兄貴・丸尾孝俊さんとの出会い

   


1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

向かい風に慌てない

 

納骨が済んで帰宅すると、母の気配が消えていた。49日が終わるまで御霊は現世を漂っているといわれるが、本当なのだと思った。

 

 

母が亡くなってから、とにかく心臓が痛かった。心臓に穴があくのでは?と思うくらい強い痛みだった。納骨の日、お坊さんのお経が終わった時、心がすーっと軽くなるのを感じた。それからは母を思って涙しても、心臓は痛まなくなった。

 



そして、母の気配も戻ることはなかった。本当に旅立ってしまったのだと思った。「気をつけていくんだよ。私はもうお母さんを守ってあげられないし、傍で助けてあげることもできないから」一人で逝く母を思い、私は遺影に語りかけた。

 

「独りになって、ようやくアニリゾ(兄貴のフェイスブックDMMサロン)やアニキリゾートチャンネル(兄貴のyoutube)を観られるようになりました」

 

「親父様の分もいれたら丸4年か。自分が寝る時間も満足になかったもんな」

 

「睡眠においては、まさに兄貴みたいな生活でしたね。毎日白目むき(笑)」

 

「ご苦労さん。今後は親父様やお袋様が守護霊となって、あなたを護ってくださるよってな」

 

「だといいんですけどね。なわけで、何年も溜めてしまったので観るのが大変。兄貴、こまめに更新してるし」

 

「アニリゾにおいては毎日や。こうしている今も更新中や、ガハハハ!」

 

「人によっては兄貴はアニリゾだけやって生きてる、ヒマ、みたいに思う人も」

 

「いるやろな。残念ながら、やりながら他でちゃ~んと稼いどるし、しかも増えとる」

 

「兄貴がやってることって、頼まれごとばかりですもんね。DMMサロンだって」

 

「俺んとこくるツアーとか、youtubeのコラボとか、本を出した時だって、俺から頼んだことないよ」

 

「そういえば、東京6大のどこでしたっけ?慶応大学でしたか?講演の講師もされてましたね。バリからネット中継でしたけど」

 

「ああ、そんなこともあったな」

 

「紹介文に『丸尾孝俊先生』って書いてあったので、思わずふいちゃいました」

「アニリゾで募集した野郎(男性だけ)キャンプの時も、確か丸尾先生やったな」

 

「丸尾先生が優しく教えてくださいます、のフレーズには笑えました」

 

「だが、アレはなあ、あの話が来た時はさすがに引いたよ。え!中卒の僕が日本の一流大学の講師やるんですか?頼んでくる相手が間違っとらんですか?思うたわ。せやけど、頼まれたことは断らんよってな」

 

「兄貴は何でもアリですね」

 

「何でもアリや。経験は大事や。講師をやれば講師の気持ちがわかるし、ゲストの質問に答える幅も増える。第一、大学の講師なんてやろうと思ってもできるもんやないし。思わんけど」

 

「教員免許もってないのに、『次回の講義はバリ島からお迎えした経営の先生の…』で通っちゃうんですものね」

 

「いろんな業界の人がくるやろ?相談に乗ってるようで、実は俺が勉強させてもらっとるんや。全然知らない業界だったりもする。相談されても、どう答えろっていうんや」

 

「困る時もありますね」

 

「そりゃあるよ」

 

「そのわりに困った顔や、引きつった顔をされてませんね」

 

「兄貴はすべてを経験済み、とかネットで書かれちゃったしな。失敗しまくったとはいえ、若い時の話が大半や。最近はあまり失敗せんから困っとるねや。え!そんなん答えられへんがなって」

 

「それは大変ですね」

 

「だからって、答えないわけにはいかんやろ?かといって、知ったかぶりもでけん。今後も、大いに起こりうるやろな」

 

「どうするんですか?」

 

「そういう時は、基本に立ち返ったお話をさせていただくねや」

 

「兄貴はよくおっしゃいますもんね。すべての基本は一緒で、かつシンプルだと」

 

「どんな時も対、人やから。AIの世になっても変わらん。もしろそういう時こそ人なんや」

 

「今日拝聴した中に、ヨットのお話が出てました。ヨットは風任せ、波任せだと。ヨットって、海が穏やかな時は恐ろしく遅いそうですね。びっくりしました」

 

「ヨットに乗ったことのない人や、操縦したことのない人にはわかりにくかったかもな」

 

「追い風の時もあれば、向かい風の時もある。それでも進んでいさえすれば、いつかは辿り着くと」

 

「向かい風いうんは、人生でいえば試練の時。何をやってもどんなに努力しても、気持ちを入れ替えてもうまくいかん時。追い風とはトントン拍子に事が運ぶ時やな。努力した成果が実って、稲でいえば収穫の時期や」

 

「向かい風だからといって、おちこむことはないと仰せでしたね。到着地に辿りつくまでの速度が落ちたからに過ぎないと」

 

「歩みを止めずに、進んでいきさえすればええんや。途中、台風に遭えば立ち止まるしかない。向かい風や吹雪に遭えば、雨宿りしたり、地面にひれ伏して風しのいだり。逆に、晴れの時はどんどん歩いていける。歩く速度が速まるか遅いかだけの違いや。あきらめさえしなければ、必ず辿りつけるねや」

 

「辿り着くのではなく、辿りつける…」

 

「だから、落ち込むことはないんや。それなら、ここで少し休んでいこか、でええ。人間が悩む答は、すべて大自然が示してくれとるよ」

 

うまくいく、いかないと人は悩む。「じゃあ、うまくいくって何ですか?」と兄貴はきいてきます。だって、やるからにはうまくやりたいし、達成したいから。「うまくいく方法なんてないよ」と兄貴は言います。

 

達成するために必要なことは何ですか?と尋ねれば、「努力と辛抱、行動と継続」と兄貴は言います。そして「たくさん失敗し、出会った人を応援して、人と人とを繋ぐねや」で締めくくります。

 

そして「やるからには勝て」と言います。「敗者には絶対にならない努力をしてる」ということでした。敗者に選択権はないが、勝者になれば引き分けに持ち込める。「喧嘩しなくて済むから」と兄貴は言いました。「争いを避けるために、戦争しないために俺は勝つ」のだと。

