奈良県 大和郡山城 続100名城 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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令和6年1月28日に友人と行ってきました。4年ぶりですね。以前は写真を撮れなかった部分も撮れました。リニューアルアップします。以前もあいにくの雨模様でしたが今日もだったなー

令和2年3月8日

コロナの流行で皆さんお出かけ自粛モードですかね。

 
嫁から外出の許可が出たので、一人で奈良県まで雨の中ドライブしてきました。
 
僕、雨のドライブて好きなんですよねー
 
京都から京奈和自動車道て高速道路使って1時間くらいでした。


追手門


多聞櫓


追手向櫓


東隅櫓


南御門跡付近の鷺池


南御門跡付近の鰻堀池


白沢門跡
このころ極楽橋はなかった。

令和3年2月に極楽橋が再建された。


1570年代筒井順慶が織田信長の援軍を得、松永久秀を倒した後に入城し、本格的な普請が行われました。今話題の明智光秀も普請に関わっていたようです。
その後、豊臣秀吉の弟、秀長が、大和、和泉、紀伊100万石の領主として入部した時、今の形にされたと言われています。大和に良質の岩が無かったため、墓石や地蔵なんかも使われました。
その後、関ヶ原の戦い、大坂の陣を経て様々に、城主が代わり、徳川時代に入ってわ譜代の大名が次々と入りました。1724年柳沢吉里が入部して以降、安定し、これが明治維新まで続きました。柳沢吉里の父は柳沢吉保と言い、将軍徳川綱吉の側用人まで上り詰めた、やり手の政治家です。あの元禄時代の赤穂浪士が吉良邸に主君の仇討ちを果たしたという時代です。
 
本丸跡にある柳沢吉保を祀る柳沢神社 出世人は死してなお神として祀られんですね。
 
近年石垣補修された天守台跡
 
天守台から金剛山を臨む風景
 
天守台から三輪山を臨む風景

天守台のさかさ地蔵

 
追手向櫓
 
梅の催し物があってました 春には桜も満開になるようです。

追手門内部で梅の盆栽の展示会がありました。

 

柳沢文庫

 
柳沢文庫
 
城の全体図です。

城から移築された永慶寺の山門

 
今回初めて城御朱印も購入しました。

大和郡山といえば金魚が有名です。


お土産に近くのPARFUNというケーキ屋さんで金魚サブレを買いました。