昨日会った友人とは大学時代からの付き合いです。(つまりもう30年近く経つのかー!びっくり!)
人見知り同士なのに(だから、かな?)、毎回とっても話がはずみます。
大学卒業後も、お互い結婚する前は仕事帰りに、結婚して私が仕事を辞めてからは平日によくランチをしていました。
「私たちって確かに同じクラスだったけど、付き合っていた友達は違ったし、授業もそんなに一緒だったことないのに、どうしてこんなに続いたんだろうね?」という話になり、やっぱり家が近くてよく一緒に帰ってたからかな?という結論に至ったのですが、実は他にも共通点がたくさん。(なので彼女もソウルメイトかも?と思ったりします)
- 人見知りでコミュニケーションが苦手なのに、なぜか英語を話せるようになりたいと英語学科に入学→結局二人とも3年時のコース選びの時に「コミュニケーションコース」ではなく「言語情報コース」(読み書き中心)を選択
- 水周り(不潔)恐怖症で、特にお風呂の排水溝の掃除が大の苦手
- 高所恐怖症(私は大人になってほとんどの高所は平気になりましたが、小さい頃はジャングルジムの一番上に乗ってる奴マジで頭おかしいと思ってましたw)
等々、挙げたらキリがないのですが、
彼女と私の違いは「そんな自分を受け入れているかいないか=幼少期に親からありのままの自分を受け入れてもらっていたかどうか」だと、昨日気がつきました。
そしてそれは、「子供時代を子供として安心して子供らしく過ごせたかどうか」ということにも関係していると。
彼女もお父さんが亡くなる前は「私、父のことが嫌いなの」とよくこぼしていたので、全く問題のない家庭に育ったわけではないと思います。(というか全く問題のない家庭などおそらくないですが)
だけど、お母さんの「お母さん度(=安心感)」が全然違う!
うちの母親は、「老後は絶対にあなたたち(私と妹)の世話にはならない」とか言いながら、先日も書いた通りうつ病の薬を「ボケるから嫌だ」と勝手に止めたり飲まなかったり、うつ病にはこういう食事がいいよといくら言っても、体に悪い市販のパンやお菓子が好きだと言って、まともな食事を摂らずにそんなのばっかり食べたり。(なのでもうアドバイスはきっぱり止めましたが)
言葉に行動が伴っていないし、生活がめちゃくちゃでもうまるっきり子供なんですよね…
一方、友人のお母さんは、数年前に旦那さん(友人のお父さん)を亡くされて以来、定期的に友人とお姉さんが実家に様子を見に行っているそうなのですが、娘(友人)からの「良かったら一緒に暮らす?」という申し出を「一人の方が気楽だからいいわ」と断り、健康のために毎日ウォーキングをしたり、食事も冷蔵庫の中を見るとしっかり野菜や食材が入っていたりして、友人曰く「私は一人だと食パン一枚とかで済ませちゃうけど、母はちゃんと自分の健康のこと考えてるんだなって安心した」と。
これだよ!!!
母親って!!!
大人って!!!
と心底思いました。
こういうお母さんなら、きっと親子の役割逆転なんてしなかっただろうから、友人も子供らしい子供時代を過ごせただろうし、だからこそ大人になった娘から「一緒に暮らす?」っていう言葉が自然と出てくるんだよなって。
(私は絶対に嫌です、って今一緒に住んでるけど!必ず自立して出ていきます。)
そして、子供時代を子供らしく過ごせなかった代償がコチラ↓
(ほぼ一年前の記事)
もう本当に、20年ぶりに出戻ってきて、「私ってこんな地獄を生き抜いてきたんだな、本当にスゴイな」って思ってるんです。
完璧な人間になることを求められ、できなけば叩かれ、ちょっと思ったことを言えばキレられ、泣きわめかれ。
しかも父も祖父母もひとつ屋根の下に住んでいたのに誰も助けてくれないという…
私があまり自己主張しない人間になったのは(仲良くなれば普通に喋りますが)、元々の気質もありつつ、当然だなと思いました。
そういえば、こちらの本の全身性エリマトーデスの項目を見ると、こう書いてあります。
考えられる原因・内的要因:
あきらめ。自己弁護するより死んだ方がまし。怒りと罰。
新しい思考パターン:
自由に気楽に発言する。自分の持つ変える力を求める。自分を慈しみ受け入れる。
私は自由で安全だ。
もうそのまんま私のことなんですけどwww
自由、気楽、安全、どの言葉も全く縁のない幼少期、というか人生でした…
これからは、この3つのキーワードに満ちた人生を、自分にプレゼントしようと思います