思っているのでしょうが、

 

子供からすれば、真綿で首を締められるような苦しみでしょうね。

 

その苦しみさえも意識、理解できず、神経症、精神疾患になってしまう子もいるのでしょう。

 

智広も、奉仕されること、守られることをあたりまえとする選良意識を持つ、

 

オカシナ子になっていますから。やっぱ、そこに感謝がなくっちゃなあ。

 

 

俺の母は、そこんトコを好い感じでやってくれたので、

 

俺は爽やかな心持ちで自立できたように思えます。

 

が、やはり自らの母親的なものを求める傾向は否めません。

 

自らと似た感性 (以心。あっ、「以心伝心」って、ある意味テレパスですね) の

 

女性を求め、惹かれる。

 

(自らと似た感性とは母とも似てるワケです。自己愛も感性も母に育まれるのですから。

 

母の影響を受けるのは当然でしょう)

 

母との〝快〟を反復したくなり、ついつい甘えてしまう。

 

(この〝快〟は、主に思想の交流、対話ですが)

 

それは、母から、〝快〟を〝愛〟を与えられ育てられたのですから、

 

仕方がないことなのかもしれませんが、

 

愛される(与えられる、包まれる) だけでなく、

 

愛する (与える、包む) こともできるように、

 

甘えられ求められ頼られ支えられる者でありたい。

 

母のような愛 (好) で包み、守ってゆきたい。

 

友のような愛 (友の字は、右手に右手を添え援けるカタチから) で支えてゆきたい。

 

与える、包む、援け支える、愛することも授けられているのですから。

 

そして、それは母(師)のようであり、母(師)ではない。

 

俺なりの愛を築いてゆきたい。

 

カクテルで云えば、オリジナルカクテルですね。

 

(スタンダードカクテルと云われるものでも、手本、師匠の振り、真似から脱却し、

 

自らの流儀でつくれば、それはオリジナルカクテルと云えるのでしょう)

 

それは、相手 (愛手。ちとクサイかな) がいてくれるからこそです。

 

築こうにも相手がいなければ築け (気づけ) ませんから。

 

そーゆー意味なら、「エディプスの恋人」 七瀬は、

 

エディプス・コンプレックスに囚われた母子を解放する存在なのかもしれませんね。

 

七瀬によって、子も母も、自立、主体性の大切さに気づけ、

 

お互いの自立、主体性を尊重する関係を築いてゆけるのですから。

 

これって、俺の「いつ夕」、記事で述べている〝和〟ですね~ (*^_^*)

 

(と、ゆーことは、オイディプスにも母親以外の恋人が現れたなら救われたのかなあ)

 

そして七瀬は、テレパスの能力を消してもらえばいーのか。

 

テレパスであった記憶、彼女の経験、過去は彼女の主体なので消去改竄せず、

 

能力だけ消す。異常な能力ですからねえ。勘の好い女性くらいがちょーど好いのでしょう。

 

やっと七瀬にも他人の思惑に煩わされない平穏な日々が訪れ、

 

物語はハッピーエンドであり、ハッピースタートですね。

 

 

先日、「御褒美」という言葉の話になって、

 

「それは、御褒美というより、贈り物、ギフト、与えられたもの、だ。

 

御褒美は、何かしらの (褒められる) 行いへの対価、とゆー感じがする。

 

何もしてないのに与えられる、授かるのは贈り物だ」

 

と、言ってくれた友がいて、成程と思いました。

 

確かに俺は何もしていない。

 

この「好いことばかり起きる」状況は、御褒美ではなくて、

 

贈り物、賜りもの、授かりもの、恩恵だ。

 

「御褒美」 (何かを成した、褒められることをした) と思う、驕りがあるんだなあ。

 

そう思えば、生まれてこられたのも、育てられたのも、生きていることも恩恵だ。

 

俺は何もしていないのに、母は産み育ててくれた。

 

好く、楽しく、幸せに生きる生命を、人生を与え授けてくれた。

 

と、ゆーことは、「母が何かしているんじゃあないか」という妄想は、

 

あながちオカシクはないのか、な。

 

「エディプスの恋人」が読みたくなったのも、

 

俺は母を介して『存在』と繋がっているところもありますから、

 

「宇宙意志となった母親」という物語に親しみを覚えるからでしょう。

 

母と友、全てに感謝します。

 

ありがとう。

 

 

 

と、感謝しつつ、俺は俺の意志で今を明日を幸せを築いてゆきます。

 

ともに。

 

 

 

 

 

 

 

日日好日