下関の旅 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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令和6年5月5日ゴールデンウィークで福岡に帰省し、帰る途中に山口県下関市に父と妹と行ってきました。


ここは源平合戦のクライマックスである壇ノ浦の戦いがあったところです。平家は平清盛の時、大きな権力を握りましたがその死後、木曽義仲や源頼朝の反転攻勢を受け凋落していきます。源義経により一の谷の戦い、屋島の戦いで連敗し、ついにここ壇ノ浦に追い込まれ最期を迎えたのです。平知盛は猛将で活躍しましたがついには矢も尽き、刀折れ最後は碇を背負って海底へと沈んで行きました。以前京都の平安神宮で行われた薪能での「碇知盛」を思い出しました。

平知盛像


八艘飛びをする源義経像

義経は非戦闘員である水夫を射殺すという策を用いたり、潮流が変わることを読んで戦闘を有利に進めたと言われています。逆艪を用いることを拒んで軍監である梶原景時と意見が食い違ったことが後の頼朝への讒言に繋がったとも。この戦いで三種の神器を奪還できなかったことも大きな痛手となった。


赤間神宮

壇ノ浦の戦いに散った幼い安徳天皇と平家一門を祀っています。竜宮城の形になっているのは安徳が入水する時に祖母にあたる二位尼が海の中にも都がございますと言ったことにちなんでいます。


平家物語で有名な耳なし芳一堂がありました


平安時代の鎧のレプリカ(資料館)


平家物語


源平合戦図


琵琶


下関名物の瓦そばを平家茶屋さんでいただきました。美味しかったです。


みもすそ川公園には長州砲(八十斤加農砲)の復元したものもありました。長州藩はこれを馬関戦争に用いましたが、米英仏蘭の連合軍に砲撃され大敗し全ての砲台が占拠、破壊されました。これ以降藩論が開国討幕に変わります




下関といえばふぐも有名で下関メインキャラクターのせきまる君が乗ったポストがありました。


高杉晋作像


功山寺に向かいました。長州藩士高杉晋作が討幕のための兵を挙げたところです。8月18日政変で都落ちした三条実美以下長州派5公卿の前で「これより長州男児の腕前お目にかけ申すべし」と言ったといいます。最初は少兵でしたが萩に向かうに従って増えて行き、ついには俗論派長州兵を倒しました


功山寺


功山寺


長府毛利邸


毛利秀元像


長府毛利邸


新政府綱領八策 坂本龍馬筆(下関市立歴史博物館)

企画展幕末群雄伝-下関に集った志士たち-があってました。いわゆる船中八策というやつですね。龍馬が新政府について発案した意見ですね。


功山寺にて高杉晋作のコースターを購入しました。


赤間神宮の隣に日清戦争の下関条約の談判場となった春帆楼がありました。




日本側として出席した伊藤博文首相と陸奥宗光外務大臣の像がありました。伊藤博文は長州志士、陸奥宗光は坂本龍馬が作った海援隊の隊士でした。


この後、北九州小倉の叔父の家に行き、祖父母の仏壇に詣って、父と妹と別れて新幹線に乗って関西に戻りました。短いゴールデンウィークでしたが友人にも会えたし濃い時間を過ごせました。


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