 

「勝つ、負けるという言葉を、まだ使わねばならない世が続いている。いつ終わるかは定かではない。正解なんてどこにもない。人の心は一人一人違う。真実も人によって、国によって、もっと言えば惑星によって違うやろう。だから、わからないものを追いかけるな。貴重な人生の時間を無駄遣いせんことや」

 

ひたすらに懸命に、歩みを止めさえしなければそれでいい。

 

🌸 アニキリゾートライフの入会はこちらから

https://lounge.dmm.com/detail/676/

🌸アニキリゾートライフチャンネル(you tube)はこちらから

https://www.youtube.com/@anirizo-ch

 

 

兄貴・丸尾孝俊さんとの出会いVol.14 2026年4月⑦ありがとうバリ

デンパサール空港に到着した。

 

 

髪はボサボサ、服はよれよれ。見た目など、もうどうでもよかった。一気に疲れが押し寄せ、眠くて仕方がない。帰りのフライトは0:20発から、23:50発に変更になっていた。

 

 

出国審査を終え、搭乗ゲートへ向かうが、なかなか歩かされる。途中、これでもか、というくらい高額な土産物ショップが並ぶ。世界中からの観光客で賑わい、真夜中とは思えない。

 

小腹がすいた私は、途中のレストランで夜食を食べることにした。

 

インドネシア料理に飽きていたので、中華麺を選んだが、麺はふやけているし、スープもぬるい。これで2,800円とは。まあ、空港の食事はどの国も高く、同じようなものだけど。

 

 

「こんばんは。今、どこ?」

 

「えっ?」

 

 

「何してるの?」

 

「空港ですよ。ラーメン食べてます」

 

「あのなあ、みんなの前で表情カタイとか言わないでくれる?」

 

「出国前に説教はやめてもらえますか?兄貴の方こそ、じゃ、こんな顔ならどう?とか言って、変顔で返してくれると思ったのに。カタイのはあなたや!って喧嘩売ってきて。調子狂っちゃいました」

 

 

 

「それを期待してたん?俺としたことが、ついムキになってもうた」

 

「ノリが変わったんですね。これからは気をつけます」

 

「みんなの手前、あー言うしかなかったねや」

 

 

「手前って何ですか?ありのままの兄貴でいいじゃありませんか」

 

「そう言ってもなあ~。立場上、ああ言うしかなかったし」 

 

 

「立場って何ですか?そんなの、私の知ったこっちゃありません」

 

「突然ムキにならんでも」

 

 

「言いたいことは私にもあります。あなたは間違っている!とか上から目線で。言い方がふてぶてしくなったというか、普通の言い方でいいと思いますよ」

 

 

「ふてぶてしいって。じゃあ、あなたの俺への態度はどうなん…」

 

「かつては赤子からも学べるとおっしゃっていた兄貴なのに。兄貴が正しくて、立場が上だったとしても…」

 

「おちついて話すねや」

 

「立場とか、そういう言葉が出ること自体がらしくないです!」

 

「痛いわ~。出国前に説教しないでくれる?」

 

 

「兄貴が始めたんでしょ。ウリのさわやかマックスはどこ行ったんでしょう。全然さわやかじゃなかったです」

 

 

「悪かったねや。堪忍」

 

 

 

「だいぶお疲れでしたね」

 

 

「ハーレーツアーから戻ったばかりやし、なんだかんだ言っても年やしな。今回はどやった?」

 

「どうとは?兄貴がですか?初ゴーストがですか?」

 

「どっちでもええねんけど」

 

「急に恥じらって。どうされたのでしょうか?」

 

「クレームじゃない方がいいねんけど」

 

 

「毎回のことですけど、お夕食が本当に美味しくて。お夜食も新鮮なあじの塩焼きを出してくださったり、お飲み物も途切れることなく]

 

兄貴、コメントなし。

 

 

「胃腸への配慮というんでしょうか。すべてが素晴らしかった。宿泊先の朝食もそうですが、食事が美味しいって最高ですよね」

 

「おおきに」

 

 

「2日しかいませんでしたけど、いろんなタイプの方がみえていましたね」

 

 

「いつものことや」

 

「毎日あんな感じなんですか?神経すり減っちゃいますね」

 

「そうでもないよ。何十年もしてることやから。慣れとる」

「今、とても幸せですっておっしゃっていましたね」 

「そやった?」 

「私は兄貴が今、お幸せかどうかなんて、ひと言だってきいてないですよ。ムスッとした顔で、下向きながら言われても…」 

 

「そんなこと言ったか?あなたがいつもやりとりの中で、今日は幸せだったか?今幸せか?て聞くからや。癖で聞かれる前に言ってしまったんやな」

 

「兄貴のお幸せは兄貴が決めることですから。下向いて言おうが、上向いて言おうが、お幸せならそれでいいです」

 

兄貴、コメントなし。

 

「でも、今度はちゃんと目をみて言ってくださいね」

 

 

「御意」

 

「搭乗ゲートへ移動します。今夜もご接待、頑張ってください。お会いできてよかった。日本へ着いたら連絡します」

 

「気いつけて帰るんやで。またおいでや~」

 

「は~い。ありがとうございました~💛」

 

兄貴、コメントなし。

 

明け方まで食えや飲めやの宴会(質問タイムと言うべきか)。しかも休みなく、毎日。常連組もいれば、好奇心で初めて来たという人もいる。「一緒に写真撮ってください」と言われればスッと席を立ち、ニコッと笑って応える。疲れた顔や、嫌な顔は「許されない」(「」は私の決めつけ)。

 

兄貴は死ぬまで続けるんだろうな。その瞬間までゲストをお迎えして、相談に乗って、一人になることなどほとんどなく…。話している途中に、突然机に顔を伏せたと思ったら、息をしていなかった!みたいな。「何、縁起でもないこと言うてるねん」って叱られそうだけど。

 

 

 

ゲストからこんな質問が。

 

「兄貴は日本に里帰りはしないんですか?」

 

