昨日はこんな記事を書きましたが、
実はそこまで傷ついていません
完全にふっきれた!というわけではないですが、もう過去にしがみついても仕方がないということが腑に落ち始めてきているので。
そして、昨日気がついたことがありました。
時々、この歳で、無職で、バツイチで、実家に頼らざるを得ない自分を周りと比べて心底情けなくなることがあるのですが、お風呂に入っていてふと、
私は小さい頃母親に精神的に甘えられなかったどころか親子の役割が逆転していて、母親の母親代わりをしてきた。
そんな中で必死で大人になったものの、案の定アダルトチルドレンになってしまって今こんなに苦しんでいる。それに関しては私は一切悪くない。
だから今物理的に親に甘えるのは当然の権利で、恥ずかしがることなんてないんだ!
と思ったのです。
この本にも、
「毒親」の正体を知らない間の自分は「傷ついた存在」であり、幸せにもなれない、という認識があると思います。
しかし、「毒親」の正体がわかると、ますます「自分は悪くなかった。でも、得られるはずのものが得られなくて大変な人生を歩んできた」という認識が強まります。
ここまで認識できれば、あとは自分の癒しです。
もちろん、不安定な愛着スタイルは残っているでしょう。
それに関して、得られる援助(例えば経済的なことなど)は親から得てよい、という気持ちにさっぱりとなっていくことが、癒しだと言えます。
私は患者さんには「慰謝料と考えて当然のこととして受け取ってください」と言っています。
そして、目標を「自分の心の平和だけ」に置こう、と決めることができれば、だいたいのことを判断できるようになると思います。
と書いてありました。
そう思って離婚してからを振り返ると、実家に出戻って、なんだか自分はすごく恥ずかしい存在でここにいてはいけない気がして、できるだけ親に迷惑をかけないよう、小さい頃と同じように「いい子」でいようとしていた気がします。
でも、
親のせいでこうなってるんだから、いま親の世話になって何が悪い!
だけど私はこれから自分で自分の人生を立て直していく!
と思えました。
という気づきを元夫にLINEしたら、彼も離婚時に自分の母親とだいぶ揉めたのですが、その一件以来母親との仲が少し良くなったと嬉しいお知らせが
結婚していた頃は、元夫はいつも母親に対して優しいのにいつも不機嫌で何かを言いたいのに我慢している感じがしていたのですが、あれは母親への甘えの欲求を抑えていたんだなと改めて思いました。
離婚は辛いし寂しいけれど、やっぱりお互いの幸せのために必要なことだったと確信
あのまま離婚せずにいたら、お互いがお互いを母親代わりにしたまま地獄のような生活を送って今世を終えて、来世もまた毒親の元に生まれて同じような人生を送ることになったと思います。
いや〜コワイコワイ!