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「One More マシュマロ通信」山本ルンルン先生にインタビュー!その1

コン! コン平だコン!
今回から、1月に発売予定の「One More マシュマロ通信」の作者
山本ルンルン先生に、糖子と一緒にインタビューしていくコン!

さっそく、

One More マシュマロ通信/山本 ルンルン
 について
ちょっとご紹介するコン!


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「マシュマロ通信」とは、
2004年から2006年にかけて朝日小学生新聞で連載、
さらにアニメ化されている作品なんだコン。
内容は、ちょっと気の強い女の子、
サンディとかわいいクラウドやその家族、
学校の新聞部「マシュマロ通信(タイムス)」の仲間たちが繰り広げる、
おかしくてちょっと不思議な日常を描いた物語!
キュートなヨーロッパ風の街・マシュマロタウンや
サンディたちのおしゃれなファッションにも注目なんだコン!
ではさっそく、山本ルンルン先生にお話を聞いていくコン


コン平(以下、コン):
「マシュマロ通信」は、単行本としては9巻まで
でていたんですよね。

山本ルンルン先生(以下、山本):
その後、当時の出版社さんの経営的な事情により、
続きが出ないままだったんです。
それまで読んでくださっていた読者の方からしてみれば消化不良だし、
申し訳ないなあという思いもずっとあったので、
改めて世に送ることができてうれしいです。
再度、単行本化のお話をいただいてから実現するまでに
約2年かかってしまったんですけれど、
なんとかこうして作品にすることができました!

コン:「One More  マシュマロ通信」は全ページがで、
すごくかわいいですよね。
漫画なのに、絵本を読んでいるような
ファンタジックな気分になりました。

山本:連載当初からフルカラーだったんです。
当時は描くのがすごく楽しかったんですが、
後々、フルカラーだとどうしても予算がかかってしまうので
単行本になりにくいことに気づきました(笑)。
今回の出版では、これまで4話収録だったところを、
完全版ということで8話になっていて、うち1話は書き下ろし。
カラーだと赤字になってしまう危険性が高いので、
モノクロでいこうかというお話もあったのですが、
編集さんたちの情熱と努力のおかげもあって、
なんとかオールカラーで発売することになったんです。

コン:書き下ろし編では、主人公・サンディの弟たちが生まれる前
のお話が描かれていますが
なぜこのお話を描こうと思ったのですか?

山本:一通り自分の中では最後まで書き終えたつもりの作品だったので
書き下ろすなら、サイドストーリーにしたいと思ったんです。
それなら、作品の中でキャラクターたちが生きていた時代の
過去か未来かだと思っていて。
彼らが大人になったエピソードは、本作でも出てくるので
それなら、クラウドがサンディの家に来る前に
どうやって過ごしていたかについて描きたいと思ったんです。
第一巻のクラウドの登場ではまるで偶然来たようになっているけれど
実は、クラウドはサンディのもとに
くるべくして来たんだな、という予兆を描きたかったんですね。

コン:「マシュマロ通信」のストーリーのなかでは
公園や学校、サンディのおうちやマシュマロタウンなどなど
彼らの普段の生活ぶりがよくわかるスポットがお話の舞台に
なることが多かったと思うのですが
書き下ろし編の舞台は、「夜のサーカス」。
なんだかちょっと大人の世界ですよね。

山本:私自身、下の兄弟がいないから、
上の子の気持ちは知らないんですけど、
今まで、家のなかに子どもは自分しかいなかったのに
いきなり知らない子どもがやってくるなんて
子ども心にちょっと気持ち悪いのかもしれないなって思うんです。
小さいときってそこまで考えてないかもしれないけど
人によっては恐怖とか危機感とか抱くのかもしれない、と思って
それで、その不安な気持ちと夜のサーカスをリンクさせようと思いました。
夜のサーカスって不気味だけど
引きつけられるような不思議な世界だから相性がいいかなって。
あと個人的には小規模なサーカスがすきなんです。(笑)
この書き下ろしは、これまで「マシュマロ通信」を
読んだことのない人でも楽しんでもらえるように描きました。

コン:特に兄弟のいる人は、ぐっときちゃうシーン、
台詞も盛りだくさんですね!