「できないんや。世話になったじい様方(某企業や某協会の会長)がぎょうさん生きとって、「日本に来た時は寄れや」言われとる。内緒で数軒行っても、他にばれてまう。じい様連中の情報網は完璧や。あの方々が死なない限りは帰れんのや」

 

どこに寄ろうが兄貴の自由だし、帰りたかったら帰ればいいのに。義理堅いというか、そこまで我慢しなければらないほどの恩て?兄貴、何やらかしたのかしら。命の恩人とか。

 

円が弱くなり、バリ島の街中でもホテルでも、日本人はほとんど見られなかった。行きの機内は満席だったので、それらの人たちはどこに行ったのだろう。うんと高級かうんとローカルか。だが、先進国でなくなった今の日本にとってのローカルは、世界のどこに行っても、あまり存在しない。

 

 
私が40代の頃まで、まだ円は強かった。海外のどこへ出かけても、日本人観光客のツアーに出くわした。アジアはどの国も日本より物価が安かった。今、アジア諸国の人たちが物価が安いから訪れる国、それが日本なのだ。 
 

次回、マルガラナを訪れる時、英霊の皆様に日本の良い報告ができるように、日本人は日本の誇りを取り戻さねばならない。国力を戻さねばならない。それは現在の国民の志と努力にかかっている。

 

 

今回の旅は、兄貴邸での滞在が短い分を、タバナンの観光に充てた。クランビタン王宮で王宮ランチをいただき、世界遺産や景勝地を周った。

 

タバナンの王様ご夫妻と。

 

 

豪華な王宮ランチ。

 

 

 世界遺産ジャティルウィ・ライステラス。

 

景勝地ウヌン・ダヌ・ブルタン寺院。

 

 

 

景勝地タナロット寺院。

 

兄貴の「おいで」のひと言で、即座にバリ島に飛び、タバナンの王様ご一家とも再会。兄貴邸で合流した友人と、タバナン観光を満喫することもできた。バリ島は塞いでいた私の心を開放し、生きる活力とエネルギーを与えてくれた。

 

兄貴邸ゴーストで合流。

 

ウヌン・ダヌ・ブルタン寺院。

 

クランビタン王宮にて王様ご一家と。

 

 

 

ありがとう兄貴。

 

じい様方が他界された折は(失礼をお許しください)、ぜひ日本の我が家へも泊まりにきてください。それまではせっせとバリ島に通いますね。

 

 
目を閉じると、私の心は遠いウエストバリへ飛んでいく。ヌガラの朝の鳥のさえずりや、波の音がきこえてくる。

 

また帰ろう。私の第二の故郷へ。

 

 

 

これにて、兄貴・丸尾孝俊さんとの出会いVol.14は終わりになります。最後までお読みいただいた皆様、ありがとうございました。

 

●兄貴・丸尾孝俊さんとの出会いシリーズについて

 

バックナンバーと続き、番外編につきましては

下記URLプロフィール画面の

『Yoko Sano ご案内』に明記してございます。

 

よろしくお願いいたします。

 

https://profile.ameba.jp/ameba/konnnomisaki

 

◆バリのアニキ公式サイト  http://www.maruotakatoshi.jp/

 

◆アニキリゾートライフ https://lounge.dmm.com/detail/676/

兄貴・丸尾孝俊さんとの出会いVol.14 2026年4月⑥燃え尽きるのは死ぬ時

 

広い駐車場に立つ大きなガジュマロの樹。

 

 

8年ぶりにマルガラナ英雄墓地にやってきた。

 

 

タバナン県にあるマルガラナは、インドネシア独立戦争の激戦地となった場所で、英雄墓地には多くの戦没者の墓碑が並んでいる。その中に第二次大戦後もインドネシアに残り、義勇軍としてバリ島の兵士と共に戦った日本人兵士12名の墓碑も含まれる。

 

 

入口の横に戦没者の名簿が公開されており、その中に日本人の名前がある。

 

 

今回のタバナン行きは、日本兵の皆様のお墓参りが目的だった。

 

 

墓碑なので正式にはお墓ではないのだが(墓はない)、その方がそこにおられると思ってお参りさせていただく。安らかにお眠りください、お疲れ様でございました…と。

 

これまでは、お線香をあげさせていただいたこともあれば、ただ手を併せただけの時もあった。そして、今回はコレを持参した。

 

 

日本から『坊さん』は持参せず、台座だけを持ってきた。ボリュームをマックスにして、墓地全体に読経が響き渡るようにする。それから、日本兵お一人お一人の墓碑に、この台座を置かせていただき、地面に膝をつき、手を併せてお参りをさせていただくのだ。

 

ウチは代々日蓮宗のため、当然、「南無妙法蓮華経」の読経となる。皆様の日本での宗派は存じ上げないが、懐かしい日本語のお経を流すことで、少しでもお心が癒されるのではないか?と勝手に思ったのだった。

 

 

総司令官であったイ・グスティ・ングラ・ライ将軍の墓碑を先頭に、その他の皆様の墓碑が並ぶ。その中に日の丸のハチマキが巻かれている墓碑があり、それが日本兵の皆様だ。墓地は広く、他の敷地にも日本兵の墓碑がある。

 

そのハチマキはかつて兄貴が巻いたものだった。兄貴邸を訪れたゲストの皆様がその話をきき、再訪時に手作りのハチマキを持参。その後もバリに来るたびにマルガラナを訪れ、取り替えてくださっている。

 

「今日はマルガラナ英雄墓地へ行って、お経をあげさせていただきました」

 

「ああ、アレか。アレを持ってきたんやな」

 

「はい。お経を流させていただいていたら、急に胸が熱くなって、涙がたまってきて…」

 

「喜んでくれはったんやなあ」

 

「目には見えませんが、確かに皆様を感じました。御霊はあそこではなく、天国におられると思うのですが、わざわざ降りてきてくださったのですね」

 

「もっともっと、バリ島を訪れる日本人に、あそこを訪れてほしいねや」

 

まだ若い、おそらく30代であろうか。一人の日本人が、マルガ村を訪れた。そこには広大な、ごみ溜めの荒れ果てた野原があり、彼は何となく気になって足を踏み入れたのだった。

