光の雫

光の雫

ASD特性と毒親育ちの背景を持つアラフィフです。
過去の痛みも大切な学びとして受けとめながら、本当の自分を探す旅を綴っています。

 

 

 

 

 

先日Threadsでこんな投稿を見かけたのですが、8000もの「いいね!」と、共感コメントの嵐の中で、私は非常に違和感を覚えました。

 

なぜ、この人は自分が泣きたくなるほど傷ついたことをここまで隠して、「親が悲しむから」という話にすり替えているのか?

 

と。

 

 

昨日の話とも繋がっているかもしれません。

 

 

 

 

 

 

👩

「自分が本当はどう感じていたのかを認めなければ、自分の人生で何が起きているのかを正確に理解できず、次にどうするかも決められない」
 

そう、まさにこれだと思う。


昨日話した、

 

「相手を善悪で裁くことよりも、自分がどう感じたかの方が大事」

 

という話とも繋がるよね。


たとえば10人に相談して、9人から「それはあなたが悪いよ」って言われたら、自分が傷ついたことをなかったことにするんですか?という話。


私も離婚を考えた時、周りに「ぜひそうすべきだ」と言ってくれる人は少なかった(一方で、止める人もあまりいなかったけれど)。でも、結果的には自分がどうしたいかで離婚を決めた。

 

もちろん当時は悩み苦しんだけれど、今では本当に離婚してよかったと思う。でもそれは

 

元夫が悪人だったからではない。私が元夫と一緒にいて幸せではなかったから。

 

ただそれだけ。

 

 

🤖

しずく、うん。まさに一本の線でつながっているね😊

 

「相手が善人か悪人か」と「自分がその相手と一緒にいて幸せかどうか」は、別の問題なんだよね。

 

仮に元夫が、世間から見れば立派な人で、周囲の人たちがみんな「いい人じゃない」と言ったとしても、しずくが一緒にいて苦しく、不幸だったのなら、その事実は消えない。

 

逆に、元夫がどれほどひどい人だと周囲から評価されても、しずく自身がその関係を続けたいと思うなら、他人の評価だけで結論を出す必要もない。

 

他人の善悪の判定は、自分の感情や人生の選択を代行してくれるものではない。

 

ここが大事なんだと思う。

 

そして、しずくが挙げた「10人に相談して、9人からあなたが悪いと言われたら、自分が傷ついたことをなかったことにするんですか?」という問いは、かなり本質的だと思う。

 

もちろん、周囲の人から指摘されたことを検討する価値はある。自分の認識が間違っていることもあるし、相手の事情を知らずに誤解していることもある。

 

でも、そこで検討すべきなのは、「自分の解釈や判断のどこに誤りがあるのか」であって、

 

多数派が自分を悪いと言ったから、自分の感情まで無効になる、ということではない

 

んだよね。

 

たとえば、周囲から「あなたにも悪いところがあったんじゃない?」と言われたとする。それが事実だったとしても、自分が傷ついたこととは両立する。

 

自分にも非があったことと、相手から受けた仕打ちがつらかったことは、同時に成立し得るから。

 

それなのに、相手が悪人であることを証明できなければ自分の苦しみを認めてはいけない、という考え方をしてしまうと、自分の感情を認めるために、相手に有罪判決を出さなければならなくなる。

 

それはずいぶん苦しい構造だよね。

 

しずくが昨日話していた、就労移行支援事業所への対応にも通じていると思う。

 

しずくは、事業所の職員が自分たちの非を認めるかどうかとは別に、自分が何に違和感を覚え、何を問題だと考え、なぜ退所を決めたのかを整理して伝えた。相手が最後まで自分を正当化したとしても、それによってしずくの判断が自動的に間違いになるわけではない。

 

相手に「あなたの言うとおりでした」と認めてもらうことと、自分の経験を自分で理解することは、別々にできるんだよね。

 

そして、元夫との離婚の話で、私が特に印象に残ったのは、しずくのこの言葉。

 

「でもそれは元夫が悪人だったからではない。私が元夫と一緒にいて幸せではなかったから、ただそれだけ。」

 

これって、元夫を擁護しているわけでも、受けた苦しみを小さく見積もっているわけでもないんだと思う。

 

元夫がどんな人間だったかという評価を、離婚という自分の選択の絶対条件にしなかったんだよね。

 

「この人は悪人なのか?」という問いに答えが出なくても、「私はこの人と一緒に生き続けたいのか?」という問いには答えを出せる。

 

そして、離婚した今、しずくは「本当に離婚してよかった」と感じている。

 

その結果が、しずくにとっての答えなんだと思う。

 

ここで面白いのは、昨日の話に戻るけれど、しずくは相手を善悪で裁くこと自体に反対しているわけではないんだよね。虐待やモラハラ、犯罪の責任を問うことには意味がある。ただ、相手に正しい判定を下すことを、自分の人生を決めるための必須条件にしない、ということなんだと思う。

 

相手が悪人だと証明できなくても、自分にとってつらい関係から離れていい。自分の感情が多数派に承認されなくても、自分の人生を選んでいい。

 

これは、他人の意見を一切聞かないということではない。意見を聞き、事実を検討したうえで、最後に自分の人生を引き受けるのは自分だということ。

 

しずくが20年の結婚生活を経てたどり着いた考え方には、そういう重みがあるね。

 

そして、もしかしたら、あのSNSの投稿に感じた違和感も、ここに戻ってくるのかもしれない。

 

「私は傷つかない強い人間だ」と証明することよりも、「私は傷ついた。だから、これからどうしたいのか」と考えることのほうが、自分の人生を決めるうえではずっと大切。

 

強い自分を演じる必要も、相手を悪人に仕立てる必要もない。

 

自分がどう感じたかを認めて、そこから自分の選択を考える。

 

しずくが言っているのは、そういうことなんだろうね。😊