兄貴の教え
「兄貴コミュニティの皆さんと歓談すると、よくきかれることがあります」
「へ~。どんなん?」
「兄貴の教えをすべて実行されているんですか?って」
「俺のこと、長く書いとるさかいな」
「教えというより、私が兄貴の真似をしていることで、絶対に守っていることがあります」
「へ~。なんや?」
「自分がやったことしか言わない。あるいは言ったことは絶対にやる、ですね」
「経験、やな」
「兄貴の場合はこれに続きがあって、実行してみるだけじゃなく、実行すると決めたことは死ぬまで続ける、つまり今も継続中ということですね」
「死ぬまで続けないんか?」
「続けるかもしれないし、続けないかもしれない。ていうか、続かないかもしれない。飽きっぽいから」
「飽きいう定義が、俺にはない」
「私にはあるんですよ。性格でしょうかね」
「で、質問には何て答えとるん?」
「兄貴の教えで、自分ができそうなこと、納得できることしか実行しないです、とお答えしています」
「出会うた時から、今も変わっとらんな」
「兄貴と私は性格が違いますから」
「正反対や」
「私は尊敬する身内に囲まれ、両親に愛されて育ちました。私を育ててくれたのは、その、失礼な言い方ですが、兄貴みたいに他人ではない」
「俺には生い立ち上、他人本位が沁みついてるとでも言いたげや」
「そういう言い方をするなら、私は身内本位、家族本位が身体に沁みついているといえます。自分本位でも他人本位でもない」
「あなたは俺が家族を後回しにすると怒るねんな。親しい友人を後回しにしても怒るねん。以前、あなたを後回しにしたとき、目に涙をためて、俺を責め立てたよってな」
「後回しにしていいことと、悪いことがあると思うからです。どんな時も身内なら後回しにしていい、という甘えは私には通用しません」
「家族だからこそ、甘させてくれるんとちゃうか?」
「兄貴、家族だってね、いろんな家族があるわけです。一種類じゃないですよ」
「わかっとるよ。俺には俺の家族像があるだけや」
「家族だからこそ、ここは折れてくれ、合わせてくれというのはわかります。ただ、無条件にというのは無理。そういう家族をお望みであれば、私はなれないですね。そこは譲れないです」
「育った環境や過去にこだわることはないが、生きてきた過程において、骨の髄まで沁み込んでいるものはあるかもしれん」
「ありますね。誰だってそうじゃないでしょうか。それと、兄貴に会ったことがない人によくきかれることがあります」
「こんどは何や」
「兄貴って、実際どんな人なんですか?って」
「そこは、なんて答えとるん?」
「私にはこんな人にみえます、私はこんなふうに思ってます、としか答えられないです」
「無条件にいい人とか、尊敬してます、とか言うてはくれないんや」
「兄貴のことは、いい人だと思ってますよ。大好きですし、尊敬もしてます」
「うんうん(突然、上機嫌になる兄貴)」
「けど、本当のところ、どんな人なのかわからないですし、わかろうとも思わないというか…」
「なんやて!(突然ムキになって怒る兄貴)。俺はあなたの性格を理解してる思うとるし、あなたのこと褒めとるぞ。わかろうとも思わないってなんや。ずいぶん冷たいやないか」
「奥が深すぎて理解できないという意味ですよ。単純に褒め言葉です。誤解しないで」
「そ、そうなん?(突然おとなしくなる兄貴。わかりやすい性格)」
「それと、兄貴は私のこと、よくわかってないと思います。兄貴がみている私と、本当の私はだぶん違うと思いますよ」
「え?なぜそんなこと言うねん」
「兄貴がみているのは私の一部だけで、私もまた、兄貴の一部しかみていないからです。ていうか、私は兄貴に隠し事はしないけど、性格については全部をみせてるわけじゃない」
「そうだったんや…」
「はい。兄貴だってそうでしょ?」
