岸和田城 大阪府岸和田市 続100名城 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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令和3年8月12日に息子達と高速を使って行ってきました。京都から1時間半くらいかかりました。今日から5日間のお盆休みになりますが、この期間あいにくの空模様のようです。実際大雨でしたが、これにひるんでいてはあっという間に休みが終わりそうなので強行しました。


この状況の城観光はさすがに密になることはないとも判断しました。


岸和田城は戦国時代末期には当時泉州地域を治めていた松浦氏の居城となっていました。織田信長の家臣津田信張、蜂屋頼隆がしばらく在城した後、羽柴秀吉は家臣中村一氏を岸和田城主とし、紀州の根来寺や雑賀衆への押さえとしました。一氏は紀州勢の大軍を相手に城を守り抜き、天正13年秀吉は岸和田城を拠点として根来寺勢力を一掃しました。その後、秀吉の叔父の小出秀政が入り、城下町と城郭の整備がなされました。豊臣氏滅亡後、松平氏二代を経て、寛永17年摂津高槻から岡部宣勝が入城し、以後明治維新まで岡部氏が13代にわたって岸和田藩5万3千石を治めました。


文政10年落雷によって天守閣は焼失し、以後長らく再建されませんでしたが、昭和29年鉄筋コンクリート造りで三層の天守閣が再建され、また昭和44年に城壁と櫓が再建されました。


二の丸付近から見る本丸


櫓門近くの堀


岸和田城庭園(八陣の庭)


昭和28年に重森三玲氏により諸葛孔明の八陣法をイメージして設計された。


再建天守閣


岡部家三代藩主岡部長泰所用の甲冑


初代藩主岡部宣勝像


天守閣最上階から見る岸和田市内の様子


多聞櫓、隅櫓


天守閣の中で続100名城スタンプや御城印もありました。岸和田の食で有名なたこや、町の伝承で語り継がれている岸和田を守ったたこ地蔵さんを象っています。子供達も一緒に楽しめて良かったです。


天気が晴れて、時間に余裕があったらもっと城下町などゆっくり見たかったです。