 

村人は「そこは独立戦争の激戦地で、多くの命が失われた場所だ」と言った。

 

草に覆い隠れた墓碑の中に、日本人の名前を見つけた時、彼は驚いた。インドネシア独立のために、日本に帰らず命を捧げた日本人がいたのか?と。

彼は、それからも気になってそこを訪れた。そのたびに、なぜか日本兵の墓碑へ辿り着く。吸い寄せられるように。目印もないのに。

 

彼のゴミ拾いに通う日々が始まった。村人たちがその姿をみて、手伝ってくれるようになった。

 

今でこそ、整備された美しい状態になっているが、それは一人の日本人のゴミ拾いから始まったのだ。その日本人こそ、バリ島でのちに大富豪となった丸尾孝俊氏(通称アニキ)である。だが、それを知る人は少ない。



兄貴は、ハーレーチーム(TEAM THE GHOST WEST BALI)を結成後、メンバーを率いてマルガラナ英雄墓地を訪れている。チームの中には初めて訪れた人もいた。

 

 

「平和な国に、平和な時代に生まれた俺たちは幸せやねん。悲しいことやが、平和は多くの人の犠牲によって成り立っとる。死にたい人間などおらん。生きたかったはずや。大切な人たちと、いつまでも一緒にいたかったはずや。あなたはなぜマルガラナに寄った?」

 

「なぜって…」

 

「生きる支えがないなんて言うな。支えなんかなくたって生きればええんや。生きる支えや意味なんて、後からついてくる。いいか。あなたは生きているんじゃない。生かされとるんや。あなた一人の力で生きとるわけやない。たとえ、自分だけの稼ぎで食っていたとしても、それだけでは人は存在できんのや」

 

 

墓地には訪れる人もなく、ただ読経だけがこだましていた。

 

読経を消すと、乾季の爽やかな風に乗って、鳥のさえずりがきこえてきた。本当に誰もいなかった。誰とも会わなかった。誰もこなかった。

「命があるのは当たり前やない。生きていることに感謝の気持ちがないから、燃え尽きたなんて言えるんや。人は簡単に燃え尽きない。燃え尽きるとしたら、それは死ぬ時や。そういう生き方せなあかん。生き続けることも、死ぬことも、自分で決められへん。決められとるんや。しのごの言わんこっちゃ」

 

到着したホテルの前には、どこまでも続くビーチが広がっていた。タバナンの海もヌガラの海に似て、どこか包み込むような優しさを感じた。癒されたのだろうか。

 

 

 

悲しくて、つらくて、苦しくて、日本から逃げるようにバリにきた。だが、どこまで逃げても、それは追ってきた。逃げようとして逃げ切きることなど、実はできないのかもしれない。

 

 

夕暮れが来て、私は太陽が沈むまでその風景に見入っていた。

 

 

兄貴・丸尾孝俊さんとの出会いVol.14 2026年4月⑤すべては肯定から始まる

 

 

私は夕暮れの海を見ながら、兄貴と初めて出会った時のことを思い出していた。漠然とだが、ゴースト邸を訪問して、一つの時代が終わったのだと感じた。

 

今回、私は兄貴の前邸であるビラ1には行かなかった。

 

ビラ1には沢山の思い出がある。初めて一人で訪れた時、入り口に兄貴の黒いベンツがとまっていた。あの頃は邸宅に馬やワニ(クロコダイル)、孔雀、オウムなど、沢山の動物たちがいた。

 

 

 

 

孔雀は放し飼いで庭を闊歩しており、ゲストを見ると襲い掛かってくるほど狂暴だった。インドネシア人スタッフの女の子たちが箒を振り上げ、追い払ってくれたっけ。みんな今はどうしているだろう。

 

 

 

ビラ1の玄関はいつも開け放たれていて、訪れるたびに「ただいま」と言って入った。兄貴の開口一番もいつも「おかえり」だった。

 

 

 

今も言えば同じ言葉が返ってくるかもしれないが、豪邸ゴーストは一軒家のビラ1とは違うせいか、何となく「ただいま」ではなく、「こんばんは」になってしまう。

 

迎えにきてくれたドライバーさんに、ビラ1は今はどうなっているのかと尋ねた。スタッフが常駐して、同じ状態に保たれているのかと思いきや、2年近く閉まったままということだった。

 

過ぎてしまった昔には、どんなに懐かしくても戻れない。せつなくなるほどの思い出をもらえた私は幸せだったのだ。変わらずに、兄貴のもとを訪れることができる今もまた、幸せなのだろう。

 

 

「気が遠くなるようなつらい道でも、だめだと思ったらそこで終わる。まだ行けると思えば、何らかの方法が示される。いらないと言えば終わり、受け取ると決めれば続く。前以上に幸せになれば、過去を思って涙することもない」

 

 

ふりかえってせつなくなるのは、今を生きていないからだ。生きる支えを失くし、腑抜けのような状態で兄貴に会いに行った私にとって、今回ゴーストで出会った人たちは、生きることに貪欲に思えた。

 

揺れ動く世界情勢の中、日本を捨ててでも生き残る、そういう人もいた。生への執着を失くしてしまった私には、羨ましくさえ映った。

 

 

「すべては肯定することから始まる。無駄だと思わないことや。そのおかげでこうなれた。あのせいや、ではなく、あのおかげでこうなれたと思うねや。ぜんぶおかげ様なんや」

 

 

兄貴は初めて会った頃から変わっていない。

 

「成功したい?それなら人を成功させろ」

「幸せになりたい?それなら人を幸せにしろ」

「金持ちになりたい?だったら人のために働け」

 

昔も、今も、いつだって、人のために生きている。やってきた人の話をきくために、一生懸命、明け方まで起きて頑張っている。

出会った当時、短命理論を掲げ、「花火のようにパッと咲いて死ぬ」と豪語していた兄貴。その兄貴が「俺を求める人たちのために生き続ける」と気持ちを入れ替え、数年が過ぎた。

 

 

