そうは言っても、(「訳くらべ」)
いきなり文章で読むのは、難しいではないかという声もあるだろう。
私もそう思う。
理由は「誰が誰だかわからなくなる」からだ。
源氏物語の登場人物は、ほぼすべて、名前がない。
桐壺の更衣、藤壺の宮など、住まう場所と立場で呼ばれたり、
左大臣、右大臣、頭の中将、などの位で呼ばれたりする。
住まいや位や役職がずっと同じであるはずもなく、
彼らは出世したり、場所を変えたりするのである。
よって、同じ人物が、
藤壺の宮、后、中宮、入道の宮と、違う名前で呼ばれるようになるのだ。
「誰さん?」
「どなたさま?」
人が出てくるたびに、呆けた人のように混乱して、読むのがそこで止ってしまう。
それを解決するのが、漫画だ。
同じ登場人物は、当然同じ顔をしているので、年齢による変化があったとしても、
「あなたはあの人!」
すぐにわかるのだ。
よって、初めてふれる『源氏物語』として、漫画版はかなりおすすめできる。
大和和紀画
私が初めて源氏物語を通しで読んだのは、これである。
この後に与謝野晶子訳に進んだのだが、驚いた。
あまりの可笑しさに、てっきり漫画的演出だと思っていたことが、実は文のとおり描かれていたのである。
登場人物の会話なども、与謝野晶子訳を読みながら、
「たしかに彼はこう言った」「彼女はこう言っていた」と思い出されることがたびたびあった。
大和和紀は、資料の中心に与謝野晶子訳を据えていたのかなという印象をもっている。
漫画で見ることのよさに、着ているもの、部屋のしつらえ、建物のつくりなどが、一目でわかるということがある。
文章で、どんな衣装や様子をして、誰がどこから現われて、このような部屋のどこに座り、
庭のあれやこれやを愛でつつ、なんとかいう楽器をどうしたなどと丁寧に書かれても、
現代に生きる者には、なにがなにやらぼんやりとも想像がつかない。
それを一目で知ることができる。本当にありがたい、さらに美しい。
その丁寧な筆致で54帖をすべて描いてあるのだから、素晴しいというしかない。
評判の極めてよいこの『あさきゆめみし』は、繰り返し出版されて、いくつもの版がある。
文庫版、コミックス版、豪華版などなどあるが、例として一番新しいこの「完全版」を挙げておく。
カラー絵も再現されており、画面も大きく見やすい。ただし相応の値段がする。
お好みのものを選んでいただきたい。
全10巻
花村えいこ画
そんなに長いものはちょっと、という方もあると思う。
では、3巻にまとめたこちらをおすすめしよう。
話がいくぶんダイジェストになって、帖ごと省かれていたりもするのだが、
それでいてこれが丁寧に描かれているのだ。
美しい駆け足と言おうか。
関係図など必要な資料は載っているし、歌の訳も載っているし、
簡潔に要点をしぼってわかりやすくなよやかにというのは、まったく見事である。
全3巻
牧美也子画
絵には好みというものがある。人がいくら絶賛しようと、自分に合わなければ面白くないのである。
そこで上記のものに飽き足りないむきには、こちらをお薦めしよう。
人物の描写が、濃い。そして、エロい。レディスコミック仕様の、エロティカル・ロマンスである。
画面を見れば、艶々とした漆黒の輝きが目を惹く。
長い髪、漆塗り、夜の闇・・・・・・なるほど、平安の世は、夜がこんなにも暗かったのだろうと思われる。
惜しむらくは、源氏物語の途中、『藤裏葉』で終わってしまっている。
そして、書籍がだいぶ少なくなって、電子版しか選べなくなりつつある。
1巻を載せておくが、書籍か、電子版かは、ご確認をお願いする。
全6巻
ながたみどり画
なにがすごいといって、登場人物をすべてネズミにしながら、すばらしいガイドブックだということである。
1帖をたった1ページ、絵日記のように表わしてしまう。
なんて乱暴なと思うのだが、読めばなるほどたしかにこの1帖はこんな話なのである。
いい大人がこれだけを読んで「源氏物語を読みました」という顔をするのはどうかと思うが、
あらすじや背景の色々を知るのに、こんなに親切なものはない。
その1帖それぞれに、そこでおさえておくべき点・・・・・・人物関係であったり、位置関係であったり、特有の用語であったりが、
可愛い絵とともにわかりやすく書かれている。
さらには、この人をこういうネズミにするのかと、ほほえましいやら、滑稽やらで、見ていてなんとも楽しいのだ。
一定字の読める子供にもよいかと思われる。
全1巻
実は子供向けにも侮れないものがある。
ページ数の制限もあって、54帖全部を書くことはできないだろうが、それにしてもどの本もよく出来ている。
読むにあたって知っておくべきこと、人物について、背景について、
カラーの資料ページをつけて、きれいに、丁寧に、簡単で、実にわかりやすく説明してくれている。
見事としか言いようがない。
実は大人が読むにしても、初めてふれる『源氏物語』として、おすすめできそうなのだ。
試し読みについては、リンク先の「なか見!検索」をどうぞ。
まんがで読む 源氏物語 (学研まんが日本の古典)
源氏物語(10歳までに読みたい日本の名作)
こちらはタイトルのとおりずいぶん子供向けに書かれているので、大人にはすすめない。
けれど、10歳までの子供には、これがよいと思う。
角川つばさ文庫のものについては、まったくお薦めできない。翻案が過ぎて別物になってしまっている。
本屋に行けば、子供向けの書棚に隣り合っているのだが、中身にかなり違いがあって、選ぶのにも油断がならない。
子供に本を与えるのも、なかなか大変な事業だと知った。
『源氏物語』をあれこれ探してみたのだが、とにかく色々のものがあることに驚いた。
原典を翻訳したもの、翻訳しつつ翻案したもの、翻案したもの、かなり翻案したもの、
読むにあたって資料となるもの、書くにあたって考えたこと、研究署、専門書、
とにかくそれについて語りたいこと、語り尽くせないのでさらに語り続けること、
底本にして自分の作品にしたもの、同じく元ネタにしたもの、エロ本の題材にしたものetc.etc.etc......
『源氏物語』が、それだけ人の心を摑む物語である証ではある。
けれども、人が、さて源氏物語なるものを読んでみようかという時、
本屋を歩いて、居並ぶあれこれになにをどうしていいかわからず、すごすごと引き下がってしまうような、
そういう理由になりはしないかと思う。
どうにか1冊を選び出して、読みにかかったとしても、
あわない訳を読んでしまって、自分に古典は無理だと思い込んでしまったり、
なんだ下品なエロ本ではないかと、ひどい誤解をしてしまったり、
そういうことにもなりはしないかと思う。
『源氏物語』の様々な版について、全てを網羅した完全ガイドというわけではないが、
この「訳くらべ」「絵巻くらべ」がなにかしら誰かしらの役に立ったならば、私はたいへんに嬉しい。