「乙女の美術史 世界史編」堀江先生インタビュー★その5

ダリは太宰治?

堀江先生(以下、堀江):
彼は、日本人で例えるなら太宰治みたいな人。
かなり自意識過剰な側面があった人なんです。
一方で、古典時代の画家のような圧倒的な技術力を持ち合わせていたんですね。

コン平(以下、コン):そのせいか、ダリは天才肌なイメージが強いです。

堀江:というより、周りからそう見えるようにセルフプロデュースしている。
本人も自伝を書いているけれど、
どれもエピソードがうそっぽいんですよね。
目立ちたいって一心で、スペインのフィゲラスにある美術学校に通ってる時、
階段のてっぺんから飛び降りたとかいってるけど、学校側の記録には
「そんな事実は一切ない」なんて証言されてしまっている。

コン:そう考えると、とても商売っ気のある画家ですよね。

堀江: 芸術家っぽいけど、やってることは商売人。
生前も「ドル亡者」なんて揶揄されているほどですから。
もちろん実力があったから
そう言われるまでになったということでしょうけれど。

農民の夫婦が祈りを捧げてる、ミレーの描いた『晩鐘』って
有名な絵があるじゃないですか。
彼らの足元の果物籠は、実は幼児向けの棺桶を思わせる箱を
塗りつぶして描いたものなのだそうです。
これはX線で調査して、はじめて最近分かったこと。
でも、ダリはそれを肉眼で見抜いていました。
ほかにも偽札を見抜いたり……ものすごく目の肥えた人でしたからね。
「絶対音感」の視覚バージョンがあるなら
間違いなく彼は「絶対視感」を持っていたといえるでしょう。
ただ、その活かし方を
お金儲けや世間の注目を集めることの文脈に引っ付けてるから
大衆的な画家と言われるのでしょうね。
生き方でアーティストになって、
油絵っていうメディアで画家になってる。
この人がやってることってレディー・ガガと同じで
時代のアイコンそのものなんですよね。

コン:芸術作品は、彼のキャラクターアピールの一環でしかなかったんですね。
なぜ、そこまで徹底してキャラ作りをしようとしたのでしょうか。

堀江:
自分に対するコンプレックスがよほど強いのだと思います。
例えばアメリカのハイスクールでは、体育会系と文化系の学内評価は
真っ二つに分かれて、体育会系のほうが圧倒的にエラい。
ベタな例を出すなら、女子の頂点はチアリーダ-、男子の頂点はアメフト選手、
彼らを頂点にした三角のピラミッドの(ほぼ)最下層にいるのが
オタクを意味する「ナード」。
素顔のダリはね、ここでいう「ナード」なんです。
ナードでありながらリア充を装ってリア充の世界の中に入っていくために
彼が下剋上できる唯一の武器が「アート」だったんじゃないでしょうか。
ずっとピラミッドの頂点で生きていた人が
「面白いじゃん」とか言って、画家ダリに接するとき
ダリ自身はそこで内心「お前ら気持ち悪い」と思う気持ちと葛藤しながら
血反吐を吐きながら頑張ったんじゃないかな。

コン:自意識と周りの環境との葛藤と……まるで、「人間失格」の世界ですね。

絵画は自分の鏡

コン:ところで、コン平はダリがあまり好きじゃないんです。
「セックスアピールの亡霊」なんて見ていると、すごく嫌な気持ちになります。
他の絵も、あまり好きじゃありません。

堀江:ダリの表現したいものを、嫌悪してしまうのでしょうね。 
例えばダリは性的なものは醜く、
美的なものは常に神聖でないといけないって主張を持っています。
 

サルバドール・ダリ『セックスアピールの亡霊』

でも、性的なものってその人の人生の偽れない部分だと思うんです。
人間は生理的な部分に、一番根本的なものは出ちゃうから。
ダリの場合、そういう自分にとって嫌なものを描くことで
それを消化(=昇華)しようとしている部分がある。
例えば「セックスアピールの亡霊」にも
セックスにまつわる嫌なものを全部ぶちこんだ感じがあるでしょう。
ダリの絵を見たときに感じる言いようのない気持ち悪さ、
不快感みたいなものって、きっとそのせいじゃないかな。