日本刀のようにキラリと光る目力に、圧倒された日はもう遠い。今は腕を組み、穏やかに微笑む兄貴がいる。その目にもう鋭さは感じられない。昔の勢いがなくなった、という人もいるが、はたしてそうだろうか。

 

 

誰しも同じではいられない。あまりにも皆に慕われ過ぎて、変わってほしくない部分も多々あるかもしれないが、私たちがそうであるように、兄貴だって変わってゆく。

 

 

兄貴が豪邸ゴーストに移り住んだのは、ビラ1では訪れる人が入り切れなくなったから。断ればいいのに、無理だって言えばいいことなのに、兄貴は絶対に断らない。

 

 

「来る人数増えたなら、その分部屋を増やせばいい。その分大きな家に住めばいい。ゴーストなら、そこちょっと詰めて、なんて言わなくてええねん。50人なんて楽勝や」

 

自分だけで住むなら、こんな宮殿のような家はいらないだろう。一日何100万もの維持費を使う必要もない。自分が泳ぐだけなら大きなプールも、何個もいらないのだ。

 

 

短い滞在ではあったが、会いにきてよかった。

 

「選んだ道が違ったと思ったら、やり直せばいい。どうしても引き返せない時は、選んでよかったと思える未来にしていけばええんや。心の持ちようで、何でも、どうとでもなる」

 

 

古いものを手放す。忘れるのでも、振り切るのではなく、ただ自然に手放せばいい。

 

 

あの日の兄貴を追うのはもうやめよう。生きている限り、未来は続くのだから。

 


 

兄貴・丸尾孝俊さんとの出会いVol.14 2026年4月④自由と貧乏は隣りあわせ

エイトリゾートの朝です。

 

 

 

 

 

海岸に出るとすでに村の人たちが散歩しています。海は引き潮になっていて、広い砂浜をバイクで通る人も。海藻を採りにきている人もいました。

 

 

朝ごはんが届きました。フルーツサラダとミーゴレン、そしてマンゴジュース。

 

宅配のため、温かいお食事がいただけるのが嬉しい。お味も辛みを控えていて食べやすく、量もなかなか。とても美味しいです

 

 

夜がきて、兄貴邸ゴーストへ。

 

 

懐かしい皆さんとの再会です。

 



夕食が運ばれてきました。今日のスープは…。すごく大きなバクソ(バリ肉団子)が入っています!バクソはシャウエッセンを塊にしたような味で、とても美味しいんです。

 

この日のお話は自由がテーマでした。

 

「みんな成功したい言うて俺んとこくるやろ?なぜ成功したいのかきくと、金持ちになりたい言うんや。じゃあなぜ金持ちになりたいかきくやろ?好きに、自由に生きられるから言うんやな」


「行きたい時に行きたい場所に行ける?いつでも会いたい人に会える?そんなん、あっという間に金なくなるで」

 

「大きな屋敷を構えれば、それだけ係がする。この家を維持するのに毎日220万かかっとるんや。ここの他にもいくつも持っとるし」

 

「大金持ちになれば、資産を守らなならん。セキュリティかて万全にせなあかんし、SPなしで出かけることもでけん。それのどこが自由や」

 

「自由を求めたら、金持ちにはなれへんのや。自由はあなたの資産を奪っていく。自由でええんは心だけ。遊んでばかりで、いつ稼ぐ?自由と貧乏は隣りあわせや。そこに安住はない。」

 

「掴んだ金で、確かに自由は買える。拘束されろとは言わん。だが、そこそこにしておけ。俺は、そこそこもいらんけどな」

 

ゴーストの夜は続きます。

 

 

 

兄貴・丸尾孝俊さんとの出会いVol.14 2026年4月③豪邸ゴーストへ

 

バリ島ヌガラの朝です。

 

 

宿泊先のエイトリゾートはビーチフロントに建つ大きなビラです。

 

『兄貴・丸尾孝俊さんとの出会い』シリーズVo.1~Vol.13までを、お読みくださっている皆様にはお馴染みかと思いますが、広々としていてとても素敵なビラです。

今夜はいよいよ兄貴との再会。19時に兄貴邸からドライバーさんが迎えにきてくれます。それまでのんびりして、体を休めたいと思います。

だって、レギャンからここにくるまで、車で5時間以上かかったんですから。距離はそれほどないんですが、渋滞がすごいんですよね。

 


ビラの前に広がる海を眺めながら、ゆったりと過ごします。何もしない、何もない贅沢がここにあります。



夜が来て、兄貴邸ゴーストへやってきました。夜鷹をこちらではゴーストというのだそうで、幽霊という意味で名付けたわけではないそうです。

 

 

 

こちらが玄関。入り口でライオン二頭が迎えてくれます。

 

兄貴のご新居ゴーストは、バリ島の個人宅では一番の面積と大きさを誇ります。ご新居といっても、3年以上前に移られたので、単に私が来させていただいていなかっただけで、今やご新居ではないのですが。

 

初めてゴースト邸を訪れるお客様には、説明を兼ねながら邸宅一巡りツアーをしてくれます。ただ歩くだけなら20分だそうですが…。プールもいくつかあり…海洋深層水のプールですとか。とにかく広すぎるため、どこを撮影しても画面におさまりません。


兄貴のハーレーコレクションや、品のよい家具や調度品など、これも撮影しきれませんので一部だけ。

 

 

 

 



もちろんゴースト邸に泊まることもできます。一泊150万円と巷ではいわれていますが、実際のところは知りません。

 



こちらが客室。この他にもいくつかあります。それぞれに違う内装で素敵でしたが、撮影しきれないので一枚だけ。

 




夕食が運ばれてきました。

 

ナマズや鶏の素揚げが入っていて嬉しい。とても美味しいんです。インドネシア料理はかなり辛いのですが、兄貴邸では日本人ゲスト用に辛みをおさえてくれてあり、ありがたいです。

 

スープは鶏スープですが、お野菜がこれでもかというくらい入っていて、薬膳というか、とても美味しいです。

 

「慣れない土地にきて、慣れない気候と、ヌガラまでの長距離で疲れとるやろ?胃腸も弱まってまうよってヘルシーにしてるねや」

 

