アラフィフおやじが考える母との距離感と付き合い方

 

こんにちは、アラフィフおやじです。今日は、ちょっと真面目に「母親との付き合い方」をテーマにお話ししたいと思います。施設に入った82歳の母・あっちゃんとの関係を振り返りながら、親子の距離感や価値観について考えてみました。

施設に慣れてきた母、ひと安心…でも

母が施設に入居してから10か月が経ち、お友達もできて、なんとか新しい環境に慣れたようです。まずは一安心。しかし、母のわがままや昔の出来事がふと頭をよぎり、「今後、どう母と向き合っていくべきか?」と悩むこともあります。

特に私は一人っ子。昔から母との距離感には少し特殊なものがありました。今日は、そんな私の子供時代の記憶を掘り起こしながら、親子関係についてお話します。

鍵っ子だった少年時代の記憶

私が幼少期を過ごした昭和の時代、「鍵っ子」という言葉が普通に使われていました。今なら問題になりそうですが、私はまさにその典型的な鍵っ子でした。

4歳のころから、幼稚園から帰ると自分で家の鍵を開けて、ひとりで家に入る。母が帰ってくるまで、ひとりぼっちで過ごす日々です。小学校に入っても状況は変わらず、母は働きに出ていました。

母との会話の中で、成人したある日、こんな言葉を言われたことがあります。

「お前には手は掛けていないが、お金は掛けた。」

この言葉、みなさんはどう感じますか?

「手は掛けないが、お金は掛けた」の意味

確かに、振り返ってみれば塾に通わせてもらい、高校も私立の附属校に進学しました。大学も別の私立に行かせてもらったので、学費にはかなりのお金がかかったことでしょう。しかし、その一方で、私は子供のころから何でも自分でやるようになりました。母がいない間に食事を作り、自分の分だけ洗濯をして、掃除もこなす。親に甘えることなく、自立心が育ったとも言えますが、それは“放置”の結果でもあったのかもしれません。

親子関係の正解とは?

残念ながら、私は子供がいません。だからこそ、親子関係について「何が正解なのか?」と考えることがあります。

手を掛けて、同じ時間を共有しながら親子の絆を深めるのがいいのか。 それとも、私の母のように「手は掛けないけど、お金は掛ける」やり方が良いのか。

この問いに正解はないのかもしれませんが、私自身、母との関係を見つめ直す必要性を強く感じています。

施設にいる母のわがまま、どう付き合う?

施設に入った母は、以前よりもわがままを言うようになりました。「この服は嫌だ」「ご飯が少ない」「もっと会いに来て」といった言葉を聞くたび、どう接するべきか迷います。

子供のころ、私は母にわがままを言うことが許されませんでした。少しでも生意気なことを言おうものなら、手が飛んできたり、長い定規で叱られたりした記憶があります。そんな過去があるからこそ、母の要求に対して心理的な抵抗が生まれてしまうのです。

過去の記憶をどう乗り越えるか

幼少期の体験が、私の性格を作り上げました。親にものを言わず、何でも自分でこなす性格。母との距離感を保ちながら、あまり感情をぶつけずに生きてきました。

しかし、今の母は施設に入って一人で生きていくわけではありません。介護という視点、親子という視点で見ても、私がどこまで母のわがままに付き合うべきなのか、自問自答する毎日です。

母と向き合う覚悟

母との付き合い方に正解はありません。しかし、過去を見つめ直しながら、これからどう向き合っていくかを考えることは大切だと思います。

私の場合、幼少期の記憶が足かせになりがちですが、それでも母のためにできることを少しずつ探していきたいと思います。

親子関係に悩む皆さん、ぜひ一度、あなた自身の親との距離感を見つめ直してみてはいかがでしょうか?

この記事が、どなたかのヒントになれば幸いです。

アラフィフおやじ、引き続き母との向き合い方を模索中です。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

少し、重い内容で申し訳ありませんでした、次回もよろしくお願いします。

 

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