コン:なるほど、見ている自分が
彼の描いた「ダリが自分の嫌だと思っているもの」に反応してしまった
ということなんですね。不思議。
絵画を見ているうちに、だんだん自分のことも分かってくるものなのですね。

堀:絵は鏡なんです。
目の前の絵画を見ているようで
実はみんな、絵を通して自分のことしか見ていない。
人間は、他人を通してしか自分のことを知ることができないんですよね。
一枚の絵も、いわば一人の他人というわけです。

コン:世界一周して自分探しするよりは美術館まわった方が早いですよね

堀江:美術館ってまとめて一気に見ちゃうものでしょう?
そうすると自分なりの定義とかできるから面白いですよね。
どれが好きでどれが嫌いか体感していくうちに
自分の価値観がはっきり見えてくるときもある。

コン:芸術は、自分の鏡なのですね。
コン平ももっとたくさんの芸術作品に触れて
自分の価値観を探ってみたいと思います。
堀江先生、ありがとうございました!

「乙女の美術史 世界史編」堀江先生インタビュー★その3

コン平:本書にも登場している、ゴヤの
「着衣のマハ」が40年ぶりに来日していますね。
国立西洋美術館で、1月29日まで展示しているとか。
コン平もさっそく見に行きましたが
実は、ゴヤの絵ってあんまり好きじゃないんです。
ゴヤの魅力ってなんでしょうか。
 

ゴヤ『着衣のマハ』

堀江:彼は、もともと宮廷画家のような位を授かっている人だったから
いくら国が腐敗していて自分が内心馬鹿にしている王様や
本心では見下しているセレブリティでも
結局は彼らによって守られてしまったっていう過去があるんです。

 

ゴヤ『裸のマハ』

一方で、話題の「着衣のマハ」と対になっている、
文字通りヌードの女性を描いた「裸のマハ」はかなり前衛的というか
攻めにせめた作品ですよね。
当時はわいせつ絵画と見なされてしまったんです。
そんなわけで、ゴヤは異端人よばわりされてしまうんですね。

コン:これは、一体どんな経緯で描いた作品なのでしょうか。

堀江:「着衣のマハ」は、
若くして野性的な美貌を生かし、王妃と恋仲になり、成り上がっていったマヌエル・デ・ゴドイという男が
ゴヤに内々に頼んで描かせたと言われています。
ゴヤは自分の絵が売れるにつれて、
だんだん偉い人だけの注文しか受けないようになったんです。

そんな中で描いたのが、「裸のマハ」。
一番の問題は、ヘアが描かれているところでしょう。
ヘアといえば、1800年代後半から1900年代前半のフランス、パリで活躍した
イタリア人の画家、アメデオ・モディリアーニが有名です。
モディリアーニの「赤い裸婦」では、女性の体毛が描かれています。
 

アメデオ・モディリアーニ『赤い裸婦』

しかし、ゴヤはそれより100年以上も前に、
当時はまだ描いてはいけないとされていたヘアを描いています。
そういう意味でも、「裸のマハ」はイレギュラーな絵だったのです。

しかも「裸のマハ」と「着衣のマハ」って
きちんと見比べてみると結構おもしろいんですよ。
微妙にシーツの乱れ方が違うんです。
ほら、「裸のマハ」の方が若干乱れてるでしょ?
 
 
コン:本当ですね! 微妙な乱れがすごくエロティック!

