いるいる、こういう人! なのか、

おるおる、こういうヤツ! なのか

どちらなのかはともかく、

このシリーズには、あなたの周りの人、

あるいはあなた自身を思い起こさせる人が多い。

 

 

ワニ町シリーズ第6巻である。

あちこちで話題になったり、

思いがけない所で読書会が開かれたりする、

間違いなく大人気のシリーズなのだが、

その魅力を伝えるのは、実はちょっと難しい。

「楽しいのよ。面白いのよ。例えば、ええと――」

ありあまる思いにゴニョゴニョ口ごもったあげく、

「読んで」

と言うのが精一杯である。

 

今回、第6巻にあたるこれを読んで、私がしばしば感じたのは、

「うん。いる、こういう人!」

であった。

 

いや私、CIAじゃないし、

首に賞金がかかってもいないし、

身を隠さなければならないわけでもないし――

うん。それはわかっている。

たいていの読者は、そんな主人公フォーチュンのような人ではないだろう。

 

だが、たいていの読者がアメリカといって想像するアメリカと、

このディープサウス、南部中の南部、

ルイジアナ州シンフルの町の違いに驚き、戸惑うのではないか。

 

火柱が上がり、ワニ形のフロートが水上を走り、

ザリガニを食らいまくる地で、

バナナプディングなる夢のお菓子がある地で、

何かにつけてドタバタ予想外のこの地で、

知ったような人々がいるというのは、

なかなか面白いではないか。

 

あなたの周りにもいないだろうか。

やたら大きなバッグを持ちたがり、

なんやかんや入れたがる人は?

いざという時にひょいとそれを出してくる人は?

(「それ、友達にいる」

「叔母さんがそれ。髪ゴムから地図まで出してくる」

「・・・・・・うーん、それ、私。でも要るものだけは入っていない」)

 

『いるでしょ、グリルの火をちゃんとつけられるのは自分だけと思ってるタイプ』(177頁)

つまりこれは日本でいうところの「鍋奉行」だろう。

「肉はまだ! まだまだ!」

「葉野菜はふたをするように入れる!」

自分で一手に引き受けて、大騒ぎをして、

とにかく自分の方法を貫き通す人だ。

 

大きなバッグはガーティ、

鍋奉行はアイダ・ベルという、

主人公フォーチュンと親しいシンフル住民である。

 

「ファンネルケーキの屋台を見かけたから。朝食のあと、甘いものがほしくなるかもしれないでしょ」

(オプションでクリームとカスタードクリームをのせたもの)

 

『きょう高齢者のためにブランケットを編んでいたとしても、あすガールスカウトの面々をデブでブスと呼ぶかもしれない。』(11頁)

イヤなヤツについては、

遠慮のない言葉で表すものだから、

そのとんでもない性格が際立つのだ。

『超気分屋の人格難ありおばさんだ。』(10頁)

『誰にも好意を持たず、誰からも好意を持たれず、精神状態も何を支持するかもころころ変わる。』(10頁)

ああ、こういう人いるなあと、出てくるたびに頷いてしまった。

いい方もイヤな方も、洋の東西は問わないとみえる。

 

シリーズを通して、楽しいのがいい。

ちゃんと殺人が起きるのがいい。

その被害者が「いい人」「親しい人」ではないのがいい。

現実にいたら「誰かこいつをどうにかしてくれないかなあ」というのが、

被害者になっているのがいい。

 

ハチの群に襲われたり、

バイユーの泥に鼻が曲がったりするのは、

フォーチュンたちに任せて、

こちらは面白いところだけ、楽しいところだけを、

楽しもうではないか。

 

美味しいところもフォーチュンたちに任せるしかないのは、残念だけれども!

 

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