八上城 兵庫県丹波篠山市 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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令和5年2月23日に家族で兵庫県丹波篠山市の八上城に行きました。波多野聖さんの「ダブルエージェント明智光秀」を読んで一度訪れたいと思っていたところです。

 

麓の春日神社近くの駐車場に車を停めて登りました。この神社もなかなか歴史がある感じがします。今回は右衛門丸ルートで登ることにしました。1キロメートル45分の道のりです。

 

 

主膳屋敷跡

 

鴻の巣

 

下の茶屋丸

 

次男はなんやかんや言いながら楽しく登っています。

 

上の茶屋丸

 

右衛門丸跡

 

三の丸跡

 

二の丸跡

雪がまだ残っていて、ぬかるみも多く足を取られ、みんなヘトヘトになりながら何とか到着できました。

 

頂上からは360度篠山平野が見渡せます。絶景です。多くの山があるのですが、波多野氏の支城や砦がたくさんあったようです。光秀が波多野攻めの拠点とした金山城もありました。

 

本丸跡に立つ波多野秀治公表忠碑

波多野氏は石見国の出身で応仁の乱に戦功があり、室町幕府管領細川政元から多紀郡を与えられ、八上城を拠点としました。永禄11年織田信長が上洛すると波多野秀治は一旦服従の姿勢を示しますが、天正4年織田信長の丹波攻めが始まると反旗を翻し、明智光秀の軍を敗走させます。天正6年の第二次丹波攻めの時、明智光秀に八上城は徹底的に包囲され、一年にわたる壮絶な籠城戦の末、八上城は落城し、秀治ら三兄弟は信長の元に送られ安土の慈恩寺にて処刑され、波多野氏は滅亡します。

 

 

その後しばらく光秀が支配します(実際の統治は家臣の明智光忠に任せた)が、本能寺の変、山﨑の戦いにより、政権が豊臣秀吉に移ると八上城には前田玄以が入ります。玄以の後は茂勝が継ぎますが慶長13年に改易となります。その後、松平康重が入りますが、篠山城が徳川家康の天下普請により築かれると康重はそちらに移り、八上城は廃城となりました。

 

岡田丸跡

 

右衛門丸跡の石垣

 

八上城のジオラマです。篠山城大書院で見学できます。

 

この後、篠山城に行って大書院にて篠山城と八上城の御城印を購入しました。その後に、篠山城の近くのOFF the recordというお店でハンバーガーを食べました。次男もイケてるお店に大満足でした。帰りにるり渓温泉で温水プールと温泉に入り汗を流しました。

 

 

 

 

八上城は非常に登山道が整備されており、登りやすかったです。なぜ続100名城に選ばれなかったのかなと思うくらいでした。八上城は他にもいくつかの登り口があり、まだまだ見れていない史跡があるので、もし行かれる方は下調べして行った方がいいです。

 

八上城の5つの登山道

 

丹波篠山市は大河ドラマ「麒麟がくる」の時に下のようなホームページを作ったようです。良かったら見てみてください。

 
篠山城の訪問録

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