堀江:クッションの位置も微妙に変わってるしね。
このように、背景も最大限に駆使してエロを描く
当時はこれが精一杯のエロの表現だったんです。
今でこそ、スペインといえば情熱の国というイメージがありますが
19世紀頃のスペインは本当に厳しかったんでしょう。
だから、たとえセレブに飼い慣らされても
「表現の上では誰にも頼らずに戦ってやる!」
という姿勢が、ゴヤにはあったのだと思います。

コン:現代の写真家でも、ヌードの作品を撮りながら
一方で国の制約と戦っている人はいますよね。
そこまでして表現してやろうっていうのは
どういう情熱からくるものなのでしょうか。
やはり反骨精神なのでしょうか? 

堀江:いえ、一番はやっぱり、描きたいから描くんじゃないかな。
ホントはそれだけなんだけど、
それを「お上と戦い」とか言うとなんかかっこいいでしょう。
「社会と人の関係との戦い」とかいうわかりやすいモチーフを
持ち込んで、芸術として認められるというような流れはありますからね。
「表現の自由を守る」とか。

コン:そういえば、ある写真コンクールのHPに
「きちんと被写体の許可を取っているか否か」という表記がありました。
昔はそんなのもなかったと思うんですよ。
もちろん、他人のヌードならさすがに断りが必要だと思いますけれど。

堀:肖像権ってやつですね。
でも絵はモデルの肖像権とか全く無い。
少なくとも、当時の絵にはよほど、身分の高い人の顔を描いていないかぎり、
モデルの肖像権が問題になって……ということは考えられませんでした(笑)
後になって、これらの絵のモデルは
ゴヤの恋人だったとか、アルバ女公爵だとか、実は誰の姪だとか
いろいろと言われていますけれどね。

コン:そう考えると、絵って写真よりも自由ですよね。
誰かのヌードを撮影したら完全にごまかせないけど
絵なら、誰かのヌードでもちょっと顔を変えることもできる。
結局ここに描かれている女性が誰なのかは分からないけれど
だからこの絵は、ミステリアスな魅力があるのでしょうか。

堀江:その自由さも、絵画の魅力。
モディリアーニも、「自分の奥さんの絵をよく描いた」と言われているけれど
彼がすごく得意としていたヌード画のモデルに限って、奥さんのジャンヌを使っていない。
すくなくとも、ヌード画に奥さんの顔を持つ女を描いていないんですよ。
肖像画を描くときも
デッサンとか紙に下絵を描くときも
奥さんに似せて描くんだけど
完成作では、全然奥さんと似ていない女ばっかり描いている。
 

アメデオ・モディリアーニ『おさげ髪の少女』

絵を描くっていう意味では、
画家の創意工夫の土台とか素材にされちゃうのがモデルなのかもしれませんね。
自分が描かれてるはずなのに、いつのまにか、自分とは違う人が絵の中にはいる、みたいな。それってすこし、モデル……というか妻として、ジャンヌは哀しかったはず。

画家の創意工夫つまりインスピレーションによって描かれた……というのが
近現代的のアートの特色。例えば、モディリアーニのヌード画ですね。
でも、同じヌード画でも、そういう芸術家による自発的なヌードと、
誰かに頼まれたから、やらしい絵も描いちゃうみたいな、
いわば職人によるヌード画も、昔にはありました。

一方、ゴヤの時代は芸術家と職人の違いが、だんだん生まれはじめてきていた。
でも注文主の意思に従わないと仕事を失ってしまう。
そういう葛藤が感じられるのが、ゴヤの『マハ』。
理想の絵画や表現を求める苦闘があったんでしょうね、ゴヤの人生は。

コン:うーん……ちょっとゴヤを好きになりました(笑)。

堀江:俺様気質の画家が
俺様でいれない時代をいかに生き抜いたか。
そういう葛藤が伝わるのが、ゴヤの魅力でしょう。


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「乙女の美術史 世界史編」堀江先生インタビュー★その2

コン平(以下、コン):世界美術史といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチははずせないですよね!