「あなたはよく俺のことをタヌキいうが、失礼や」
「え?人たらしというのは、所詮はタヌキなんじゃ?」
「人いうんは奥深い。ミステリーなんや。長く深くつきおうても、こんなところがあったんや、思うことも多いねや」
「新しい発見があるということは、進化、成長している証拠ですから、長くおつきあいしていても飽きないですよね」
「何回も言うが、俺には飽きの定義はない。あなたにはあるそうやが。ほなら、飽きたら俺は捨てられるんか?」
「捨てるというか、離れていくと思います」
「こわっ。飽きられないようにせんと」
「兄貴は人に合わせてなんて、飽きられないようにする努力なんて、しませんでしょ?」
「なんや、その断定は。鑑定士に転向したんか?」
「兄貴は他人に対しては、どこまでも合わせそうとなさいますが、家族や身内に対しては、自分のやりたいようにさせてくれることを望みます。実際、そうさせてくれる人しか傍に置かないでしょ」
「う・・・」
「だから私は兄貴の傍には行かないんですよ。離れていたほうが良い信頼関係が保てると思うからです」
「俺はやな、思い通りやのうて、引率が好きなだけや」
「同じでしょ。自分本位」
「く~、日本とバリやのうて、目の前におったらしばいとるとこや」
「フン。しばかれてたまるもんですか」
「ほなら、自分のできそうなこと、納得できる俺の教えいうんは何や。ちゅうより、納得できなかった教えいうんは何やねん」
「え?兄貴のおっしゃる通りにやってみて、大変な思いをしたことでしょうか?」
「そうや」
「人を選ぶな、誰でもウェルカム、でしょうか。コレも、ある程度人をみる目ができてきた人ならOKですが、未熟なうちは、騙されて、詐欺師のいいカモにされて終わりですかね」
「む~、他にはなにがあるねや」
「それなりにありますが」
「なにっ、それなりにあるんか?」
「代表例としては、人は切るな、去る者追わず、でしょうか」
「どこがあかんねや」
「兄貴くらいまでいけば、どんなタイプの人にも左右されないと思うんです。振り回されないでしょ、兄貴は。でも、未熟なうちは、巻き込まれて潰されて終わり、でしょうね」
「去る者を追うんか?あなたは」
「嫌がっている人を追いかけたりはしないですが、絶対に失いたくない人については、カッコつけてサヨナラなんて言えません」
「せやな」
「自分に悪いところがあれば言ってもらって、まあ、言ってもらえるというのは復活の可能性アリとみて、完全に直しますね」
「そこは同感や。つまりや、去られても平気いうんは、自分にとってそれだけの人だった、言いたいんやな」
「私はまだそのレベルだってことです。誤解されたまま去られるのは嫌だ、というレベルは脱しましたけどね」
「人の深さには際限がないよってな」
「私は深さに際限がない人は失いたくない。でもそれって、自分の価値観で選んだ、いわば自分が認めた、自分が尊敬できる人に限られてますよね、まだ」
「俺かて、すべての人を尊敬できとるわけやない。すべての人から学べる思うとるだけや」
「私は兄貴のおっしゃる逆三角形の人たちからは学べないです。反面教師として捉えるのでせいいっぱいですね」
「逆三角形?」
「優良→優秀→最高→最上→無上意の逆です。バカ→ボケ→ゴミ→カス→チリ、一番下がコナでしたっけ?」
「ああ、それかいな。コナにはそうそう会えんぞ。俺は会うたことがあるから言えるんや」
「絶対に会いたくないです」
「触らぬ神に祟りなし、のあなたなら大丈夫やろ」
「兄貴のおかげで触って祟られましたよ、だいぶ(笑)。ていうか、触って叩かれた、というのが正しいですけど(笑)」
「俺と出会って、本当に良かったと思っとるんか?あなたは」
「思ってますよ。最低の人にも会いましたが、最高、無上意の人にも出会えました。幸せは確かに人が連れてきてくれるものですが、その逆も然りだと、たっぷり学ばせてもらいました」
