東京は急に寒くなったような印象がある。
ハロウィンが終わった次の日には、近くのスーパーではクリスマス用のお菓子が売られていた。
一方で、カボチャのケーキが割引になっていた。
中国で新型のコロナウイルスが流行し始めたのは昨年の暮れ頃だった。
新型コロナが暑さ寒さにどう影響するのかは分からないが、すでにインフルエンザが流行る時期にも差し掛かっている。
10月からインフルエンザの予防接種が街中のクリニックなどでも受けられるようになっている。
今年はワクチンがなくなるのが早いのでは、とも言われている。
コロナで家にいる時間が長かろうとも、季節は巡る。
プロ野球のペナントレースは6月からのスタートだったがセ・パとも優勝が決まった。
フィギュアスケートのシーズンも開幕になった。
そうしたスポーツイベントも、まだまだ観客をどれぐらい入れるかは、試行錯誤が続いている。
ヨーロッパやアメリカに比べれば、日本での新型コロナウイルス への感染者数は少なく、感染率も亡くなる方の率も2桁レベルで少ない。
中国や韓国も低く、どうやら東アジア全体で少ないようで、単に生活様式だけでもなさそうだ、とも言われる。
コロナウイルスでなくても、インフルエンザでなくても、こうも寒くなってくれば、普通の風邪ぐらいひいてもおかしくない。
風邪となれば、熱だって出る。
でも、今は熱でも出ようものなら、ちょっとしたことでもすぐに病院に行き、医師の勧めでPCR検査を受けることになる。
結果が出るまでの間は、場所によっては自宅待機を命ぜられるところもある。
自分のところがクラスターと呼ばれないように。
そうやって、季節がめぐる間に、色々と窮屈度合いが増してくるのだろう。
そんな窮屈さに呼応するかのように、コロナ以外でも窮屈な社会体制が作られていくような気がしている。
それでも、きっと、コロナによる窮屈さに慣れてしまえば、他の窮屈さも「まあ、しょうがない」となってしまわないだろうか。
ヨーロッパでは、コロナ禍による外出制限などの窮屈さに対して、デモで声を上げるようなところもある。
窮屈さに慣れてしまうと、統制しようとする人たちは、何かにつけて制度だ、規則だと振りかざして、窮屈さを押し付けてこようとする。
冬はただでさえ外に出る機会が減りそうで、そうした窮屈さに他の規制をねじ込んでくることもあったりするだろう。
あえて、気の緩みを生じさせているとさえ思ってしまうのだが。
とにかく、それでも、季節はめぐっていくのだろう。