兄貴の心配りが嬉しいですね。

 

 

さてさて、ようやくお会いできました。見た目も年齢相応に、お互いすっかり丸くなってしまいました。


兄貴が来ているTシャツはハーレーチームのもの。兄貴率いるハーレーダビッドソンチームがあり、毎月3日のツーリングスケジュールでお出かけされています。

 



兄貴は様々なタイプのハーレーを所有されていますが、このチームに入ると、毎回その中から好きなハーレーをチョイスし、それに乗ってツーリングすることができます。もちろん乗れるまでは、ゴースト邸のお庭で練習します。チームのベテランメンバーの方が優しくご指導くださいます。

次回はキンタマーニの山越えをし、その裏側で宿泊されるそうな。その時の参加メンバーの運転レベルに合わせ、コースは決めるとのことでした。

実はツーリング時には政府のSPが付きます。ハーレーメンバーと同じ服装で、やはり兄貴ハーレーに乗り、覆面SPというんでしょうか。兄貴が先頭で走っていますが、覆面警察がその脇をしっかりと固めています。

 

 

バリ島政府に『守らなければならない要人』として登録?されている兄貴。勝手に一人でフラフラ出歩けないんですね。日本の皇室ではないですが、拘束感が否めないような。

 

が、ご本人はそんなふうには捉えておらず、

 

「セキュリティ万全やからこそ皆を連れていけるし、安心してどこにでも出かけることができる。助かるわ~」

 

とのこと。

護られているからこそ自由。う~ん。普通の人にはない感覚ですね。まあ、普通の人じゃないんですけど。実際ゴースト邸を見学したり、諸々なお話をおききしていると、桁違いのお金持ちだというのがわかります。

「兄貴って本当に大富豪だったんだ~」

 

「今さらなに言っとるねん」

この日も多くのゲストがみえており、その場でハーレーチームに入会を決めた方が、三名いらっしゃいました。チームに入るには、もちろん入会金があります(笑)。


あれだけのハーレーの中から自由に選んで乗れますし、旅先ではそれなりのホテルに泊まって、お食事はまさか割りカンなんてことは、兄貴はしないでしょうから。

入会金額?運転免許?ここでは控えますね。直接兄貴サイドにお問い合わせくださいね。


兄貴のDMMオンラインサロン『アニキリゾートライフ』へまずはご入会を。


アニキ 丸尾孝俊 - アニキリゾートライフ - DMMオンラインサロン

私はチームメンバーではないので、勝手にお伝えするのもはばかれますし。なわけで、ごめんなさい。『アニキリゾートライフ』ではツーリングツアーの様子も随時更新、公開しています。兄貴のおられるヌガラに、少し長めに滞在される方はお勧めです。

 

2026 Apri lDay4 Harley-Davidson Touring in Bali

 

ゴースト邸の大きなベランダに出ると、野外シアターがあって、まるでどこかの映画作品みたいに、

ツーリングの様子を放映?していました。皆さんからプレゼントされたDVD映画も、ここで御覧になるとか。もちろんゲストさんと一緒の時も。

画面の大きさたるや、まるで映画館顔負け。ここも撮影し忘れました。すみません。

ツーリングにはメンバーしか行けないので、誰かの荷台に乗せてもらって、はありません。メンバーもかなりの人数になっているそうですが、兄貴をより身近に感じ、一緒に楽しく遊べる?あ、いやエンジョイできるというのも魅力ですね。



邸内の専用ガレージにあるハーレー以外にも、このようにお宅のインテリア的?に展示されているハーレーもみることができます。年代物ですとか、普通には手に入らないモデルも、ゴースト邸でみることができます。

ハーレーの展示会以上にピカピカのハーレーに出会えます。乗らせていただいて記念撮影していた方も。(もちろん許可をとってから)。ハーレーチームに入れなくても、ハーレー好きな人には、みてまわるだけでも嬉しいですね。

そして、この日のお夜食。

 

とれたてのプッチプチのブラックタイガーと、そのミソを使って作ったエビみそ汁。実はこれで終わりではなく、このあとにまるごと二尾のお刺身が出ました。とても美味しくいただきました。

 

この日は翌日午前3時にお開きでした。

 



 

兄貴・丸尾孝俊さんとの出会いVol.14 2026年4月②レギャンからヌガラへ

 

バリ島一日目は、レギャンの繁華街にあるホテルに泊まった。

 

 

 

門からレセプションに行く途中に、日本料理レストランや多国籍レストラン、スパ、美容院、そして病院までが並んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

朝食はビュッフェスタイルでメニューも豊富。なかなか美味しかった。

 

 

兄貴邸のドライバーさんが迎えにきてくれて、兄貴の住むヌガラに向かったのだが、渋滞著しく6時間近くかかった。

ヌガラに着いてお馴染みミーアヤムの昼食。日中の屋外はさすがに暑く、疲れが出てきて完食できなかった。

 

 

 

 

この店は街中にあり、今回の宿泊ビラであるエイトリゾートビラまでは車で15分。

 

ようやく到着しました。

 

 

 

 

兄貴・丸尾孝俊さんとの出会いVol.14 2026年4月①3年半ぶりにバリ島へ

母の49日が終わり、納骨を済ませた私は、その足で成田空港へ向かった。

 

兄貴の「休みにこんか?」のひと言で、会いにいくことを決めたのだ。決めたその日に兄貴の予定を確認し、OKをもらった時点で航空券をとった。

 

 

続いてバリ島到着後のレギャンのホテルをとり、デンパサール空港からホテルまでのドライバーの手配、兄貴邸ゴーストとタバナン王宮までのドライバーの手配など、決めた日の夜にはすべての手配を終えていた。

電子ビザや観光税、到着カードの電子申請など、前回とはだいぶやり方が変わっていたが、これもスムーズに終えることができた。
 

事が思い通りに進む時はツイている証拠であり、特に今回のバリ行きは、何かの後押しがあるように感じた。

 

 

眼下にバリ島が見えた時、本当にきたんだ、と思った。母が生きている間は海外には行けないと思っていたが、まさかその二か月後によもや機上の人になろうとは。人生というのは何が起きるかわからないものだ。

