1月9日〜26日と熊本に帰省した。大学卒業以来こんなに長く実家に滞在したのは初めてだった。やはり地元は心地良い。今年の夏は更に長く居ることになろうから楽しみだ。
ところで熊本に帰ってすぐの頃、母の運転する車の助手席に乗っていたら、交差点で信号が赤から青へ変わった。母が気付いていなかったので私は
「青だよ」
と言った。母は気付いて進みだした。というこれだけの、なんでもないやりとりに私は違和感を覚えた。青だよ?何だ?私は熊本を離れているうちに東京に魂を売ってしまったのか?(神奈川県在住)
「青だよ」と熊本では絶対に言わない!とかではない。だが熊本の土を踏みしめながら「青だよ」と口にしてしまったことには不思議な違和感を抱えざるを得ない。(車中)
そんなわけで少し考えてみたい。ではどんな言い方が考えられるというのか?
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「青ばい」
これは最もオーソドックスだろう。「青だよ」を熊本弁に直訳した言い方だと思う。のっけから正解が出てしまった気もするけど、せっかくだからもうちょい考える。
「青たい」
この言い方だと微妙に「何ボーッとしてんだ」というニュアンスが込められてしまう気がする。争い事を避けるためにも、この言い方でないほうがいい。
「青ばん」
意味としては「青ばい」とほとんど同じのような気がするけれど、信号待ちというシチュエーションにおいてこれを言ってしまうと「青い車が来ましたよ」という意味に取られかねない、余計な誤解は回避しよう。
「青だけん」
少しツッコミっぽくなってしまう気がするけれど悪くはない。「進んだ方がいいよ」という感じも込められるし、言いようによっては優しいかも。音としては「だ」をちょっと下げるのがちょうど良いと思う。
「青だろもね」
やや年寄りっぽい気がする。あと指摘感がちょっと強いか。これなら「青だん」とかにしといた方がライトで良い気がする。
「青ですばいた」
リズムとか肥後味とかすごく良い。ひょうきんな感じも滲み出るし。ただこれだけのインフォメーションに対して音節数がすこし多すぎるのではないか。もうちょいシンプルにいきたい気はする。
「青ぞ」
言葉としては自然だと思う、すごく自然。ただ、子が親に言うと失礼に聞こえるだろう。逆にたとえば、父親が子に言うならこれが一番自然なんじゃないだろうか。惜しい。
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…まあそんなこんなで半月ほど過ごしたのち、帰りの飛行機に乗るため父の運転で空港まで送ってもらった。空港の前の交差点、今度は父が青信号に一瞬気付いていなかった。私の口から出たのは
「青よ」
やはりこれか。九州外でこう言ってしまうとにやけた感じに聞こえてしまうかもしれないけれど、熊本では男女問わずこのような言い方をする。シンプルだしフランクだし、響きもしっくりくる。
「青だよ」ではなく「青よ」。不要だったのは「だ」であった。名前に2つも「だ」の字を抱えておきながら、帰熊して真っ先に捨てるべきだったのはこの「だ」だったか。嫌だ。嫌だよ。嫌よ。ああっ
熊本を飛び立った飛行機の窓から雲の地平線をぼんやり眺め、私は呟く。
「青よ」
羽田に着き、頬に残るは悔し涙のシュプール。夏に再び熊本へ帰る頃、私は嶋大輔になってしまっているかもしれない。完