おはようございます。
今日も皆様にとって、ハッピーな一日になりますように
昔の林業を支えた炭焼き
昔の都会のエネルギーは薪と木炭で、それは山で生産し、都会に運ぶものでした。
古来から日本の都市の周りの山は禿山になっていました。
木炭の生産量は、1957年の222万トンから化石燃料普及で1970年以降は3万から5万トンに激減しています。
戦後の林業景気
1950年から1960年ぐらいの山村は木材景気に沸いていました。この時代の山主はお金持ちの代名詞でした。
戦後の復興で木材が高値で飛ぶように売れた時代です。そのため伐採も盛んに行われました。
当時はたいていの山は自然林で、そこから太い木を選んで伐採をしていました。育成林業が行われたのは、少なくとも明治時代以降です。
山の木が高く売れたのは、戦後から高度成長期までの一時期です。当時は外材が規制されていたため、日本の林業が盛況になっていました。
林業の成功
京都創世大の萩教授は、木を育てる森林育成業としての林業は大成功しているとしています。
それは、日本の人工林面積は1000万haを越して、森林面積の40%近くあるからです。
間伐が遅れているとしても、木自体は年々成長しています。全体から見れば、森林は育っているということです。
林業の失敗
萩教授は、人工林から木材を収穫して、加工して商品として売る「林産業」の部分が失敗したとしています。
現在の林業を見ると、儲けるどころか山の手入れもできないところが多くあります。
時代と共に木材からどんどんプラスチックや金属、合成化学薬品など木材の代替品が増えたこともあげられます。
海外の輸入木材に押されたとも言われますが、現在では国産の木材も価格的にはそんなに変わりません。
現段階では、日本の木材は外材と同じ値段でありながら、外材の質やサービスに負けたといえます。
次回は日本の木材と海外の木材のどこが違うかを考えて見ます。