 



飛行機も予定通りにデンパサール空港に到着。

 

 

 

今のバリは雨期だが、乾季が近いこともあり、それほど湿気を感じなかった。


 

思い出を遺す

 

「どうや?気持ちはおちついてきたか?」

 

「夜は普通に眠れるようになりました。短いですけど」

 

「まだ元気ないな。無理もないが」

 

「実は母が死んで間もないうちに、叔父も急逝してしまって」

 

「急逝?」

 

「母のお葬式にもきてくれて、骨も拾ってくれたんですよ。旅先の温泉で倒れたんです。心肺停止のまま病院へ」

 

「それで?」

 

「心肺蘇生の処置で生き返ったんだそうです。でも意識は戻らないままで。2日たって容体が急変してそのまま…」

 

「そのまま逝かれはったんか」

 

「ええ。会わせたい人がいたら呼ぶようにと従妹のところに連絡が入って。旅先の病院だから遠いわけですよ。車でも電車でも数時間かかりますし、新幹線が通っている町じゃないんです」

 

「そやったんか」

 

「はい。到着したのは、叔母が一番最後だったんです」

 

「間に合ったんか?」

 

「お父さん、お母さんが来たよ!って従妹が叫んで。そしたらそこで」

 

「亡くなられはったか」

 

「はい」

 

「なんと…。まってたんやなあ」

 

「はい。叔父は生き返ったというよりは、あっちの世界へ行ったけれども、自らの意志で戻ってきたんだと思います」

 

「戻ってきた?」

 

「はい。肉体を抜けた叔父の魂は戻ってきて、意識不明の自分を上から眺めた時に、生き返ってもこのままだったら?と思ったのかもしれない」

 

「そうなったら周りに面倒かける思いはったんかな」

 

「お金もかかるし、みんな大変だし、自分もこのままの状態で長らえてもと、思ったのではないでしょうか」

 

「意識不明の2日いうんは、迷われている時間やったんかな」

 

「2日迷って迷って、やっぱり逝くことに決めて、今度は戻ってこなかった。叔父は…立派な人でした」

 

「愛情の深い方やったんやなあ」

 

「父の時は自宅で看取りましたし、余命も宣告されてましたから、覚悟はできた。でも、母と叔父は強制終了ですから…堪えます」

 

「死に方は選べんよってな」

 

「人生は決めてくるといわれますが、覚えてないですからね」

 

「忽然といなくなるさかい、一緒に暮らしていた人間には堪えるな」

 

「立ち直れないです」

 

「立ち直らんでええちゃうか。立ち直る必要ないし、立つ直ることなんて最初からできへんのや」

 

「時が過ぎても?」

 

「苦しみは時間が忘れさせてくれる。だが、悲しみは再会しない限りは終わらんのや」

 

「悲しみがあふれ出るくらい、あっちもこっちも思い出だらけ」

 

「思い出が押し寄せてくるほど、幸せだったいうことや。愛されたいうことや」

 

「幸せすぎましたね」

 

「幸せは過ぎるにこしたことはない。こんどはあなたが思い出をあげる番や」

 

「私には自分の家族はいませんが」

 

「家族はおらんでも友達はおるやろ?先輩も同僚も後輩もおるやろ?」

 

「はい」

 

「あなたがそのうちの誰かより先に逝くとしたら、思い出をたくさん遺して逝くべきや」

 

「心を悲しみでいっぱいにするほどの?」

 

「あなたを失ったら生きていけん思うほどの、あなたが生きる支えやったと言わしめるほどの」

 

「それにはどうしたらいいのでしょう?」

 

「言うてたやないか。これからの人生は誰かのために生きると」

 

「母のために自分のすべてを捧げました。時間も体もお金も。でも死んでしまいました。今の私は…支えに生きるものは何もない」

 

「特定の誰かでなくてもええちゃうか。あなたを必要としてくれる人なら。例えば応援してくれる人の場合、自分が知らん人だってええ」

 

「知らない人…ですか?」

 

「例えば、俺らの問答を読んでくれはる人だってええねん」

 

「もう10年以上になりますね。ありがたいです」

 

「誰かのために生きるいうことは、誰かの生きる支えになるっちゅうことや」

 

「はい」

 

「支えになるいうことは、その人を元気にする何かをさせていただくいうことや」

 

「自分が元気ないのに、できるかしら」

 

「今は元気をもらう側やさかい。過ぎたらでええ」

 

働くことも、稼ぐことも、今でなくてもできる。

会社も社長が死んでもまわっていく。

仕事の代わりをしてくれる人はいくらだっている。

 

でもこの人は私がいなかったら死んでしまう。

私が面倒みなければ、一日だって生きられない。

 

生まれたばかりの赤子と同じ。

母乳で育てる赤子ならなおのこと、

その母親なしでは明日を生きられないだろう。

 

これは子育てと同じなのだ。

結婚もせず子を持たない私に与えられた

人生の糧を得られるチャンス。

 

家庭を持てば妻として母として、

自分自身を、その時間のすべてを、

家族に捧げる時期がある。

 

自らを捧げる経験は尊い。

独りで生きてきた人間は

そういうチャンスになかなか出会えない。

 

私にとっての介護とは、

自分以外の誰かのために生きるという

天からのギフトだったのだ。

 

受け取ってよかった。

放棄しないでよかった。

燃え尽きてしまったが。

 

「これからどうするん?」

 

「父の遺族年金も母の年金ももうないですから、一人で生きていくための準備をしなければ」

 

「いつから?」

 

「納骨が済めば、親送りもひと段落します」

 

「日本人は亡くなってからのほうが大変や」

 

「バリはいいですね。海に還るだけ」

 

「葬式の時も、じめじめしとらんでな。お祭りみたいや」

 

「まだいつもと同じ時間に目が覚めます。習慣が身体に染みついているんです」

 

「ひと月じゃ、まだ無理やて。疲れをとりにこんか?」

 

「行っても、長くはいられないです」

 

「離れることで、生きる力も湧いてくる」

 

「そうでしょうか」

 

「終わったんや。あなたは自由や。あなたの人生に戻るねや」

 