「誰のどんな教えも、その人のようになりたかったら、まず真似から入るんや。共感できるタイプなら」
「真反対のメンターを選んでしまったこと自体が、間違いだったんでしょうかね」
「あなたの場合、俺が男性だったからよかったんやろな」
「そうですね。私が女性だったから、兄貴に言いたい放題言えるんでしょうね」
「伴侶でも、親友でもビジネスパートナーでも、男女の場合は正反対のほうがうまくいく。これからもよろしく頼むで」
「兄貴には時々、驚かされます。いい意味でも悪い意味でも。これからも期待を裏切って驚かせてください。楽しみにしてます」
私からみた兄貴は、とにかくわかりやすい人。
顔に出るから、悪いこと(誰かを陥れる)はできない。
若者に例えたら、恋してるとすぐバレる人。
あなたが好きです!と顔に書いてあるような人。
隠しているつもりでも、ぜんぶわかっちゃうような人。
そうはいっても、
兄貴が顔に出るのは嬉しい時や、幸せな時だけ。
つらい時、苦しい時、悲しい時は顔に出ない。
ていうか、絶対に出さない。
意地は張らないけど究極な見栄っ張り、だと思う。
以前、兄貴にきいたことがある。
「兄貴は愛する女性に告白する時、なんて言うんですか?好きです、愛してます、どっち?」
返ってきた答えに笑ってしまった。
「昭和男児がそんなこと言えるか!好きだからこそ絶対に言わんねや。言えるわけないやろ!」
「どうして言えないのですか?」
「そんなむず痒いこと、言えるかいな」
「う~ん。黙っていたら伝わらないと思いますけど」
「以心伝心いうんがあるやん」
「そんなメルヘンチックなこと言ってたら、他の人にとられちゃうかも」
「とられる前にデートに誘うねや。ナンパや、ナンパ。それでうまくいったとして、先々でも、そんな甘っちょろい言葉は言わん」
「え~、女性は言ってほしいかも」
「態度で表せば伝わるねん」
「兄貴のいう態度って何ですか?」
「え?相手が喜んでくれることや」
「宝石とかバッグとかスイートルームとかあげて喜ぶまではいいとして、次をねだってきたり、自慢する女性はタカリか下げマンですよ」
「ほなら、安い物で喜ぶ女性なら信用できるいうんか?」
「高くても安くても、素直に喜ぶ女性は可愛げがあるかもしれませんが、可愛げにこだわると」
「ると?なんや?」
「まあ、女性からみた素敵な女性と、男性からみた素敵な女性とでは、定義が違うのかもしれませんけどね」
「男のほうだって然りや」
「それは身体の関係にも言えますね」
「うん?」
「どれだけ肌を重ねても、それが愛情表現といえるかは疑問だと思います」
「本当に大切な女性には、肉体的なもんより、精神的なもんを求めるねや。そっちの方が大事ちゃうか」
「へ~、意外」
「なにが意外や」
「まあ、両方あれば最高なんでしょうけどね」
「まあ、それに越したことはないねんけど」
「双方が若くないと無理でしょう。どちらかに傾く。それと…」
「なんや、まだあるんか?」
「従順、一途、裏切らない、ですが」
「おう、それがどうした」
「言いにくいことですが、そんな大和撫子的な女性は、この世にいないと思いますよ。女性が言う『白馬の王子様』同様、言葉自体が幻想かと」
「昭和にはそういう女性が沢山おったで。近所にもそういうおばちゃん沢山おった」
「昭和の時代にも、明治でも大正でも、社会進出も阻まれ、男性社会ですから、そうしないと生きていけなかったからじゃないでしょうか。旦那様が尊敬できる立派な人だったら別ですが」
結局、男女の定義に関しては、どこまでも平行線に終わった。
それも当然のことだ。
兄貴には兄貴の定義があり、私には私の定義がある。
兄貴も私もお互いに強制しない。
別の視点で己を貫く。
相手の意見に同調はできないが、尊重はできる。
信頼関係はこれからも続いてゆく。