特に好き、という訳ではないけど、
浪曲にはどこかこころ惹かれる魅力があった。
あのダミ声と節回し、そして畳みかけるように言葉を回す啖呵とで構成される語りは、
三味線の音色と相まって、
江戸を感じさせた。
いまでこそまったく見かけなくなったが、
広沢虎造の清水の次郎長、石松の三十石船の件は、
CMでよく流れたもんだ。
いいね、粋だね、なんて、こどもながらに思った。
まえにもここに書いたけど、
次郎長意外伝の灰神楽の三太郎は森繁と三木のり平の主演で映画になって、
深夜映画の枠で放送されたとき、
ぼくはすっかりファンになった。
この浪曲と言う演芸ジャンルも、
その成り立ちを追うと、
やはり日本の源流に一歩近づけるだろうなあ、
と改めて思ったのは、
山室信一著「アジアの思想史脈 空間思想学の試み」(人文書院)をぺらぺらしていて、
宮崎箔天が浪曲師でもあったことを知ったから。
宮崎箔天は孫文を通じて中国の辛亥革命を支援しつづけた人で、
孫文の業績を「明治国姓爺」「孫逸仙伝」など、
講談や浪曲で語ることで、日本人は孫文を知る。
そう言うツールとして浪曲があった。
また宮崎箔天はダダイスト詩人・辻潤とも絡まる。
ルソーの「社会契約論」とも、
夏目漱石の「草枕」、那美さんにもつながり、
ご子息は「筑紫の女王」柳原白蓮の駆け落ちのお相手、
宮崎龍介。
いまと同じように、いや、いまよりさらに個人の生き辛い世にあって、
「奇」「怪」「狂」として個の道を探った。
大いに教えられる宮崎箔天。
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