eating memorial }2y | maro's diary

maro's diary

私の今までの人生で経験した事やこれからの事を記録として残してシェアをしたいと思います












こんちは :)



摂食障害はこの日から治るという

病気ではありません



ですが私は拒食症回復のプロセスで

過食嘔吐から逃れられた日があります



丁度、2年前になります




改めて私が思う "あれから2年の変化" について











1. ずっと変化する



どれだけ自分が心地よい生き方を身に付けても
予想外の連続の人生
良い事も悪い事もあります


今日は元気という日
今日はだるいなって日


それを繰り返す事は自然に思います



回復=完璧 回復=辛くない



ではなくって
完璧じゃなくても辛くても
自分を受け入れ否定しない

休む時は休む
無理しない事は無理しない



それが私の得た心地良い考え方だったと思います



2年前を1年前の自分が振り返った時
心も体も元気で過ごしていましたが
今、1年前の私を振り返ってみると

今の方が心地よく過ごせている」と感じます



この1年間は自分の摂食障害や生き方について
" 無意識 " に過ごしていたけれど
その中でも自然と学んで変化した何かがありました



歳を重ねて大人になるというのは
こういう事なのかもしれません

時間で得た経験や知識が培って今の私になる

つまり、これからも
私は無意識の中でも変化し続けるんだと思いました





2. どんな変化か?


2年間を総じては「大きな変化」であります
摂食障害を乗り越えたんです

1年前と比べると何が変化したか?
(回復後の私の変化)


"感情のコントロールがより上手になった"



1年前の私は上手くやっていたと思います
それ以上に上手くなったという結論です




やはり、ホルモンや体の内側の働きなど
時間を掛けて治すものがあると思います




食べられるようになった
容姿の変化を怖がらなくなった
考え方が変わって楽になった


それも回復かもしれません
でも
どうしても時間の掛かるものもあるんだなと




いくら心や体が健康だったとしても
私であればダイエット期間も含めて
約5年の間
自分の体に大きなダメージを背負っていた



そのダメージはたったの1年では補えません
(全てを総じてという意味です)



ホルモンが戻ってきたとしても
体重が安定したとしても
萎縮した脳が戻るには歳月が掛かる



私は今もまだ回復期と呼ぶなら回復期
摂食障害の自分が背負っていたものは
まだ荷解きの途中なのかもしれません




3. 回復期はいつまで続くのか?



1.2 で書いた事を含めて振り返って思う事
" どこまでが回復期? "


これは2つのパーソナリティーを持った自分
そう考えています


普通の自分
摂食障害だった自分

この2人が体に宿っています



体も心も健康になった時点で普通の自分と認識します
ですが
時間の経過で治るものを抱えた自分もいるんです



無意識にも生活をしながら
時間と共に回復していくものだから
「回復期」と名前を付けて過ごす
" 治療期間 " とはまた違うニュアンスです




皆さんの中で「回復期」という基準は
色々なイメージやカタチがあっていいと思います


私は摂食障害の低体重や健康障害から
まずは抜け出すまでの治療期間
分かりやすいように "回復期" と呼んでいます


でも、ある健康に辿り着いたら
そこから先は "回復期" と呼ばなくても
それが当たり前の生活となり
自分の生活に馴染む気がします





でも、でも治すには時間が必要という事




私も誰かも好きなように生活していいけれど
どこかで
摂食障害だった自分がいる事を忘れずに
疲れたら休む
無理をしない
心も体もケアしてあげる親切心を抱く



それが大事だと思いました
(しっかり心身が健康になった状態である前提の話)



回復期とその後の自分の考え方です




4. 最後に


このAmeba blog や X など
シェアする活動も2年程経ちます

自身の回復期も含めると
もっと長いかな?

いつも気持ちを言葉にしてくれて
そして私の言葉を読んでくれてありがとう




✴︎これからも私は沢山成長していきます✴︎



また1年後の自分がこうして幸せであれば
何だっていいんだ
そうやって過ごした1年で私はより生きやすくなった
そんな自信を得られた気がします




私も皆んなもご自愛ください