宇陀松山城 奈良県宇陀市 続100名城 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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令和4年4月3日奈良県宇陀市に続100名城の宇陀松山城に家族で行ってきました。

家族は近くの道の駅宇陀路大宇陀にて足湯をして待っている間、一人で城攻めに行きました。

まちづくりセンター千軒舎あたりから登山を開始し、600メートルほど登り城跡に到達しました。途中まで舗装されており登りやすかったですが、最後の方は昨日の雨によりぬかるんでいて危なく足を取られそうでした。


本丸南東虎口


本丸御殿跡


奥向御殿跡


天守郭跡付近から見る大峰山脈


城の縄張り図


奈良大学千田嘉博教授により監修された復元CG図


宇陀松山城跡出土の陶器類(まちづくりセンター千軒舎所蔵)


宇陀松山地区は、戦国期に在地領主であった秋山氏の居城と浄化集落として誕生し、織豊期から江戸時代初頭にかけて、豊臣家配下の大名によって大規模に整備されました。1600年関ヶ原の戦いで、福島高晴が軍功を上げ入場すると秋山城から松山城と変わる。1615年に幕命により破却され織田信雄が藩主になると以後4代織田家の治世が続く。1695年織田家が国替えとなると以後幕府領となる。この間商家町も繁栄し、その活況ぶりは「松山千軒」「宇陀千軒」とも称されました。また薬のまちとしての側面もあり、江戸時代後期には地区内に50軒を超える薬種問屋がありました。


もっと城下町を散策したかったのですが、家族が奈良市内へ鹿を見に行きたいとお待ちかねだったのでお土産を買って移動することにしました。久々にいい旅を楽しむことができました。


ちなみに続100名城スタンプは道の駅宇陀路大宇陀にもまちづくりセンター千軒舎にもあります。御城印は調べたのですが、どうもここのは作られていないようです。


宇陀川沿いの酒蔵


道の駅宇陀路大宇陀にて購入したお土産(奥大和ビール、赤い日本酒阿騎野物語、桜餅、奈良漬)


ついでに奈良市内の興福寺にも寄りました。中世から戦国時代にかけて僧兵により大和地方の一大勢力となっていました。