堀江先生(以下、堀江):若いころ、絶世の美少年として知られたダ・ヴィンチ。
彼自身もまた、生涯を美少年好きの元・美少年として生き続けたようですね。

 

アンドレア・デル・ヴェロッキオ『ダヴィデ』イタリア バルジェッロ国立博物館所蔵14歳ごろのレオナルドがモデルとされている。

彼は若くて美少年の弟子・ジャン・ジャコモ・カプロッティに、
小悪魔という意味の「サライ」というあだ名を付け、大層かわいがります。
でもこの弟子、盗みクセはあるし、彼の絵を見る限りでも
これ、女性の絵なのに男性みたいでしょ。筋肉の着ぐるみ着てるような感じですよね。あまり才能はなかったようです。

ジャン・ジャコモ・カプロッティ『裸身』フランス シャンティイ城所蔵

コン:ダ・ヴィンチって、現存している絵が少ないと聞きます。
画家としての野心はあまりなかったのでしょうか。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』フランス ルーヴル美術館

堀江:ダ・ヴィンチは、あまりに完璧主義なため仕事が遅くて、
しかも途中まで描いて放棄する癖があり、
イタリアで仕事を干されてしまいます。
このとき、かの有名な「モナリザ」の絵を持ってフランスに行く。
これが、現在パリのルーヴル美術館に「モナリザ」が展示される
きっかけでもあります。
彼は、結局フランスに行ってもあまり画家の仕事はせず、
王様の話し相手をしていたらしい。
だから画家として認められたいという思いはあまりなかったのでしょう。
むしろ「画家は俺の多彩な顔のうちの一つ」くらいにしか考えてなかったんじゃないかな。
兵器の開発や開拓事業などには本当に興味があったのだろうけれど……。
きっと、世の中を描くより、世の中の仕組みが知りたいタイプだったのでしょうね。

結果的に、彼の絵が残ったことで
絵が中心となって評価が残ってしまった人がダ・ヴィンチなんでしょうね。
これまでの社会や歴史のニーズと本人の意志は
少なくともあまり合致しなかったのかもしれません。

コン:ゴッホをはじめ、死後、絵が評価される画家は少なくないですよね。
逆に生前から絵画で食べていた画家は、
はじめからニーズに合わせて描いていたのでしょうか。

堀江:近現代までは、画家は注文を受けてから
注文主の望むテーマを描くという流れがおそらく一般的でした。
注文主の好みに絵柄は合わせられなくても
テーマは合わせて描くことができますからね。
しかし、注文主が差し出すテーマに画家が苦心することもあったようです。

本書には「オトコノハダカ特集」というページがあり、
ここでルーベンスの『ガニメデスの略奪(原題を直訳すると􁲉ガニメデスのレイプ)』
という絵を紹介しています。
 

ルーベンス『ガニ􁲹メデスの略奪』

見ての通り、この絵は美少年好きのパトロンのために、
ゼウスが変身したワシによって、
ガニメデスという少年が連れ去られるというシーン描いたもの。

しかし、ルーベンス本人は、豊満な女性が好きで
美少年には全く興味がなかったようなんです。
それなのに、美少年のヌードを描かなくてはいけない。
望まれているから描かざるを得ない葛藤の制作期間を過ごした結果
できあがったのは、上半身は男性の肉体なのに
下半身は女性の体を無理矢理つぎはぎしたような、
なんともアンバランスな絵。
少年の体のはずが、このおしりはまるで女性そのものですよね。
僕は実際にこの絵を、ウィーンで見たことがあります。
まるでルーベンスのうなり声が聞こえてくるようでしたね(笑)。
下半身なんて、悩んだ結果、納期が迫ってきたために
「えいっ」と描き上げたような感じ。

コン:ルーベンスはもともと、
どんな絵を描く作家だったのですか?

堀江:ルーベンスといえば、とにかく豊満系。
肉の余った女やガチムチの女がバーンと出てきて
血湧き肉躍る迫力満載っていうノリの絵を描く人。

ちなみに、ルーベンスの工房にはいくつもセクションがあったんです。
これは珍しいことではありません。
貴族が自分の持ってる自慢の貴金属を描いてくれ、
という依頼があったらそれが得意な人が描くというような
そういう分業体制が、この時代には多かったようですね。
なかなか商業的でしょう。
まあ美少年の絵の場合は、それでも対応しきれなかったのでしょうね…。