「さよならマエストロ」

 いやぁ第五話って感じに過去の真実が語られ、不穏なエンディングがあり、面白い回でした。家族4人で囲む食卓にはじーんとしたし、中でも一番年下なのに大人にならざるを得なかった高校生の海くんが本音を言うところは泣けましたね。エンディングの當真あみちゃん、そうつながるのか、ってところにまだ来るだろう一波乱、ハラハラわくドキしましたね。7話くらいまでは不穏がマックスに募っていくのだろうな、その後観られるだろうハッピーエンドに向けて、脚本に翻弄されたいと思います。

 

 

ところで、芦田愛菜ちゃん演じるかつてのバイオリン少女がなぜバイオリンをやめたのかというエピソード。指揮者であるお父さんとの共演を夢見てがむしゃらにバイオリンに向かっていたけれど、いつのまにか夢追い人は闘いに疲れた戦士になって傷ついて。過去も否定し未来も閉ざして。化け物に挑んでいく世界に絶望して一線を退いたのだけれど。

「(化け物って)才能ってこと?」

「いや、その言葉はぴんと来ない。何かを表現するために生きている人っているんだよ、その人の中にいっくらでも湧き出る泉がある。それを外に出る方法を探して勝手に疑問もって勝手に研究してとことんのめり込む。知識もテクニックも表現力もどんどん吸収して化け物になる」

それを聞いた時に、いくつか顔が浮かんできました。クラシックピアノ界、俳優の世界、推しが生きている世界の厳しさと、闘いではなくその向こう側の世界のことを想いました。「何かを表現するために生きている」その葛藤と生き様が人を感動させる。知識もテクニックも表現力も当たり前に吸収して出し切ってさらにその向こうの魂までも見せてくれる人たち。そんな化け物って実際にいるなぁという実感が湧いた時にこのドラマのリアルが感じられてよりセリフの一言一言がグッときました。最終回ではバイオリン協奏曲になるんだろうなと予想がついたうえで、なぜ當真あみちゃんが指揮者を志しているのかを考えたら、ちょっとだけ西島さんの体のことが心配になります。タイトルの「さよならマエストロ」のさよならが何を意味するのか、最終回まで見届けたいと思います。

 

 

 

今日はコチラの動画を観ていてその後に「さよならマエストロ」を観たのですが、「何かを表現するために生きている」というキーワードとリンクしたのでご紹介させて頂きます。

何者にならなくてもいい、ゼロより1に1歩を踏み出すことが大事、と信じて「広く浅く」いろいろなことに手を出してきた私、お琴も1年ほど続けましたが辞めた過去があります。そんな私が今日出会ったこちらが胸を打ちました。この方はバッハ先生も、琴という楽器も心から愛しているのだろうなぁと。そしてこの方を通して、自分の推している人たちの共通点を考えました。何かをとことん愛し人生をかけて表現する、そんな一本筋の通った人たち。自己実現のために葛藤し絶望しその先に希望を見出しさらにエネルギーに変えていくと思っていましたが、こちらの演奏を聴いていると、自己実現どころか自己犠牲といえるほど人生を捧げて愛した作品を表現し愛した楽器の魅力を伝え尽くすことに没頭するとでもいうのでしょうか。考え方が逆転するような感覚を覚えました。天才、才能がある人しかたどり着けない世界、というよりも、とことん愛するものを持つ人しかたどり着けない世界、と思うと、私も長い人生でとことん愛し尽くせる何かに出会いたかったなぁと自分の凡人ぶりに泣けてきます。出会えることこそが才能で、その才能の奇跡に感動するのだなあと。凡人の私に出会ってくださって、感動を届けて下さって、表現者の方々には心より感謝申し上げます。本日も出逢いに感謝してお願いキラキラ