散歩道。母と見上げた飛行機雲。

機体は雲に隠れ、轟音だけがこだましていた。

 

海外なんて夢のまた夢だと、

長生きしそうな母をみて思った。

 

がん末の父に飲ませた痛み止め。

だんだん効かなくなり、強い薬にかわっていった。

 

幻覚に苛まれ、父がおかしなことを言いだした時、

その体を拭きながら、壊れていく父を思って泣いた。

 

認知が進み、母もおかしなことを言いだした。

二人の介護で身体は悲鳴をあげた。

 

父が死に、母は宙を見つめることが多くなり、

夜中に一人で玄関の外に立っていた時は、

慌てて飛び出て後ろから抱きしめた。

 

暴言と暴力と、排泄の世話に明け暮れながら、

日毎に壊れていく母を思って泣いた。

 

その父も母ももういない。

 

寄り添う気持ち

 

荒れていた手が、ささくれ立っていた指が、みるみるうちに治っていく。どんなにクリームで保湿してもだめだったのに。

 

夜は夜で何となくおちつかない。ハイになって寝付けない。「私は悪い夢を見てるんだ。明日になればきっと」そう思うとすんなり寝れる。

 

そして朝、いつもの時間に目が覚める。どんなに遅く寝ても、同じ時間に目が覚めるのはいつものことだ。

 

「お母さん、おはよう!朝だよ。起きておむつ替えようね」

 

いつものように、階下の母の部屋へ走っていく。だが、もう母の介護ベッドはなく、そこに母はいないのだった。

 

完全看護の生活をしていたから、母がいなくなって急に時間ができた。自分のすべての時間を母に捧げていた。今、すべての時間は私だけのもの。自由だ。

 

あのキツく苦しい日々は終わった。体はラクになったのに、心は重い。花粉症がつらいが、籠っているのもよくないので、外に出てみた。

 

毎日、歩行器の母を連れ出し、少しの距離だが散歩をした。歩けなくなったら困るから。車椅子になったら家で看れないから。それは母も私も望んではいないことだったから、毎日毎日散歩をした。

 

空を見上げると飛行機が飛んでいくのが見えた。母と一緒に飛行機雲を指さして、「また一緒に海外行きたいね」と話した。行けるはずもないのに。

 

「疲れたよ。座って休みたい」

 

「休んだら訓練にならないでしょ。ほら、〇〇さんちの椿の下まで頑張ろう」

 

「ああ、満開だよ。ピンクの花がきれいだ」

 

大きな椿の木は、小さな数えきれない花を咲かせていた。今は花びらが散って、道路にピンクのカーペットができている。

 

キッチンにいけばキッチンに、縁側に行けば縁側に、あそこにもここにも母がいる。思わず手を伸ばしてしまうが、そこには誰もいない。

 

ひとりになった私を心配して、ほぼ2日か3日置きくらいに、近場から遠方から友達が会いにきてくれる。母がいたときは日帰りで帰ってもらっていたが、今はひとりで寂しいから泊まっていってもらう。

 

一人が帰ると、また他の友達から連絡が来て、また誰かがくることになって、わりと賑やかに過ごしている。

 

母が息を引き取った時、私は東京にいた。早朝に着信があり、出先のホテルで母の急逝を知った。知ってすぐに兄貴に連絡した。

 

「兄貴、おはようございます」

 

「オッハー!」

 

「兄貴、お母さん、死んじゃった」

 

「ええ!あ・・・」

 

父が死んだ時は泣けなかったのに、こんどは泣けた。涙がはらはらと頬を伝い、沈黙したままだった。

 

「なんと・・・」

 

兄貴はそう言っただけで、とても困っているようだった。

 

バリの夜明け時。

 

兄貴はゲストの接待がようやく終わったのか、ハーレーツーリングで出先のホテルにいたのか。状況はわからないが、これから休もうとしていたことは確かだった。

 

沈黙していたのは1、2分だったと思うが、何だかすごく長く感じた。

 

「朝一の新幹線で静岡へ戻ります」

 

「あ、ああ、気いつけて帰るんぞ」

 

それから何日か過ぎて、兄貴に連絡を入れた。

 

「おはようございます」

 

「お、おはよ」

 

「これからお母さんの葬式に行ってきます」

 

「え!」

 

開口一番にそう言われ、やはり何と答えていいかわからなかったらしく、兄貴は黙っていた。

 

「失礼します」

 

「あ・・・」

 

いきなりブツッ!と切られ、兄貴唖然?

 

母のお骨をもって斎場から戻ると、兄貴からメールが入っていた。

 

「安らかに眠って頂こね」

 

嫌だ、眠ってほしくない!と思ったが、そんなことは言えないので、とりあえず葬式の自撮りを送った。

 

翌日に「頑張ろね」と着信があった。

 

こういう時は、かける言葉に苦労する。困らせてしまったなと思った。

 

兄貴は3歳でお母さんが出て行って、それきり会っていないと言っていた。

 

会いにきてくれなかったお母さん。さいしょは両親の離婚に対してお父さんが悪いのかと思っていたけれど…。大人になって自分も成長するにつれ、「離婚した親父の判断は正しかったかな」と思うようになったと。

 

還暦を過ぎるまで、母と暮らせた私は幸せだ。なのに、兄貴の気持ちや境遇も考えないで泣きついたりして、申し訳なかった。

 

「俺に比べたら贅沢やんか」なんてことを兄貴は言わない。一緒になって悲しんでくれる。人の気持ちに寄り添う。慰めるのでも励ますのでもないけれど、静かに寄り添ってくれるのだ。

 

葬式のゾンビみたいな顔を送信したまま、連絡していない。きっと、心配してくれているに違いない。

 

この投稿を終えたら、伝えよう。

 

まだちゃんと眠れてはいないけど、それなりには寝ていること。ご飯を食べれるようになったこと。一人ぼっちになったと思ったけど、多くの人が心配してくれ、声をかけてくれて、一人じゃなかったことも。

 

親の死は誰しもが通る道。誰もがその悲しみに耐えて生きている。今はやるべきことをこなすだけ。

 

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>