時代劇であろうと、アニメであろうと、ヒーローものであろうと、割と単純な勧善懲悪なストーリーがかつては主流だった。
ピカレスク物(悪漢小説)であっても、敵味方ははっきりしていて、ただ悪い奴と良い奴の攻守が逆転しているだけだった。
でも、最近はそうでもないようで、敵の中にも良い奴がいて、逆に味方にも酷い人物がいたりして複雑になってきている。
敵の敵は味方、といったこともある。
それでも、大抵の場合、どこかで極端の思考を持った人物とか、とてもケチで器が小さく描かれた人物が登場して、そうした人物がやっつけられる対象になっていたりする。
その際には、物語を分かりやすくするためなのか、あるいはカタルシスを求めるためなのかもしれないが、そうした悪人は少し極端に描かれることが多い。
いかにも、この登場人物はどこかでやられるなという感じがあり、そうしたデフォルメは、半分ネタ化しているようにも思える。
現実にはそんな人はいないだろうと思うのだが、ネットの掲示板などを覗いてしまうと、ネタがベタになってしまっているように感じてしまう。
ネットだけではなく、著名人による言動を見ていても、ネタがベタになっているのでは、と思わずにはいられないものに出くわす。
現実が物語を追い越しているのか、それとも現実が劣化しているのか。
物語の世界は攻守や敵味方がどんどん入れ替わり、複雑になっていくのに対して、現実の表層はむしろどんどんと単純化が進んでいるような気がする。
物事が、0か1かとデジタル化が進んでいる、という感覚がある。
現実がそのように進めば、複雑な物語はもうウケないのかもしれない。
実際の一つ一つの現場はいまだに複雑で、むしろもっと複雑になってるかもしれない。
だけれど、見たいものしか見ない、見たくないものは見ない、という傾向が強まり、その複雑さはどんどんと深いところに潜ってしまって、見えなくなっている。
むしろ、今こそ、複雑になった物語を見たり読んだりして、複雑さに慣れる努力をした方がいいのかもしれない、そんな気もしている。
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